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KANAN Ⅰ  作者: 真柴 亮
16/36

決意 1



 バイクを走らせて向かったのは、あの山道の事故現場だった。付いてくる京の走りにも迷いがない。先を走るコウは曲がり角でも躊躇なく進む姿をバックミラーで確かめていた。

 件の坂道に差し掛かったとき、コウはわざと速度を落として京を先行させる。その意図は掴めなかったものの、コウのやることに意味があると知っている京は、無言の促しに従った。

 静かな山道に走るバイクのエンジン音はいやに大きく感じる。二台分となればなおさらで、京は通い慣れた場所に続く坂道を登りながらやや後ろで並走するモーター音を聞いていた。

 やがて、急カーブに差し掛かる。速度を落とすのは事故を起こさないためではなく、停車のためだ。下から登って最後の大きな急カーブの、(たわ)んだ部分に愛車を止めた京は、コウが後ろに来るのを待ってヘルメットを取った。

 一拍遅れて二台分のエンジンが止まり、辺りは静かになる。冬の最中(さなか)、虫の音も聞こえないほどの静寂の中、京は供え物が置かれてある場所に歩いていった。

 後ろをコウが付いてくる。そう思っていたら、コウは京が足を止めた後も歩き続け、斜面を降るように追い越していった。

「おい、コウ」

 ここで話をするのではなかったのか。幸村竜矢の最期を明かして、共に『フォース』を守って行こうと誓いあうために、ここへ来たのではなかったのか。

 だが、鋭い声を飛ばした京を振り返ったコウは、淡々と答える。

「そこじゃない」

「あぁ?」

 どういうことだと声を荒げた。口下手にもほどがある。いつもお前は言葉が足りないんだ。喧嘩腰でいいのならいくらでも溢れる言葉があった。京がそれを選ぶよりも先に、コウが静かに呟いた。

「そこじゃないんだ。竜兄が死んだのは、そんな場所じゃない」

「だってお前……、じゃあ……」

 顎をしゃくって、ついてこいと促すコウに、京はしぶしぶと従う。ここに来るまでが上り坂の曲道だったため、この先からしばらくは緩やかな降り道だ。置き去りにするバイクを一度振り返った京は、迷いを振り払うように頭を振って前を向くと、早足でコウの後を追った。

「…………ここだ」

 コウがそう言って足を止めたのは、京が覚悟したほど遠くではなかった。振り返ればまだ小さくバイクは見える。つけっぱなしにしていたライトが目印のようにか細く伸びていた。

「は?」

 素っ頓狂な声を出した自覚はあった。振り向かず、俯いているコウも、おそらく京の猜疑(さいぎ)は分かっているだろう。

 それほどに、ここには何もなかった(・・・・・・)。

「おい、コウ! ホラ吹くんじゃねえ! こんな、こんなとこで……!」

 あの人が事故を起こすわけがない。咽喉で引っかかったまま出てこなかった主張の通りである。そこは後方のカーブが冗談に思えてくるほどまっすぐで、道幅の広い道だった。

 竜兄がここで死んだ。

 言葉の意味が理解できても、納得が行かない。あの人ならば、それこそここでどんな大型のトラックがスリップを起こしたとしても、余裕を感じさせるハンドルさばきで避けられる。

「ド素人の運転じゃねえんだぞ……!? こんなとこで事故るなんて、そんなわけが……ッ!」

「事故だと言ったか?」

 冷ややかに、コウが言った。京が見返したときには、凍てつく夜の寒さよりも冷たい表情を向けて、コウが立っていた。

「俺がいつ、竜兄の死を、事故のせいだと言った?」

「なん……!」

 驚きで目を瞠ることしかできない。トラックとバイクの、出会い頭の衝突事故。運転手は双方とも即死。馴染みの警官に、京が直接聞いたあらましはそうだった。それも、行きずりの奴ではない。少年課の古株で、毎日のように渋谷に出入りしては京のような未成年が羽目を外しすぎていないかと見守ってくれるオヤジだった。行き過ぎていれば説教が待っているが、単にふざけているだけなら、よぉ、と機嫌よく挨拶をしてくれる仲である。成人して管轄外になってしまった竜矢たちのことも気にかけており、胸倉を掴んで教えてくれよと懇願する京のために、管轄外の調書を、わざわざ個人的に裁判所に出向いて詳細を調べたとまで言っていた。

 ワシも気になっとったんでな。

 そういって難しい顔をするオヤジは、意気消沈する京の肩を二度叩いて交番に帰って行った。

 それが間違っていたとは思えない。あのオヤジが嘘をついただなんて、京は微塵も思っていなかった。

 なんとか声を絞りだして訴えた京に対して、コウが返してきたのは肯定と否定の両方だった。

「そう書かれた調書と裁判記録なら俺も見た。大杉のオヤジの言ったことは嘘じゃない」

「だったら……!」

「間違ってるのは、その公的文書の方なんだよ」

 今度こそ、京はコウが何を言っているのか分からなかった。

 茫然と立ち尽くすしかない京に、コウは淡々と説明を始める。

「本当の現場はここだ。この、見晴らしの良い一本道。綺麗な月が見える、天気も良くて地面はきちんと乾いた日だった」

 事故などではない、とコウの紡ぐ「あの日」の状況が繰り返す。スリップひとつ起こすはずがない。事故など起こり得るはずもない。京ですら当然と思うほどの好条件。

「俺がここへたどり着いたとき、全てはもう終わっていた。竜兄はそこのガードレールに凭れて血まみれになっていたし、トラックは横転して、あっちに倒れていた」

 スッと指で指示した方向を見る。コウの目には、当時のことがありありと浮かんでいるのだろう。

 京はごくりと唾を飲んだ。このところ、誰かが揶揄のように言い始めた鷹のようなと表現される猛禽類の瞳をしっかと見開いてコウを凝視する。

 コウの言葉を、一言でさえも聞き逃したくなかった。

 それが、たとえ耳をふさぎたくなるような内容であっても。

「竜兄の怪我は酷かった。素人目に見ても、俺が駆けつけたときに死んでいておかしくなかった。なのに、あの人は、まだ生きてて、俺に……強くなれと、そう、言った」

 コウの声は、小さく、消え入るようだったが、京はじっと耳を傾け続けた。

「自分の、血の海の中で……、それでも、笑って……ッ」

 コウの手が宙に浮き、すぐに降ろした。拳をぐっと握り締める。網膜に焼き付いたであろう彼の笑みを思い出しているのだろう。ひとめも見ていないのに、京には彼の最期の笑みが、コウと同じように脳裏に映った。

 きっと、あの人は、駆けつけたコウを心配させまいと、痛みも何も悟らせない態度で笑ったはずだ。二カッと歯を見せて笑う、その顔を見るだけでどんなときでも大丈夫だと安心させるあの笑みを浮かべて、幸村竜矢という英雄は命を失った。

 コウはポケットの中のジッポを握った。銀色に昇り龍の細工が施されてあるそれは冷たい。血に汚れた指を動かして、最期に差しだしだされた竜矢の手の中にあったそれを、震える手で受け取った。

 あの日を思い起こさせる冷たさはコウの頭を冷静にさせる守り袋だ。

「〈ノアの方舟〉という新興宗教に見せかけた組織がある」

 ザリ、と音が鳴った。視線を上げた京から離れたコウが、ガードレールに向かって歩いていく。その足は人ひとり分の距離を空けて止まった。

「〈ノア〉の目的はこの世界の破壊だ。そしてそれを可能にする悪魔の薬を開発した」

「……その組織と兄ぃが、何の関係があんだよ」

 京は、竜矢のことを兄ぃと呼んでいた。

 そのことをコウは思い出した。

「薬の名前は、KANAN。お前が想像するのとは全く別物の、新種の薬物だ。こいつは条件さえ整えば簡単に人を殺す。竜兄は、この薬に殺されたんだ」

「待てよ、コウ! 兄ぃだぞ!? 『フォース』でクスリはご法度!! そう言ってたじゃねえかッ!」

 普段仲間に対しては温厚な竜矢が、決して許さないのが薬物の類だった。巷の良識的な不良の間では、「『フォース』に入りたい」がバイヤーに対する断り文句として流行したこともあるほどである。どれだけ気にかけていた者であっても、薬物に手を出したことが分かれば即刻制裁の上追放。その竜矢が薬物に手を出すことなど、この道で事故を起こすよりも考えられないことだ。

「兄ぃを侮辱する気か……!?」

 まさかと(いきどお)る京に、コウは軽く頭を振る。そんなことは、コウも一度も考えなかった。可能性として視野に入れていた穂に、決してあり得ないと反駁して譲らなかった。

「打たれたのは、トラックの方だ」

 きっぱりと、コウは言って、京の眼を見た。

 KANANの性質上からも、それは確信が持てた。KANANは不適合の場合、摂取してからすぐに死ぬ。適合した者が禁断症状で死ぬ場合、それが現れるまでの猶予がある。とすれば、あの日、コウが会って話したときには竜矢は薬を摂取した後であるはずだ。

 一欠けらの疑いもなく、コウは信じられる。

 お前も頑張れよと、そう言って自分を励ましてくれたあの人が、己の信念に反する真似をしていたはずがないのだ。

 それは、竜矢への信頼だけではなく、自分の目がそこまで節穴ではないという自負でもある。

「ただ、無関係ってわけでもない。竜兄は、KANANに関係する何かを運ぶ、運び屋だった」

 何を運んでいたのか、それは分からない。竜矢自身も知らされていなかっただろう。ただ、何か『フォース』への見返りに、荷運びをしていただけにすぎない。半ば意地のように探し尽くしたが、幸いにして竜矢が〈ノアの方舟〉の一員だったという証拠は見つけられなかった。

「竜兄の実家は、世界でも有名な大財閥だ。〈ノア〉は何かの拍子に組織の裏を知られることを恐れた。往々にして、力があるところには、独自の情報網や捜査網がある。竜兄自身が調べないとも限らない。怖かったんだろうな」

 静寂と薄気味悪い風が、二人の間を吹き抜けた。京の顔からは驚愕以外に読み取れない。無理はなかった。何せ途方もない話だ。

 人間社会から脱落した不良どもが集まる底辺の溜まり場のような場所で、必要悪にも似た小さな世界を守っていればいい『フォース』から繋がるには、規模が巨大すぎる。

 急には信じられるはずがない。理解できるはずもない。だが、コウは続けた。今ここで全てを伝える。考える時間は、また別にとればいい。

「警察にも、不審に思ったものはいたらしい。だが、それを上に報告したものは皆、次の人事で部署を変えられている。後日行われた裁判でも、加害者と被害者はともに死亡。目撃者はいなかったことになっていた。これ幸いとばかりに、早急に裁判は終了した」

 唯一の目撃者を、探すそぶりさえ見せなかった。聞き込みの詳細記録さえない。それはつまり、そういうことだ。

「竜兄は殺された。〈ノアの方舟〉の口封じに殺されたんだ」




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