再会 1
一九九七年
年の瀬も近づいた冬の夜に、大型のバイクが一台大通りを走り抜けた。
先を急ぐでもなく、単車は滑らかに冷たいアスファルトの上を走っている。目的地まで走り慣れた様子は、首都圏にある広い道路に薄汚れた車体を難なく溶けこませた。
地球温暖化を食い止めるため、二酸化炭素の排出量の削減を呼びかけるコマーシャルが街頭にある大きなモニターから流れている。だが、眠らない街とも呼ばれるここ渋谷では、知ったことかとばかりに変わらぬ街並みが広がり、道中は数多のエンジン音で埋め尽くされていた。
目的の路地を見つけたらしい。大通りの中央を走る銀色のバイクは、吸い込まれるように道を曲がった。迷いなく進む先にあるのは、日々通っている彼らの溜まり場である。
RABBIT BURROW――兎の巣穴という名前の通り、地下にあるクラブである。夜の渋谷に集う若者たちは、こぞってこのクラブに通い、渋谷で唯一あるグループの一員として認められることを誇りにした。
「遅かったじゃん、京。仕事長引いたんか?」
「そんなんじゃねえよ」
バイクから降りた男が、コンクリートの階段を降りて中へ入ると、バーカウンターに座っていた別の男が気さくに声をかける。雑踏とは違うざわめきを耳に流し込みながら傍へ寄った男は、疲れた面持ちで男の隣の椅子に座った。
「純しかいねえのかよ」
「千紘と伊織はレッドの方」
「マジか。そっち行きゃよかったわ」
黒いドレッドヘアを、幅広のヘアバンドで上にあげるスタイルは、尊敬する先代に少しでも近づこうとした結果である。通称を京と呼ばれる彼、安藤 京一郎は、渋谷で唯一、そして最強のグループを自負する『フォース』のリーダーであった。
『フォース』は彼で二代目の新しい組織である。偉大なる初代の遺志を引き継いだ京も、以前のように渋谷を統括する志としては半ばだった。
初代の死とともに、『フォース』をまとめていた幹部が揃って姿を消してしまい、現在の『フォース』は京が苦労して再興した新しい組織なのである。
「お疲れさん。これでも飲みな」
何も言わずとも、マスターが軽いウーロンハイを出してくれた。それを半分ほど一気に呷ると、京はようやくひと心地ついたと言った風に大きく息を吐く。
「ったく、なんなんだよ、最近はよぉ!」
どいつもこいつも、と定番になった台詞を口にする。それを聞いただけで、ここへ来る前に彼が何をしてきたのかを理解した。その苦悩にかける言葉はない。京も、何か慰めのひとつももらおうと思っているわけではないと分かっているからだ。見た目は若く、やんちゃ坊主を装っているが、彼もまた、京の志を理解する新たな『フォース』の幹部なのである。
「そういえばよ、京。お前に話があるってヤツがさっき来てたぞ」
「あぁ? 話ィ?」
代わりのように伝えたのは、彼の気が紛れるであろう別の話題だった。志は半ばとはいえ、以前の勢力を巻き返し始めた新しい『フォース』に入りたいという者は多い。行き場をなくした若者たちの受け皿だというのが、初代からの『フォース』の信念である。だが、『フォース』が庇護する対象はともかく、いわゆる幹部として『フォース』を名乗れる者は限られていた。
京と話したいというからには、その幹部になりたい者だろうが、それを幹部である純が話題に出したということは、興味本位の輩とは違うのだろう。久しぶりに骨のある奴がいたかと期待に顔を上げれば、純はどうにも奇妙な顔をして首を傾げた。
「いや、それがよぉ、お前の知り合いみたいだったぞ?」
「知り合いってーと、どんな奴?」
「いや、だからそれがよく分かんないんだって」
「ああ?」
まさかこいつも伝言を受けただけなのだろうか。胡乱気に顔を顰めて見せれば、たじろぐ純に援護するようにマスターが口を挟んだ。
「ここらじゃあ、見かけないような子だったんだよ。真面目そうでねぇ、顔は良い方だったかな。礼儀正しい……」
「年は同じくらいじゃね? あ、でもピアスしてたな、赤いの」
聞くだに思い当たる人物がいない。京と付き合うような人物には、およそ、真面目だとか礼儀正しいだとか言った褒め言葉に縁がない。
ますます眉間に皺を寄せた京が怒り出す前にと、純が慌てて共通項のような特徴をあげたが、それでも京の軽い頭に引っかかる男の姿は出てこなかった。
「髪は?」
「黒かった」
「知らねえな」
出した結論はあっさりしたものだ。おおよその居場所を知っていて、用事があるのであればまた来るだろう。京がそう言うと、二人もそれはそうだと頷いた。
「ま、いいや。マスター、ごちそうさん」
「あっれ、どっか行くの?」
「レッドの方だよ。千紘と伊織がいるんなら、そっち行った方が早いだろ」
今の『フォース』をまとめている四人が集まるのなら、確かにその方が手っ取り早い。頷いた純は、京の後を追って椅子を降りた。
「マスター、行ってくるわ!」
「はいよ、行っといで」
慌ただしく出ていく彼らを見送って、マスターはカウンターに残されたグラスを片付ける。
巣穴を出た男たちを目を細めて見送るのは、彼がここから去って行った者たちを知っているからだ。
ここは巣穴である。夜に跳ねる兎たちの帰りを待つ、暖かな巣穴だった。