第82話 ルーカスの躊躇い
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スヴァイツ王国兵の皇太子襲撃から三日が過ぎていた。
皇都では、皇太子が竜王で、邪竜から皇都を守ってくれたという半分だけ本当の噂が拡散していた。
皇都騎士団の隊長、ダニエル・エリアス・セル・オルシーニには、帰城後すぐに報告書を作成して邪竜の事と捕縛した者たちはスヴァイツ王国の兵士と推定される事を伝えていた。
オルシーニ隊長は捕縛した者たちから事情を聞こうと頑張っているようだが、まだ三日程度では口を割らないだろう。
皇都騎士団の団長にも、オルシーニ隊長が民衆を暴徒化させずに抑えていた手腕についての称賛は伝えておいたから、そのうち彼は一隊長ではなくなるだろう。有能な者が燻る組織は先がなくなる。だから今回の様に突発的な事態でも冷静に対処できる人材を見つけられた事は皇国としても幸いであった。
執務室の中に、重苦しい空気が漂う。
原因は自分にあるのは自覚しているのだが、どうしていいのかわからない。
三日前、アリスティアに邪竜ニーズヘッグとの会話を聞かれたとわかった時、動揺してしまった。前世の半身を殺された恨みは確かに忘れてはいない。だが、引きずるほどでもないのだ。
それを現在の半身であるアリスティアに聞かれた事が、どうしてここまで動揺を誘うのか。
心臓が早鐘を打ち、口の中が干上がり、なのに体は冷えていった。竜化していなければ脂汗が出ていただろう。
いや、どうして、などと誤魔化すのはやめだ。自分はアリスティアに対して後ろめたさを感じているのだ。そしてその後ろめたさを加速させているのは、アリスティアが自分を労る言葉を掛けたことだった。
前世の半身の事を口に出してしまった自分の迂闊さを呪いたい。
知らず、ため息が出ていたらしい。
「皇太子殿下。ため息ばかり吐かれると鬱陶しいんですよ」
容赦のない言葉を投げつけて来たのは、側近のエルナードだ。眉間には縦皺が寄っている。
「ため息吐くのは勝手だけど、アリスを避けているのはどういう事だ⁉ 事と次第によっては相打ち覚悟で潰すぞ?」
エルナードより辛辣なのは側近のクリストファーだ。顔には縦皺どころか青筋が浮かんでいた。
「ルーカス殿下、アリスティア様、しょんぼりしてましたよ? 一体どうしたんですか? あれだけ溺愛してたのに」
クロノスも呆れたように問い詰めてくる。その間も手は書類を仕分けしているのだから優秀である。
「……兄上は、アリス嬢を溺愛していると思ってたんですが……違うのですか?」
瞳を揺らしながら聞いてくるのはエルンスト。ああ、不味い。隙を見せたらこの弟はアリスティアを狙うだろうというのに。何をやっているのか、と自問自答して自分に呆れて口の端を皮肉げに歪めてしまった。
アリスティアは、今日は強引な理由をつけてエルゼ宮に帰していた。あまりにも強引で、アリスティアはその不自然さに眉を顰めていたが、今はアリスティアと顔を合わせるのが怖かった。
「三日前……」
ポツリと口を開くと、エルナードとクリストファーは手を止めて自分が何を言うのかと集中してくる。クロノスは相変わらず書類分類の手を止めないし、エルンストは手を止めてぼんやりしている。
「ティアと孤児院の視察に行った時に、私が──我が前世で滅ぼした邪竜ニーズヘッグが、我の命を狙って仲間と一緒に孤児院の敷地内になだれ込んできた。
邪竜は、我より先に転生していたという」
邪竜ニーズヘッグ、という言葉に、全員の意識が自分に向いたのがわかる。
「その時に邪竜と会話した。その内容をティアに聞かれてな」
この先を話すのは躊躇われ、だからアリスティアを避けるのだ、と誤解して欲しかった。
だが、側近たちは彼のその言葉に騙されてはくれなかった。
「で、どんな内容をアリスに聞かれたら、貴方がそこまで落ち込むんですか。チャキチャキ話して貰いましょうか?」
エルナードは目を眇めつつ聞いてくる。しかも皇太子が落ち込んでいる事などお見通しである。
「殿下? アリスを悲しませている自覚、ある? ん? 私たちはね、貴方に忠誠を誓ってはいるけど、こと、アリスが絡むとそれを覆す事もやぶさかじゃないんだよ?」
皇族に対する言葉ではない、と聞いたエルンストはため息を吐きそうになった。だがここではこれが通常なのだ。
それに、兄がどう答えるのかも興味があった。竜王が滅ぼした邪竜、転生。興味深い単語が並ぶ。
「前世の半身を殺された恨みを忘れてはいない、とニーズヘッグに向かって言った。その時に、今生の半身はいいのかと言われ、手を出したら転生できぬほどの塵にして滅する、と宣言した」
「で? 今生の半身とはアリスの事ですよね? アリスに手を出したら転生できないほどの塵にして滅ぼすと言ったなら、貴方がそこまで落ち込む理由にはならないでしょ? アリスを守るって意味なんだから」
「……ティアに、前世の半身の事を聞かれた事が、どうしようもなく後ろめたくてな」
「はあ⁉ あんた、馬鹿なの⁉」
クリストファーが発した言葉にエルンストはギョッとする。ここまで皇族を蔑ろにした言葉があるだろうか、と。
「たったそれだけでアリスを避けてんの⁉ アリスはそこまで狭量じゃないよ⁉ あの子なら殿下を慰める」
「……なんでわかる」
「その反応、慰められたね? あのね、皇妃教育って、国のために自己を捨てて考えるように教育されるの。その中には、皇王となる伴侶に無私の献身を捧げるようにって内容も含まれるんだよ!
つまり、後宮が設えられて美姫が集められ、伴侶たる皇王が後宮の美姫を愛でてもいらぬ嫉妬せずにどこまでも皇妃として尽くすように教育されるの!」
クリストファーが吠えるように言うと、あとを引き継いだエルナードも、
「三歳から徐々にではあるけど、八年もそういう教育受けてきたアリスが、今更殿下を見捨てる訳ないでしょう? それとも皇妃教育の中身を充分には理解していなかったとか?」
と、呆れたように嘆息する。
聞いていたエルンストは、皇妃教育の恐ろしさに身震いした。まるで洗脳だ。
「我は、ティアに聞かれたとわかった時、衝撃を受けた。だが、そんな我をティアは受け入れてくれた。我が泣きそうだ、と。捨てられそうな仔犬のようだ、と。心配しなくてもそばにいる、と」
ルーカスはそこでため息を吐く。
「自分は簡単には殺されない、戦略級超広範囲隕石雨を何十発も撃てる、戦略的魔術師だ、二万度の炎弾、蒼き恒星も、改良位相結界Ⅱ型もある、と」
「……殿下。今サラッとアリスの新魔術をぶっこみましたね? なんですか、二万度の炎弾とか! 触れたもの全部燃やし尽くす温度じゃないですか!」
エルナードが髪の毛を掻きむしった。
「実際、ティアは邪竜にその炎弾で止めを刺したからな。跡形も残って無かった」
「……エルナード。うちのアリス、年々、人間離れが進んでるよな」
「竜王陛下の半身だとそうなるのかもしれませんね、クリストファー。私はもうその辺は諦めましたよ」
「それで、殿下。なぜ未だにアリスを避けてるの?」
「……ティアに対して後ろめたくて、どうにも、な」
「恋煩いする淑女かよ!」
「クリストファー。この残念美形、顔はいいですけど女装には向かない顔ですよ」
「んなこたわかってるよ! 殿下! あんたがどうしようもない馬鹿だってのはわかりましたけど、それでもアリスの半身なんだから、アリスを避けてたらなんの解決にもならないんだよ! とっととエルゼ宮に戻って、アリスと仲直りしろ‼」
「クリストファー……お前は口は悪いがいいやつだな」
「私たちの判断基準は、アリスの損得、幸不幸ですからね。この場合、殿下がアリスと仲直りしてくれたら、アリスが幸せになるんだから、後押しするのは当然ですよ」
エルナードは一見、穏やかに見える笑顔でルーカスの後押しをしてくるが、目だけは口ほどにものをいい、というやつで、眼光鋭いのを半眼で誤魔化していた。相当苛ついているのがわかる。
「……ああ、今日はもうエルゼ宮に戻ろう。あとを頼む」
皇太子はそう言うと、静かに転移していった。
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