第97話 新年の祝賀パーティー②
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年明けまであと二週間という頃の朝に、皇太子が爆弾を落とした。
「ティア。年明けの事だがな。二人で新年の祝賀パーティーに出席する事になった」
寝耳に水である。
アリスティアは目を瞠り、暫し呆然とした。
朝食のスープが、口元に運ばれているのにも気が付かず、すみれ色の瞳に驚愕と困惑の色を湛えてルーカスを見つめた。
何度か瞬きを繰り返したあと。
「どういう事ですの⁉」
と叫んだ。
「二週間前に、皇妃に呼び出されてな。いい加減、皇太子の義務として新年の祝賀パーティーに出ろと諭された。その際、ティアをパートナーとしてエスコートしていい、トラウマに関しては我に護れと言ったのだ」
「にっ、二週間前ですって⁉ ルーカス様、決まったら直ぐに教えてくださいまし! 今から仕立て屋を呼んでも、時間的にぎりぎりですわ!」
真っ青になって震えるアリスティアに、ルーカスは悪戯が成功した子供のような、嬉しそうな笑顔を見せ、
「ティアのドレスなら、既に竜の国の仕立て屋に発注済みだ。今日、仮縫いが終わった物が届く筈だ」
とのたまった。
その言葉にアリスティアは脱力した。
一体いつの間に採寸されたんだろう、と考え、そう言えば二週間くらい前にマリアたち専属侍女に採寸されていたな、と今更ながら思い至った。迂闊である。
「仮縫いのものを着てみて、細部の微調整ですのね。わかりましたわ」
声が刺々しくなるのは許して欲しい。知らないうちに採寸されドレスを発注されていたのだ、機嫌がいいはずも無い。
「それで、何時頃に仕立て屋は来ますの?」
「予定では九時頃だな」
「早いですわよ⁉ 今八時半ですから、もうすぐではありませんか! 早く朝食を終わらせないと!」
慌てて食べようとしてスプーンを手にとったのだが、それを横から取り上げられた。
ギクリとして見上げると、ルーカスの笑顔があった。ただし、その目は笑っておらず、アリスティアを責めるような色を宿している瞳が、彼女を射竦めた。
「ティア? 給餌は半身の雄の特権だと言ったであろう?」
「はい。ごめんなさい」
両手を上げて全面降伏しか道はない。アリスティアは、涙目で給餌を受ける羽目になった。
元々膝抱きの時点で自分で食べるという選択肢は与えて貰えるはずが無い。
たまには自分で、とは思うが、口に出すとルーカスの機嫌が悪くなるし、エルゼ宮内での給餌は既に慣れてしまっていて恥ずかしいとも思わなくなっていたので、今回の自分で食べようとした行動は事故でしかない。
そう、動揺してしまったからだ。
ではその動揺が誰から齎されたのか、と考えると、思考の迷宮に嵌まり込みそうなので、その辺は考える事を放棄した。
朝食のゆで卵(鶏ではなくケイトという鶏に似た歩行鳥の卵を茹でたもの。鶏卵より大きい)のスライスをフォークに乗せ、口元に持って来る。ルーカスはそれをアリスティアに食べさせつつ、じっと様子を窺う。
口の中の水分が足りないなぁ、とアリスティアが考えたら、ハーブ水の入ったグラスが口元に持って来られ、唇にグラスを当てられた。反射的に口を開け、グラスが傾けられて水が流し込まれる。それをコクコクと飲み、顔を少し上向きに傾けると、グラスは口から離された。
万事がこの調子で、ルーカスは徹底的にアリスティアに給餌行為を続ける。
それに数年かけて慣らされたアリスティアは、水分まで飲まされる給餌行為などあり得ない事を知らない。アリスティアは残念ながら竜族ではないし、マリアも嬉しそうに給餌する竜王を見ると、アリスティアに教える気は起きなかった。
「ティア。よく食べたね」
皇太子はそう言ってアリスティアの口元をナプキンで拭う。
アリスティアだってこんな甘い声で囁く様に耳元で言われると、慣れたとは言え少しは恥ずかしいと感じる。
更に、ただ朝食を食べただけなのに、それがとても良い事をした様に言われ、毎回額に口づけされると──なんだか落ち着かないのだ。心臓が痛いほど鼓動を刻み、擽ったい様な、切ない様な。そんな気持ちにさせられて、変な表情になってしまう。
「せっかくの可愛い顔が、そんな表情をしていると台無しになる。ティアは笑顔でいるのが一番だよ」
ああ、まただ。またルーカスは甘い言葉を吐く。あんなのを、誰にでも言うのだろうか? と考えたら、心臓がぎゅっと引き絞るように痛んだ。これはなんだろう? ぼんやりと考えるが、ちっともわからない。
わからないのは、あとで調べればいい。そう結論を出して、思考の彼方へ追いやった。
時計を見ると、九時になろうとしているところだった。
仕立て屋が来る。
そう思った時に、執事長のバルタザールが入ってきて、仕立て屋の来訪を告げた。それに対してルーカスは応接室へ通す様に言いつける。
ルーカスは、以前も傲慢な様子があったけどここまでではなかったな、とふと幼い頃の事を思い出す。もっと子供らしいところがあった気がする。
それが明らかに変わったのは、アリスティアを助け出しに来てくれた時、竜王に覚醒したあとだったな、と記憶を引きずり出しそうになり、瞬間、悪寒がしてぶるりと震え、その記憶に蓋をした。
しかし、アリスティアの変化を見逃すルーカスではない。
「どうした? 具合でも悪いのか?」
そう問いかけてくる。
どうしようか、と一瞬躊躇し、しかし隠すとまた面倒な事になると思い至り、正直に話す事にした。
「ルーカス様の執務室に出仕し始めた頃の事を思い出していましたの。まだ子供らしい時があったな、と。それが明らかに変わったのは、竜王への覚醒が済んでからだったな、と考えていたら、嫌な記憶を思い出しそうになりましたの。すぐに蓋をしましたけど」
「嫌な思い出──ああ、あれか。思い出さなくていい。忘れていいのだ」
ルーカスはアリスティアをそっと抱きしめる。そして言い聞かせる様に囁く。
「我が必ずティアを守る。だから大丈夫だ」
と。甘やかに、しかし力強く。
その言葉を聞くだけで、アリスティアは安心する。ああ、大丈夫なのだ、と。
☆☆☆☆
「皇太子殿下。仕立て屋が待っております」
バルタザールの声で、アリスティアははっと現在の状況を思い出した。
「少しくらい待たせて置いても構わぬ」
ルーカスが少し不機嫌そうに言うのへ、アリスティアは口を出した。
「だめですわ、ルーカス様。約束した時間は守らねばなりません。急ぎましょう?」
急ぐと言ってもアリスティアはルーカスの左腕に座らせられて抱き上げられているので、自力での移動は不可能なのだが。
それでも時間に誠実でありたいアリスティアは、ルーカスにお願いした。
「ティアがそう言うのなら」
ルーカスはそう言って、応接室に急いでくれた。
☆☆☆☆
応接室に入ると、初老の女性と、若い女性と中年の女性が数人いた。
「遅くなって申し訳ありません」
アリスティアがそう言うと、女性たちは驚いていた。なんだろうか、と小首を傾げたら、
「貴族の女性、況してや竜王陛下の半身様に謝罪を頂くなど、思いもよりませんでしたわ」
との事だった。
「時間に遅れたのだから、謝罪するのは当然ではありませんか」
とアリスティアが言うと、ルーカスが、
「貴族はして貰って当然、遅れても相手が格下なら待つのは当然、と考えるのだ」
と教えてくれた。
「それって傲慢な考え方ではありませんの? 相手も同じヒトですのよ? 時間はお金と同等ですのよ。その時間をわたくしたちが徒に浪費して良い訳がありませんわ」
そう、時は金なり。時間はお金と同等なのだから、貴族側の都合で浪費していい訳がない。その時間があれば、またいいアイデアが生まれたり、別の利益を享受できたりする筈なのだから。
しかし、それはアリスティアが前世の民主主義の世界を知っているから出た考え方であって、絶対王政の世界では異質な考え方なのも承知してはいた。
「ティア。その考え方は、ここでは馴染まない。民草を慈しむのはいいが、身分を弁えなければ平民は死を与えられる。それがこの世界の理なのだ」
ルーカスの言う事も理解できる。貴族が平民の生活を支えているのだから。
平民が貴族の生活を支えているのと同時に、貴族はその豊かな財を使う事によって、平民へお金が回るようにしている。
そうやって、お互いが無くてはならない存在になっているのだから。
もちろん、貴族には傲慢な者が多く、必要以上に平民へ権力を振りかざす者もいる。その権力で、理不尽な要求をする者も多く、皇都騎士団や皇国騎士団への陳情も多かった。
ため息を吐いてしまう。
せめて平民を理不尽な搾取から遠ざけたい。自分の前世が庶民だから、余計にそう思ってしまうのだろう。
「ティア。また余計な事を考えているな?」
思考のループに陥りかけたアリスティアを現実に引き戻したのは、彼女を腕に抱き上げて様子をじっと窺っていたルーカスだった。
「ごめんなさいませ、ルーカス様。現実と理想が掛け離れていて、少々やさぐれかけておりました」
「やさぐれる⁉」
ルーカスが酷く驚いた顔をしている。そんな顔でも美形は美しいなんて得だな、などとやくたいもない事を考えつつ、
「わたくしだって、自分の言っている事が理想であって現実にそぐわない事ぐらい理解していますわよ? 現実は、酷く厄介で色んな柵が絡み合い、それが世間で闊歩しているものだとも理解できていますわ。それでも、理想を追い求めたかったのです。ルーカス様にバッサリ切り捨てられましたけれど。だから、やさぐれかけていたのですわ」
ルーカスには理解できないだろう。前世持ちとはいえ、ルーカスは前世も竜王だ。今生はフォルスター皇国の皇太子とはいえ、価値観が固定されている。
その証拠に、ルーカスは困惑している様子だ。
いや、こんな事を今話していても仕方ないではないか。それこそ時間の無駄だ。
アリスティアは考えていた事を振り払うように頭を振ると、ルーカスに向かって言った。
「そんな事よりルーカス様。ドレスの細部を詰めませんと」
にこりと微笑めば、ルーカスはそうだな、と言ってアリスティアを降ろしてくれた。
☆☆☆☆
ドレスはAライン、全体的に淡い黄色のオフショルダーで、胸元には金糸で縁を縫いとった白い月桂樹の花のコサージュが一つ。月桂樹の葉で作られた月桂冠は皇太子の紋章で、それに準じた月桂樹の花も皇太子紋の一種になる。
ウエスト部分にはドレスと同色の帯が巻かれ、それが後ろに回って大きなリボンとなり、可愛らしさを引き立てていた。
スカートには白いレースが覆っていて、それも可愛らしさを演出する。
デザインといい、演出といい、アリスティアは大変気に入った。
そのドレスを着て、仕立て屋の女性たちにあちこちを点検される。
彼女たちにしてみれば、『竜王陛下の半身』であるアリスティアの衣装だから、いくら完璧を求めても足りないのかもしれない。
ルーカスは着換え終わってからまた室内に入り、アリスティアのドレス姿を見て満足そうに目を細めていた。
「細部の微調整をして、仕上げてからお届けに上がりますわ」
マダム・ラウラという仕立て屋の女主人は、ルーカスにそう告げるときれいなカーテシーを披露した。
「いつ届けられる?」
「三日後にはお届けできます」
「重畳。では三日後に待っていよう。無理はするなよ」
「勿体なきお言葉、恐縮にございます」
マダム・ラウラはその後、下がる許可を貰い、数人のお針子を連れて帰って行った。
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