最愛 2
玲の最愛は妻であるが、可愛い二人の息子のことを愛していないわけではない。穂の存在が際立ちすぎているために、彼の主観を見れば二番手に甘んじているが、世間一般の基準から見ればおそらく溺愛の部類に入るだろう。
徹夜明けで帰ってきた両親を出迎えるパジャマ姿の末息子を抱き上げて、朝の挨拶にと頬にキスを贈る姿は、どうみても子煩悩な父親である。
「おはよう、友生。昨日はよく眠れたかい?」
「おはよう、パパ! お帰りなさいっ! お仕事お疲れ様でした!」
ぎゅうっと首筋に腕を回し、お返しのキスをしながらきゃっきゃと声を立てて笑う。そんな弟の後ろから現れたのは、早々と制服に着替えてエプロンをつけた上の息子だ。
「父さん、おはよう」
「おはよう、るい」
「ユイ、こっちにおいで。父さん、疲れてるんだから」
柔和に笑いながらやってきて、弟を父の腕から引き取った。大人しく降りてきて兄の腕に抱き寄せられたユイは、一日ぶりに父親に会えた喜びで上機嫌だ。玲がるいの頭を撫でているのを見て、にこにこと笑っている。
「留守の間、ご苦労様だったね」
「父さんもね。母さん、おはよう。朝ご飯にパン焼いてるけど、卵はどうすればいいの?」
我が家ではなかったが、安全圏に帰ってきたことで眠気と戦っていた穂は、声を掛けられてようやく頭を働かせた。るいと玲のやりとりが夫婦みたいだったなぁ、なんて感想を聞けば玲が驚くだろうが、睡眠不足の頭では碌な思考があるわけがない。
「んー、何でもいいやぁ。るいは何が食べたい?」
「ユイが、パンをココアに浸して食べたいって言ってるから、オムレツかなぁ」
最近見たアニメ映画の影響で、パンに目玉焼きを乗せて食べるのがユイのブームだった。今日はその食べ方をしないのだったら、久しぶりに目玉焼き以外が食べたい。
るいの希望に否やがあるはずもなく、穂と玲は揃って、じゃあそれで、と答えを返した。
「オムレツ! ボク、卵割りたい!」
「いいよ。じゃあ、着替えて、手を洗って来てくれる?」
「はーい!」
元気に返事をしたユイは、するりと兄の腕から降りて奥の寝室に走って行く。自分も着替えようと後を追いかけるのは穂だ。玲は防寒着をハンガーにかけて身軽な姿になるだけでリビングに直行する。
「コウくんは?」
「オレが起きて来たのと入れ違いに仮眠に行ったよ」
「なるほど」
姿が見えないと思ったら、警備代わりに一晩中起きていたらしい。思わぬ方向性での律儀さに納得しつつ、腕まくりを始めた。
「さて、パンとオムレツは君たちに任せるとして、僕は穂のリゾットでも作ろうかな」
「あれっ、母さんの分もパン焼いちゃったよ?」
「大丈夫。多分それも食べるから」
お腹空いてるだろうからねとウインクをすると、るいは安心した顔を見せた。
「ココアも僕が担当しようか。るいと友生は甘く、だね?」
「うん、お願い」
この家で甘党なのは男三人の方だ。取り出したマグカップに、砂糖を入れる手つきは迷いがない。子どもたち二人にはたっぷりと、穂にはひかえめに、実に無造作に見えて、玲が作るココアの味はいつも同じおいしさだった。
機嫌よくリゾットを作り始めた玲の後ろで、るいはオムレツの用意をする。ボウルと卵をセットし終わったところで、洗ったばかりの手を広げて見せながらユイがやってきた。
「るい兄、手、洗ったよー!」
「卵はここだよ、ユイ。手伝わなくて大丈夫?」
「大丈夫っ!」
小さな拳を握って、やる気をアピールする。時間をかければ失敗しないだろうことは分かっているので、るいも安心して弟に任せることにしたらしい。目を離した息子の代わりに、玲はユイの危なっかしい手つきをこまめに見張ることにした。
二人で料理をしたのは、いつだっただろうか。いつの間にか兄を一番にしてしまった彼とは、二人きりでじっくり付き合うことがなくなった。今度、暇ができたら一緒に穂にあげるお菓子でも作ってみようかと考えながら、殻を潰さずに卵を割れるようになっていた息子の成長を喜ぶ。
るいに褒めてもらおうと、くるりと振り返ったユイと目が合って、玲はにっこりと笑って見せた。
「上手に割れたね、友生」
褒める相手が父では不服だろうか。玲の心配は杞憂に終わる。虚を突かれた顔をしていた子どもの顔は、嬉しさに歪められ、満面の笑みで元気に頷いた。
「うんっ! あのね、るい兄が割り方教えてくれたのっ」
子ども特有の甲高い声で説明しながら、ユイはもう一度卵を割って見せた。ボウルを覗きこんだ玲に、ほら、と誇らしそうな笑みを向けてくる。
玲は、リゾットのための鍋が焦げ付かないようにとろ火にして、しばらく息子が卵を割る作業を眺めることにした。
部屋着に着替えて戻ってきた穂が、そんな父と子の様子をぼんやりと眺めている。その目が優しく細められているのを見て、玲は満足そうに頷いた。
「穂、リゾットはえびがいい? それともベーコン?」
「んー、ベーコンで」
「OK。チーズもたっぷり入れるね」
ひょい、と背を屈めてこめかみにキスを落とす。ほんの一瞬のそれは、穂が咎めるよりも早くにキッチンへ戻っていったために甘受してもらえたらしい。
チーズと言っておきながら、その手を伸ばすのは野菜を保存するラックで、ジャガイモを取り出している。小さくさいころ切りにされたポテトを入れるのが、穂のお気に入りだ。玲は何も言わなくても、穂が好きな具材がたっぷり入れて、穂の舌に合わせたものを作ってくれる。
遠目に料理する玲を眺めつつ、その手前には愛してやまない子どもがふたり、協力しながらオムレツを作っている様子は、幸せ以外の何物でもないだろう。
「あー……」
眠さに負けて目を閉じる。耳から流れ込んでくるキッチンの音は、ちょうどいい子守歌のようだ。これを守るために頑張るのだと、穂に思わせてくれる。
とりあえず。
「とにかく、あのやろーは、ぶんなぐる……できれば、さんぱつくらい……ぜんりょく、で……」
ぽやぽやとした声で、物騒な決意表明を寝言のごとく呟くのは子どもの教育上やめてほしいなぁ、と思いつつ、玲はうとうとし始めた穂の肩に、ブランケットを持ってくるのだった。