第89話 学園祭④
いつも誤字・脱字報告、ありがとうございます。
とても助かります!(*^^*)
剣術試合は、エルンストが優勝、二位と三位は二年生の下位貴族クラスの生徒だった。
意外にも、剣術などは高位貴族の子息よりも、下位貴族の子息の方が強い者が多いらしい。
高位貴族の子息は、嫡男以外でも高位貴族の後継令嬢への婿入りや、親が持っている別の爵位を継ぎ、領地も分けて貰えたりする。だから剣術なども嗜む程度に習う者が多いらしい。
反対に、下位貴族の子息は親の持つ別爵位など宛にできないから、何かで身を立てないと人生が詰むため、大抵は騎士団入りをし、騎士になる事を目指す。
だからがむしゃらに鍛錬をし、強くなる様に努力する。人生がかかっているのだから、真面目に努力するのだろう。
そう教えて貰った。教えてくれたのは、クリストファーだ。
クリストファーは、今、エルナードと一緒に騎士団の訓練に参加し、皇太子の万が一の際の護衛になれる様、剣術の鍛錬をしているから、その縁で知り合った下位貴族出身の騎士から聞いたらしい。
もちろん高位貴族出身の強い騎士もいるんだけどね、とはクリストファーの言葉だ。
今、皇太子は仮設の壇上で優勝者から三位までの生徒への表彰及び報奨金授与がある。
優勝者はエルンスト皇子だから、表彰はともかく賞金は辞退するか受け取ったあとどこかに寄付するだろうと予想していた。
果たしてエルンストは、理事長である皇太子に賞金の辞退を申し出ていた。それを皇太子も了承する。
二位と三位の二年生には表彰と賞金授与が普通に行われ、ネルヴァ近衛騎士団総長の挨拶で剣術の模擬試合は幕を閉じた。
☆☆☆☆
アリスティアはまた皇太子に抱き上げられていた。
皇太子の左腕にアリスティアが座らされている形である。
一一歳になり、身長も一五〇㌢を超えているのに相変わらず謎な──いや、正体が竜王だという事を考えれば妥当かもしれない──力強さで安定して抱えているのだから、抱かれているアリスティアとしては文句は言いたいがその口も閉じてしまうというものである。
「あの、ルーカス様? 恥ずかしいのでおろしてくださいませんこと?」
「ならぬ。私がティアを甘やかしたいのだ。諦めよ」
アリスティアは先程から顔が赤い。剣術の模擬試合が終わり、制服に着替えて廊下に出た途端に抱え上げられ、そのまま移動しているから大変目立っているのだ。顔も赤らむと言うものである。
逆に皇太子は先程から上機嫌のように見えていた。
「諦めたくはありませんわ! あの、淑女ならこんな抱えられて移動なんてしないはずですもの。甘やかされたらダメ人間になってしまいますから、どうかおろしてくださいませ!」
言葉を重ねて皇太子に意見してみるが、皇太子は彼女の言葉を聞き流している。
「ティア。ただ我に甘やかされよ」
突然耳元に顔を近づけたと思ったら、皇太子はそんな事を低音の魅力的な声で囁いてきた。
その破壊力に、アリスティアの顔どころか首元まで一瞬で真っ赤に染まる。彼女は慌てて右耳を手で押さえた。
「なななな、何を仰られますの⁉」
皇太子はそんな彼女の様子を見てくつくつと笑い、
「だから、ティアはただ我に甘やかされておると良い、と言うた。まだ子供ゆえ、な。ティアは急いで大人になろうとしている節が見られる。まだ一〇歳だというのに飛び級で高等科に入るよう命じた我が言うことではないかもしれぬがな」
だから甘やかしたいのだ、と言われてしまえば、アリスティアは黙るしかなかった。
ルーカスはあちこち見て回っていた。
ただし、その左腕には常にアリスティアを座らせている状態だ。
その為か、皇太子はかなり機嫌が良く、校内の展示物を見て回っている途中に会った、外部招待者の騎士団の役職者や大臣連中などとも穏やかに話していた。
途中、奇妙な視線を感じたものの、アリスティアはいつもの事だと気にも止めなかった。
実際は、皇太子のアリスティアへの溺愛ぶりを見慣れている二年生から送られてくる生温かい視線であったが。
だがそこに、有り得べからざる客人が現れた。
「フォルスター皇国皇太子殿下、お久しゅうございますわ。わたくし、こちらに留学する事になりましたの。時期はまだ調整中ですけれど、なるべく早く、とお願いしておりますのよ」
「…………ああ、海を隔てた向こうにあるイグラシア王国の王女だったか」
微妙な間があったが、思い出したらしい皇太子の言葉に、イグラシア王国王女が破顔した。
「覚えてくださってて嬉しく存じますわ! イグラシア王国第三王女、エステファニア・ルピタ・バルガス=イグラシアですわ! ティファ、とお呼びくださいませ」
周囲が驚愕する。
イグラシア王国は、海を隔てた島国で、国土面積はフォルスター皇国より狭いものの、算出する資源は多く、更に海に囲まれているため漁業も盛んで、それらを材料として、或いは加工して輸出する事で外貨を稼ぎ、国力は周辺国随一となっていた。
その外国の要人が、なぜ一人で、と思ったところに、「エステファニア様!」と呼ぶ一団が近づいて来た。
「エステファニア様、一人で、はな、れては、いけない、です」
辿々しく話すのは、こちらの言葉に慣れていないのだろう、侍女らしき少女だった。
「マルシア、だって殿下がいらっしゃったのだもの」
「それでも、だめ、です。エステファニア様、は、イグラシア、おうこく、のおうじょ、なのです」
「煩いわよ、マルシア。
ねえ、ルーカス殿下。わたくし、今来たばかりですの。案内していただけますかしら?」
侍女の少女をすげなく切り捨て、イグラシアの王女はルーカスに向き直り、その碧玉の瞳に媚を浮かべて皇太子の空いている右腕に縋ろうとした。
だがルーカスはそれを躱し、アリスティアを殊更大事そうに両腕で抱きしめ、頭にキスを落としてから言った。
「イグラシア王国第三王女。私は今、この愛しい婚約者を連れて歩くので忙しい。申し訳ないが、学園祭を見て回るならば案内は別の者を用意しよう」
バッサリである。いや、それはいい。今、皇太子はなんと言ったか。思考は皇太子から吐かれた言葉の衝撃に乱され、明確な形を取れなかった。
「まあ。ルーカス殿下が抱き上げていたこのちんちくりんは、殿下の妹姫ではごさいませんでしたの」
イグラシアの第三王女からさらっと吐かれた毒と、向けられた敵意に、乱れていたアリスティアの思考がクリアになる。
と同時に、明確な怒気がルーカスから漏れ出た。
まずい。国力で言えばイグラシア王国の方が上である。更に輸出される鉱山資源やその技術力で作られた加工資源はフォルスター皇国にとって簡単に切り捨てられて良いものではない。もし敵対するような事があれば、フォルスター皇国の国益に大いに打撃となる。
「ルーカス様。わたくしは大丈夫ですわ。一人でも回れます。ですから、イグラシアの第三王女殿下をご案内差し上げてくださいまし」
今、事を荒立てれば不味いのだと、伝わってほしいと願い、ルーカスの顔を手で挟んでこちらを向かせ、視線をルーカスの金色の瞳に合わせた。
「……ティアがそう言うのなら」
暫く見つめ合ったあと、皇太子は不承不承、ため息を吐きつつそう答えた。
「だが一人でティアを回らせる訳には行かぬ。私がここで一番信頼出来る護衛をつけよう」
顔を歪めつつそう言うと、皇太子は久々に指をパチンと鳴らした。
途端にその場に現れた、いや呼び寄せられたのは、アロイス・イーゼンブルクだった。
「おや、お呼びですか、り──ルーカス殿下?」
おそらく、竜王、と呼びそうになったのだろうアロイスは、僅かの間を置いて言い直した。
「アロイス・イーゼンブルク。ルーカス・ネイザー・ヴァルナー・セル・フォルスターが命ずる。我が婚約者、アリスティア・クラリス・セラ・バークランドをその命に代えても守れ」
「ルーカス様! その命令は」
「御意。委細承知」
アリスティアが言いかけた途中で、アロイスはその場で跪き、深々と頭を垂れた。
その様子を窺っていた周囲が息を飲む。
皇太子が発した命令。自分の姓名をもって、明確に命を差し出せと命じるそれは、最上級の命令である。
更に。
「ダリア・スレイシア・セラ・レシオ。ルーカス・ネイザー・ヴァルナー・セル・フォルスターが命ずる。アリスティア・クラリス・セラ・バークランドを、その命に代えても守れ」
「御意。この命に掛けてもアリスティア様を守らせて頂きます」
「カテリーナ・ワイト。ルーカス──が命ずる。アリスティア・クラリス・セラ・バークランドを、その命に代えても守れ」
「御意」
「ユージェニア・ティゲル。ルーカス──が命ずる。アリスティア・クラリス・セラ・バークランドを、その命に代えても守れ」
「御意。我が命、アリスティア様の物であります」
次々と発される最上級の命令と跪いて何の躊躇いもなく受諾する姿に、しかし周囲は奇妙な事に気がついた。最初のアロイスという青年とダリアという近衛騎士らしき女性騎士以外は、最上級命令なのに皇太子の名前だけで、姓名を名乗っていない。これはどういう事なのか。
しかしその疑問に答えが与えられる筈もなく、皇太子は更に指をパチンと鳴らし、一人の近衛騎士、いや、近衛騎士団総長を呼び出した。
「ネルヴァ近衛騎士団総長。ルーカス・ネイザー・ヴァルナー・セル・フォルスターが命ずる。近衛騎士団第一連隊第二大隊と第三大隊の混成護衛分隊を、第一連隊独立第三中隊とし、アリスティア・クラリス・セラ・バークランドの専任護衛部隊とせよ」
「御意。準備がございますので本格稼働は明日からになりますが、護衛として何名か早急に寄越しましょうか?」
「本日はアロイス・イーゼンブルクにも護衛を命じてある。問題ない」
「御意に御座います」
ネルヴァ近衛騎士団総長も、跪いて深々と頭を垂れた。
「ルーカス様。最上級命令を軽々と出してはいけませんわ。況してや学園祭です、戦場ではありませんのよ? それと近衛騎士団の編成も、わたくしのために変えるなどあってはならない事ですわ」
「ティア。我は何をもってしてもそなたを守ると決めたのだ。専任護衛部隊の結成も、些か遅すぎたくらいだ。そなたは将来の皇妃なのだ、護衛は多すぎるくらいがちょうどいい」
「ですが」
「ティア。我を安心させてくれ。いくらそなたが戦略的魔術師だとしても、だ」
「……承知いたしましたわ」
金色の瞳に見つめられ、請われる様に言われると、否やは言えなくなる。暫くの間を開けて、アリスティアは不承不承頷いた。
「ルーカス殿下? 茶番は終わりましたの?」
そこに空気も読まずに声を掛けて来たのはイグラシアの第三王女で、いつの間にか彼女は護衛らしき青年たち一〇人ほどに囲まれていた。
「イグラシアの第三王女。最初に言っておくが、私の名前を呼んでいいのは婚約者と側近たちだけだ。貴女には許していない。控えて貰おう」
「まあ。わたくしの事はティファとお呼びくださいと先程申しましたわ。それと、わたくしの事を拒絶なさいますの? フォルスター皇国はイグラシア王国と事を構えると?」
くすくすと笑いながら、しかし目は笑っておらず、挑むようにルーカスを見つめている。
ルーカスは顔を歪めた。
竜王ならば、こんな下賤な脅しなど力ずくでねじ伏せられる。しかし、フォルスター皇国の皇太子として在る今は、国益を考えた行動を取らねばならない。
先程アリスティアが目で訴えて来た事など承知している。
怒りを抑え、殊更、深呼吸をし、皇太子は一度ゆっくりと瞬くと、その金色の瞳をエステファニア王女に向けた。
しかしその瞳には何の感情も籠もっていなかった。ガラス玉の様に無機質に光るのみである。
「エステファニア王女。案内をしよう」
「ルーカス殿下、嬉しいですわ!」
「ティア。あとでまた」
皇太子はそう言うと、頭に一つ口付けを落としてアリスティアをおろした。
その皇太子の腕に、エステファニア王女は当然とばかりに手をかける。そして、エステファニア王女は楽しそうに皇太子を連れて人混みの中に消えて行った。
その光景を見て、アリスティアは心臓がチリッと痛くなったが、なぜ痛くなったのか見当もつかなかった。
☆☆☆☆
ダリアたち専属護衛を伴い、アロイスにエスコートして貰って見て回った展示は、しかし何処に行ってもあまり楽しめなかった。
途中で屋台の食べ物を買って食べたが、すぐにお腹いっぱいになり、だいぶ残してしまった。
食べかけはゴミ箱に捨てたが、手を付けなかった食べ物は、アロイスとダリア、カテリーナ、ユージェニアで食べて貰った。
そして、学園祭の締めは、ダンスパーティーである。
「アリス、兄様たちとダンスは如何かな?」
「エルナードと私の相手をしてくれないか? 私たちはアリスと踊りたいんだよ」
そう言ってくれる双子の兄達に感謝するが、踊る気にもなれなかった。
「エル兄様、クリス兄様。お申し出はありがたいのですけれど、やめておきますわ」
「「アリス……」」
双子は、心配そうにアリスティアを見たあと、互いに見つめ合った。そして頷く。
「アリス、残念だ。だったら私たちは、向こうで接待をしてくるよ」と、エルナード。
「私たちがここを外してもイーゼンブルク教官がいるから大丈夫だよな」とクリストファー。
「お任せください。不埒な輩は近づかせません」
「では任せます。妹をよろしくお願いします」
エルナードは微笑みながら言った。
「イーゼンブルク近衛師団総長。アリスは自覚が足りないから、くれぐれもよろしくお願いする」
クリストファーは悔しそうに言った。
「ええ、任されました」
そして双子は、最愛の妹の元から、戦場へと歩いて行く。
目指すは──。
ここまで読んでくださりありがとうございます!





