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KANAN Ⅰ  作者: 真柴 亮
20/36

着信 1



 東京都 目黒区

 新緑溢れる、都会のオアシス。大規模な緑化公園が、街とは思えないほどの静けさを出している。

 中央公園、通称中公と呼ばれるこの公園は、時間、老若男女を問わず、常に誰かに必要とされていた。

 昼であれば、テニスコートやグラウンドを使う子供たちの声が絶え間なく響き、夜であれば、ストリートミュージシャンや犬の散歩、それに秘密の特訓などにも使われている。

 その中公に、深夜に現れて夜が明ける前に帰っていく、一人の青年がいた。

 彼は、どうやら犬に会いにきているようだった。シェパードかグレートデンか、見分けがつかない大きな犬。おそらく雑種だろう。青年が芙蓉と呼んでかわいがっている野良犬は、決してその青年以外に心を許そうとはしなかった。

 しかし、ここ最近、青年の来る目的は芙蓉だけではなくなっていた。

 彼が、きらと呼ぶ、絵描きの女性に会いにきているのだ。今夜も、二人は中公で会い、ベンチの上で他愛ない話をして過ごす。

 彼の目は、澄んだ赤色をしていた。肌は、ひどく白い。目も肌も、突き抜けるように透明感があった。闇の中でも異彩を放つその風貌。

 それは、病的なものを醸し出し、事実彼は病気だった。

 白皮症。通称アルビノ。

 体内に紫外線から身を守るはずのメラニンが形成されず、永遠にシミも日焼けもない。肌に悩む女性からすれば垂涎ものの響きだが、鎧がない肌は弱く、太陽の光を浴び過ぎるとたちまちのうちに病に侵されてしまう。

 目にも光が直接侵入してくるため、視力はほとんどない。盲目ではないが、弱視である。

 見た目の条件に反してしっかりとした体躯は、夜の街に生きていくために自然と身に付いた喧嘩のおかげだと、青年は笑った。夜の帳が上がろうとする、そのギリギリの時刻まで粘って、彼は一人と一匹に別れを告げた。

 自宅は、そこから少し離れた住宅街。白い大きなマンションに、両親と彼の三人で住んでいた。エントランスに入り、暗証番号を押して彼は家へと帰っていく。

 まだ未明だというのに、家の鍵は開いていて、中へ入ると母が朝食を作っている音が聞えて来た。陽の光に弱い彼が夜を主な活動時間としたために、それに合わせて両親ともども太陽とは少しずれた生活をしているのだ。玄関で靴を脱いでいると、年の割に若く見える母がやって来た。

「おかえりなさい、猛ちゃん」

「うん。ただいま、おふくろ」

 一条(いちじょう)(たける)。それが彼の名前である。

 見た目だけでなく、性格も若々しい母は、今年で二十三にもなろうという息子に、「ちゃん」を付けて呼ぶ。もう注意するのにも飽きてしまったほどに。

「猛ちゃんにお電話があったわよ? 伝言しましょうかって聞いたら、またかけ直しますって。フカヤって人から」

「フカヤ?」

 猛は首を傾げた。はっきりと聞きとれた名前に心当たりがない。

「とっても礼儀正しいから、ママ驚いちゃった。このような時分に失礼いたします、なんて言われたの、ママ初めてよ」

 ころころと笑いながら、彼女はキッチンに戻って行った。

 ソファに寝そべりながら猛は考えたが、やはり思い浮かばない。

 一体誰だろうか?

 一人一人、弱視のせいで顔がはっきりしないかつての仲間たちを思い浮かべる。

 このところ、なんとか昔のことを思い出せるようになった馴染の顔だ。まだ懐かしさを覚えるほどではない。あれから、もう一年以上が経つ。『フォース』に居て、仲間とばか騒ぎばかりしていたあの日々が、遠い昔のことのようだ。

 渋谷の太陽は、いきなり中天を過ぎたところで止まった。

 光が苦手な猛が、唯一真っ直ぐに見つめることのできた、光。

 ユキと呼んでいた親友が死んで、それと同じ季節が巡って来た。猛は、そのことをやっと受け入れたばかりだった。

「フカヤ……フカヤ……」

 無理だ。思い出し得る全員を思い出しても、まだ見つからなかった。

 誰なのか、不審に思い始めたところで、電話の着信音が鳴り響く。

「ほら、猛ちゃんじゃない?」

 キッチンの方から、声が飛んできた。猛は反動をつけてソファから起き、子機に手を伸ばした。

「はい。……一条です」

 相手が別口だったときのために名乗ってみる。未明といってもいいこの時間にその可能性は低かったが、猛の精一杯の抵抗のようなものだった。

 猛が出ると、電話の相手はまだ喋ってもいないのにホッとしたような気配を見せた。吐き出した息に安堵が見える。誰だろうと考えている猛に、電話の相手はおずおずとした声を出した。

「おはようございます。フカヤと申します……、あ、『こんばんは』、ですか……?」

 声を聞いても分からず、猛は首を傾げた。確かに、猛にとってこの時間は『こんばんは』だ。昼夜逆転の生活をしていて、それに合わせた挨拶を時々冗談交じりにしていたのは確かだが、それを知っているほどの仲なのに思い当らない。

「どっちでもいーけど、ダレ?」

 こんな声の奴、いたっけ?

 そう思いながら尋ねると、横から笑い声が聞えて来た。

 お前、声変わったから気付かねーンだよ、と笑われている。その声には聞き覚えがあった。その声を戒めるように、黙れよというこれまた聞き覚えのある声が聞える。

「猛さん、俺です。コウです」

「……こー?」

「はい。コウです」

「ああー」

 思いついた。そうか、コウで認識していたから、名字では出てこなかったのだ。猛は納得して立ち上がった。

 どんな話にせよ、母親には聞かれたくない。

 フォースというチームにいたことは知っているが、きっと今の自分は気弱なことを口走ってしまうだろう。

 もしそうなった場合、聞かれたくなかった。

 男のプライドという奴である。

 どうやら、コウの方も、邪魔が入らない所へ移動したらしく、不自然に擦れる音が聞えてくる。

 目が弱い分、猛の聴覚はそれを補うようによく聞えた。

 先ほど聞えて来た声が、フォースの幹部で樹壱と惇という名を持った青年だということを、猛は確信していた。

「えっと、ご無沙汰しております……」

 下街にいても、礼儀正しかったコウは、電話だということで緊張しているのか、地が出てさらに丁寧になっている。

「うん。だねー。で、なに?」

 それに、いつもの通りくだけた口調で返す。気遣いではなく、それが猛の話し方だからだ。

「話が、あるんです。四天王と幹部の皆さんに。明日の夜、迎えにいくんで空けて置いて貰えますか?」

 真剣なコウの声に、猛は惰性がこみ上げてきた。

 いやだ。

 何もしたくない。

 ただ、毎日きらと芙蓉に会って、穏やかに生きていきたい。

 今はまだ、この優しい空間で、ぬるま湯につかっていたかった。




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