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KANAN Ⅰ  作者: 真柴 亮
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約束 1



 特に待ち合わせもしていないのに、自然と足が赴く場所は同じだった。

 約束の九時。それを少し過ぎたあたりに、道の反対側から店へ向かって歩いてくるかつてのライバルの姿を認め、コウと京は互いに面映ゆい気分を誤魔化すかのように苦笑した。

 竹製の引き戸を開けて中へ入る。油が刺されてあるのか、ドアは軽い。手を離すと、自然に閉じた。重りでそういう仕掛けにしてあるのだ。前に来たときはなかったそれに、確実に過ぎている時間をまざと思い知らされる。

 年若いバイトの女性に案内された手前の席を断って、コウは大将に奥の席を使わせてもらえないかと頼んでみた。駄目で元々だったが、平日のこの時間である。空いていた二つの座敷のうち、コウは小さな座敷を選んだ。

 竜矢と最後に会った部屋であることが、京にはそれだけで伝わったのだろう。神妙な面持ちで中に入ったコウの後から、いつもは行儀の悪い京が靴を揃えて座敷に上がった。

 部屋の設えは変わっていない。

 季節の花として、南天が飾られているのだけが記憶と違う。あのときは福寿草だった。竜矢の新しい門出を祝うにふさわしい、黄色い花だったのを覚えている。

 思ったよりも躊躇いなく、コウは足を踏み出した。

 あのときと同じ椅子に座る。竜矢がいた所には、京が座った。それがしっくりと馴染むのは何故なのだろうか。

「お前、何頼むんだよ?」

 京の言葉に、コウは品書きを手に取った。居酒屋にお決まりのメニューが筆で書かれている紙は、日に焼けている。

「酒は?」

「やめておく。この後、連れて行きたいところがあるから」

 それがどこかは、言わずとも分かっただろう。居酒屋に来てどうかとも思うが、コウに倣いシラフでいようと酒が書かれた品書きを手放した。

 『フォース』のメンバーでは珍しく、二人とも酒に弱かった。飲みなれたことでいくらかはマシになったが、頭を鈍らせたいのでなければ、飲まない方が良い。

「なんか食おうぜ。俺は腹減った」

「俺はあまり……鳥の軟骨があるな」

 夕飯は食べてきたから、そんなに腹も減っていない。気の赴くままに応えると、京はため息をついた。

「まーたかよ……」

「なんだ? また同じものを見てたのか?」

「ああ……、もういいよな。ふたつ頼もうぜ、二人でひとつずつ」

「そうだな」

 年も酒の弱さも同じ二人は、何の因果か、注文するものもいつも同じだった。互いに意図したわけではないから、好みが似ているのだろう。気が付けば服装も似たデザインや色違いが多く、躍起になって互いをやめさせようとしたものだ。

 店のメニューにいたっては、口に出すタイミングと種類と順番も同じで、変えても一緒。まるで漫画にでてくる双子のようなそれに、幾度となく喧嘩をしていた。

 お陰で、似た者同士の犬猿の仲、と仲間からはからかわれていたのだが、突っかかって来ない所を見ると京も成長したらしい。

「変わってねえな。俺も、お前も……」

 フッと笑い、京が言った。変わらないと言った男の浮かべている表情に見覚えがない。こんな愁いを帯びた苦い顔を、あの頃の京はしなかったはずだ。だが、それを指摘するのも無粋な気がして、コウはそうだな、と呟くに留めた。

 運ばれて来た水を受け取る。注文は京に任せた。あれもこれもと言い並べられた品は、全てコウの好きなものばかりだ。京がコウに気を使うわけがなかったから、それらは全て、自分が食べたいものなのだろう。

「オーダー通りまーす!」

 最後に鳥の軟骨を二皿、と繰り返した従業員が、明るい声で厨房に去っていく。

 注文した料理が届くまではと、どちらも何も言わなかった。何を言えばいいのか分からなかったというのが正直なところである。一体、こいつと俺はどんな話をしていたんだったか。錆びついたかつての記憶をたどってみたが、思い出せたのは、そもそも二人きりで会って話などしたことがなかったという事実だけだった。

「…………食うか」

 どうしようもなくなった京が、やってきた鳥の軟骨二皿を見て呟く。割り箸を二膳取り出したコウが、ひとつを差しだして京に渡した。

「最近、どうなんだ」

 揚げたての鳥の軟骨をひとつ口に入れたところで、コウが尋ねた。つまみにすることを前提として作られただけあって、絶妙な塩加減である。カリッと噛んだ拍子にじゅわっと溢れてくる肉汁を舌の上で転がしながら、京は眉を寄せた。

「あー……まあ、そこそこ」

「だろうな」

 渋面の京に、あっさりと頷く。東京に薬物のバイヤーが増えているということは、渋谷にも当然影響が出ているだろう。穂から聞いていたコウにとっては別段驚くほどのことでもない。そして、コウが京から聞きたかった話は、今のところその件ではなかった。

 困った顔をしていると、揚げ出汁豆腐に枝豆と、次々といろんな皿に箸をのばしていた京がプッと吹き出した。

「悪ぃ、悪ぃ。分かってるって。お前が聞きたいのは『フォース』のことだろ?」

「……分かっていたならさっさと話せ」

「んなこと言うと、何にも教えてやらねえぞ」

 強気に言い返すが本気ではない。それが分かっているからこそ、コウは何も反応を示さずに京の言葉を待った。

 言い返すと喧嘩になるのが分かっているからこそのコウの対応に、京は何から話そうかと視線を彷徨わせる。

「お前さ、前の『フォース』にいた人らが、今なにしてるか知ってるか?」

「幹部級なら全員調べたが、仁さんしか確実には分からなかった。ナオさんは、お前を捜しているときに目撃情報だけを聞いているが……」

「そんなもんか。あと俺が把握してる人で言えば、藤さんかな。ちっと間が悪い時に暴れちまったもんで、檻ん中に入っちまった。もう出て来てるらしいけど、今は何してるか分かんねえ」

 他にも何人か、連絡を取ってみようと思えばできないことはないが、わざわざ躍起になって探し回ることでもないと何もしていない。

「俺もよ、まあ、荒れてたんだわ。藤さんと一緒になってよ。俺が捕まんなかったのは運と言うか、たまたまなんだけどよ」

 今から一年程前のことだ。秋の終わりに、『フォース』の初代リーダーだった幸村竜矢が死亡した。彼を慕い、よすがにしてきた夜に住みつく若者たちは、こぞって嘆き悲しみ、『フォース』が崩れたことで渋谷は荒れに荒れた。当初最も渋谷を荒らしていたのは、自暴自棄になった藤尚太が率いる元『フォース』のメンバーで、京もその中のひとりだった。

 後追い自殺を図る者も多くいた。最期の死に場所に渋谷を選ぶ者は多く、一時は毎晩警官たちが治安維持を名目に渋谷のあちこちを見張っていたものだった。

「そしたらよ、半年前くらいだったかな。落ち着いた頃……って言っても、皆疲れちまって、馬鹿やる気力もなかったんだけどな。俺んとこに、仁さんが来たんだよ」

「仁さんが?」

 藤もいなくなり、街中が荒んでいた。苛立つ毎日はやりきれず、気晴らしに暴れてもスカッとするのはその一瞬だけで、振り返ったときにはもう人生が嫌になっている。

 周りに居たはずの人はおらず、自分さえ見失いかけたような頃だった。

「まあ、その、なんだ。『フォース』継げって、言われたんだわ」

 詳しいことを、京は語らない。半年も前のことを、覚えているわけもなかった。どうせ自分は馬鹿だという自覚がある。それから考えに考えて、竜矢の遺志を継ぐと決めてからがむしゃらにやってきた。京のなけなしの脳味噌にあるのは今のことで、今となってはぼんやりとしか思い出せない。

 コウに話せるほど覚えていることといえば、いつになく仁が真剣な顔をしていたことと、お前が『フォース』を継げと言われて驚いたことくらいだった。

「そうか、あの人が……」

 伸びた髪を無造作に束ねて、明るく笑っていた先輩を思い出す。高校進学を期に、本格的にダンスを習うため、単身京都から東京へやってきたという彼は、耳慣れないけれど優しいイントネーションで話す温かな人だった。

「おお」

「……うん」

 聞きたいことはいくつもあったが、それらは今聞きたいことではなかった。互いに奇妙な相槌を打つだけで黙り込んでしまう。

 机の上の皿はほとんど空になり、時間がかかると前もって言われていたカマスの塩焼きがちょうど届いた。ついでにご飯大盛とたこわさを追加注文した京は、頼んだ品のひとくちたりともコウに分け与えるような真似はせず、自分の空腹を満たすために箸を握る。

「…………駄目だな」

「あ?」

 追加注文が早々と届き、白米を掻きこもうとしていた京は、大口を開けたままコウを見た。

「お前とどうやって馬鹿やってたか、忘れた」

「あー、そういう?」

「ああ」

 せめて会話の仕方くらいは思い出せないかと思っていたが、無駄だった。伝えなければならないことはたくさんあるのに、話したいことが何ひとつ出てこない。

「そりゃ、しゃあねえだろ」

「え?」

 ガリッと頭を掻いて、京が言った。背中を丸めてたこわさを摘まむ。塩焼きの皮を指でつまみ、不器用な箸使いで身をほぐす。

 だらけたその態度を眺めながら、コウは続きの言葉を待った。

「お話しましょーなんてガラじゃねえだろ、俺もお前も」

 口下手なのには自覚がある。そして、何かと理論的に合理的に話したがるコウを相手に、馬鹿を自覚している京が振れる話なんてない。

「それによぉ」

 こんなことを言うのもガラじゃないと言いたげに、京はドレッドヘアの頭をガリガリ掻いた。

「言いたいことねえなら、黙ってろよ」

 無理に話す必要はない。

 それはきっと、竜矢に教えてもらったことだ。既視感のある台詞にフッと落とすような笑みを零して、コウは素直にそうだなと頷いた。

 黙ってみると、存外悪くないことに気が付いた。

 前まで眉を顰めていた京の箸の持ち方も、ずずっとすするようにコップに口を付ける行儀の悪さも店の中の音と混ざってあまり気にならない。

 それからしばらく、会話を探そうともしない沈黙が続いた。その間に京は全てを食べ終わり、ジョッキになみなみと入っていたウーロン茶も飲み干してしまう。

「はーっ、食った食った! ごちそうさん!」

 満足した京が座敷の上に後ろ手をついて、だらしなく仰け反っても沈黙は続いた。

 ぼんやりと窓の外を眺めているコウに気付いて、京は声をかけようとしてその言葉を失った。

 見たこともない、沈痛な面持ちで、コウは輝く月を見ている。頬杖をついて、小さなはめ込み窓から見上げた先に何が見えるというのだろう。

 食卓に肘をつくな、なんて、行儀の悪い京をねめつけていたのはコウだったというのに、それを揶揄うことすらできない。

 下手に話しかけたら、何かが壊れてしまう気がした。

 それでも、これ以上黙っていれば、過去にとらわれてしまう。得体の知れない恐怖に襲われた京は、出来うる限りそっとコウに呼びかけた。

「……………………コウ?」

 コウは、微動だにせず、黙って月を眺めている。

 遠い眼で、コウの心は今、どこにあるのだろうと、京は思った。

「…………あの日も、」

 不意に、コウが口を開いた。それは、考えて話しているというよりも、溢れてくるものを口から滑らせているだけの動作だった。

「こんな、月が出てた」

 けれども、その内容はきっと、竜矢を知っているものならば誰もが聞きたがるものだ。そう直感した京は、黙って、コウの端正な顔を見つめた。

 淡い月明かりが、コウの顔を照らしている。

「あの人はあの日……」

 相槌の打ち方さえ分からずに、京はじっとコウを見つめる。

 アルバイトが空になった二人の皿と酒を認めて追加を聞きに来たが、京はそれをそっけなく手を振るだけで追いやった。

「竜兄らしく、笑ってたよ……」

 コウが言えたのはそれだけだった。

 恐ろしいほどの沈黙があり、二人はそれぞれに動かなかった。

「……そう、か……」

 沈黙を破ったのは、京だった。

 竜矢が死んだ事実は悲しくても、最期が立派だったということは、彼を尊敬している者には誇りとなる。

「あの人は、いつだって自分を犠牲にしてまで他人に世話を焼く。悪ぃ癖だぜ。……俺が、兄ィに会ったときも、そうだった」

 京がフォースに入るきっかけは、聞いたことがなかった。そうだったのか、と思い、コウもそうだったと思いだす。きっと誰にでもそうだったのだろう。

「……きっと、誰よりも竜兄は脆かったんだろうな……。だからこそ、人の痛みを誰よりも知っていた」

 人生における最大の悩みを、好奇心や薄っぺらい同情なんかで傍による人間には、話そうとも思わない。

 コウの高い矜持は、竜矢だからこそあっさりと解いたのだ。

 二人は、それ以上何も語らなかった。

 語らずとも、互いの考えていることは分かったし、言葉にすればそれは浅いものにしかならないことを、二人は知っていた。

「……なんか、しけちまったな。そろそろ出るか」

 京の声に、コウは無言で従った。




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