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KANAN Ⅰ  作者: 真柴 亮
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決意 2


 齎される情報が多すぎて、頭がパンクしそうだ。

 繰り返すようにコウが言う。京はごくりと唾を飲んだ。

 ただの事故だと思い、先に逝ってしまったことを憤ったこともあった。なぜ、どうして、そんなドツボに嵌って、世界は真っ暗だと嘆いていたころの自分がちっぽけに見えるくらい、幸村竜矢の死の真相は、想像もしなかったほど壮大だった。

 京の脳裏に、葬儀に駆けつけた仲間たちの慟哭(どうこく)が甦る。

 夜闇の街の英雄が死んだ。

 ことはそれだけではなかったのだ。

 驚きが過ぎる。ふつふつと沸いてくるのは怒りだ。喚き散らして、怒鳴り散らして、そこらへんにあるゴミ箱の一つも蹴り倒してやりたい衝動に駆られる。

 目の前にいるコウが冷静なことすら気に入らず、手始めにこいつから殴り倒してやろうかと思案したのは一瞬だった。

 ギリッと奥歯を噛んだ京の目が、茫洋とした黒を映す。憎たらしい程冷静なそれに、違和感を覚えた。

 こいつはここまで、無表情だっただろうか?

 喚き散らしてもおかしくない話だ。それなのに、コウの声は始終、妙に静かで、纏う空気は嘘のように穏やかだった。

 怒りを消化するには時間が足りないはずである。事故だと思っている者でさえ、過去にできなくて苦しんでいると言うのに。

「…………コウ、お前、キレてんのか」

 京はふいに尋ねた。己の怒りはどこかへ行っていた。なくなったわけではないが、今は驚きと消化不良が混ざった怒りよりも、コウへの不可思議さの方が勝っていた。

 コウは少し表情を崩した。それは、言い当てられたことに驚いたような、虚を突かれたような顔だった。そして、それはゆっくりと納得の表情に変わり、奥へ隠しこんでいた焔が見せた隙と同じだけ零れ出る。

「ああ……、そうだな。ずっと、そうだ」

 フッと自嘲するようにコウは笑った。

 京の言う通りだ。自分は、キレている。

 怒っているのでもなく、許せないのでもなく、今自分は「キレている」と表現した方がいいのだろう。

 隠していた感情を見抜かれたことを恥じるよりも、見抜いた京をさすがだと思う。こういうところがあるからこそ、竜矢は京を自分の傍に置いておいたのだろう。いつか、本当はもっと後になってから、『フォース』を率いていく人材になれるように。

「震えてんだよ、ずっと。ずっと、震えてる」

 握りしめた拳に感覚がない。ざわざわと肌が泡立つような浮つきが、あれからずっと拭えなかった。

「奥の方に変な塊みたいなもんがある。そいつが震えて止まらないんだ」

 ぶん殴ってやる、と穂は言った。とっ捕まえてぶん殴って、痛めつけてやるのだと、闘志に燃えた穂を冷静に眺めながら、コウは内心で生温いとさえ思っていた。

「俺は、そいつらを……」

 自分だったら。

 もしも自分に手を下すチャンスがあるのならば。

 この手で首を掴んで、(くび)り殺してやりたい。咽喉を親指で押し潰して、息の根を止めてやりたい。手足の指先の関節をひとつ区切りにして、骨を折りながら切り取ってやりたい。

 竜兄を殺されて泣いた人たちの哀しみの分を痛みにして。

 奪われた数多の幸福の数だけの血を流させて。

 命乞いには同じだけの絶望を返して、人の尊厳を押し潰すための言葉を浴びせかけて。

 それでもまだこの震えは止まらないだろう。

「ぶっ殺してやりてぇんだよ……ッ」

 とぐろを巻いた大蛇が身の内に巣食い、身体の中を流れる赤い血が煮えたぎっている。怒りの矛先が、ひとつでは収まりきらないことと、怒りがこんなにも持続することを、コウは初めて知った。

 竜兄が殺されたことにも、それに自分が気付けなかったことにも。

 けれど何よりもその怒りを持続させているのは、彼を殺した奴らが今ものうのうと生き続けていることだ。

 裡に押し込んだ怒りを瞳に乗せて、コウは歯ぎしりしながら己の願望を吐き出した。

 京は知らず、半歩足を引いていた。目の前に男が、心底怖いと思う。

 強いという意味で怖い人間は『フォース』に限らずいくらでもいた。単純な殴り合いで、殺されると思ったことも少なくはない。

 だが怒らせてはならないという意味で最も怖い人間はコウだと、京はたった今理解した。

 そのコウがキレている。怒りを通り越して、殺意を覚えて。

 それはまるで、地形を変えるほどの大噴火を目前にしたマグマのようだった。

 この世界には一体どうして、こうも恐ろしいことをしでかす奴らがいるのだろう。

「だから」

 ゆっくりとした呼吸音の後、コウは挑むように京を見た。見返した顔に、さきほどの怒りはない。感情を覆い隠して、何事もないように見せかける。その余裕がコウらしい。

 じっと京を見つめるコウは真摯だった。それに返すように京もしっかりと彼を見返す。コウが何を考えているのかは分からなかったが、何かまた難しいことを考えているのだろうと思った。

「俺に『フォース』を利用させろ」

 嘘や誤魔化しは通用しない。京は真実馬鹿だが、おためごかしを鵜呑みにするほど馬鹿ではない。

 だからコウは、率直に告げた。

「……見返りは?」

「竜兄の復讐」

 短く、コウが答える。これ以上なく分かりやすい言葉に、京は押し黙った。さきほどの長い説明よりもよほど理解ができる。

 京は馬鹿だ。だから、必要なことだけ分かっていて、後はコウのような奴が決めてくれればいいと思っている。

 竜兄が殺された。竜兄に大恩がある京たちが、その復讐をする。

 難しい話じゃない。実にシンプルで、当然の話だ。

 頭の中のスイッチがカチリと切り替わる。ほんの少し前、さあ行くぞとあの人に声を掛けられたときのように。

 今の自分は少しでもあの人に近づけているだろうか。不似合いな感傷を脳裏に掠めながら、京は、大袈裟に溜息をついてみせた。

 予想外の反応に瞬きをしたコウを睥睨する。俺がバカならこいつはアホだ。至極簡単なことを小難しいことのように言いまわす。

最初(ハナ)っからそう言えばいーんだよ、お前はよ」

 世話が焼けるぜ。そう、ぼやきながら京はコウの方へと歩いていった。

 死んだなんて噂が流れて、それを信じたくなくて暴れていたなんて、薄情なこいつはちらとでも考えないに違いない。指摘されればそれだけじゃねえよと言うけれど、それがないわけではなかった。一年後にひょっこり現れて、こんなとんでもないことを言い出すとは思わなかったが、そんなところでさえ、こいつらしいと笑ってしまう。

 京は、右の拳を真っ直ぐに突き出した。それを見て、コウが小さく笑う。

「兄ぃの仇が討ちてえ、手を貸せってな」

 いらないとは言わないが、必要なのはそれだけだ。それさえ言えば、京は何を置いても手を貸すだろう。

「俺たちは全員兄ぃに助けられた。兄ぃのために命懸けられるのなら、本望だろうが」

 コウが京を真似るように拳を前に突き出した。

「お前なら……そう言うと思った」

 京のそれに、突き合わせる。指の骨が、ぶつかりあって、二人は口元を緩めた。

「やり方は任せるぜ。俺は頭を揃えるしかできねえ」

「任せろ。お前のスカスカな脳味噌でも分かる指示しか出さねえのが、俺の役目だ」

 飄々とコウが言う。拳は早々に離れ、ふたりはどちらからともなくバイクの方へと歩き始めた。

「チッ、久々聞くが、ハラ立つな、おい」

「気に入らないなら、エメンタールチーズを埋める粘土でも探してきたらどうだ?」

「えれめんたる……んあ? えれー、めんたる?」

「妙に賢そうになるのやめろ……」

「あー! もうやめやめ! 兄ぃがいねえんじゃあ、誰も止めてくんねえんだ!」

 ぶるぶると大きく頭を振って京が会話を遮る。いつも通りの言いあいは、いつも通りに終わらなかったが、コウは自分でも何がおかしいのか分からないまま、ハハッと声を立てて笑った。

「そういえば、コウ」

「ん?」

「なんでお前、昨日俺があそこにいるって分かったんだ?」

 バイクに跨ってヘルメットをつけていたコウは、呆れた顔で京を振り返り、大袈裟な溜息をひとつ吐くと言った。

「お前、もう少し自分が単純馬鹿だって、自覚した方がいいぞ」

「ああ、そうかよ! どうせ俺は分かりやすいよッ」

 何も特別なことはしていない。ただ、京ならここへ行きそうだと思ったところに先回りしただけだ。先回りし過ぎて出会えなかったから、最終的に待ち伏せしていた場所があそこだっただけである。

 肩を竦めてみせたコウに、京は不機嫌そうな顔でヘルメットを被り、なんの声もかけずに発進させた。あっという間に速度を上げて走り去るバイクに、それも分かっていたと言いたげにすぐ後を追ってくる。

 バックミラーに映ったコウの姿を垣間見た京は、チッと舌打ちをした。

 口元が緩む。フルフェイスの中で、京は笑っていた。そればかりは、コウも分からないだろう。得意な気分で笑い続ける。コウには見せてやらない。コウが戻ってきた喜びは、自分だけのものだからだ。

 月の綺麗な夜である。

 再び出会った彼らは、夜闇の中で笑いながら復讐を決意した。




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