第7話 皇太子殿下の憂鬱
2020年6月4日 若干の加筆修正
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アリスティアが四大精霊王の愛し子だと判明した時の驚愕は、恐らくルーカスの人生の中で第一位の位置を動かないだろう。火の精霊王サラマンダーが言っていたではないか、四大精霊王の愛し子は数千年ぶりだと。しかもサラマンダーの愛し子も千年ぶりだという。
どれだけアリスティアは、周囲を驚かせれば気が済むのか。
しかも、なぜか自己評価が低くて、自分の価値に気がついていない。
それどころか、自分の事を平凡だとすら言う。
エルナードとクリストファーが、「平凡って何⁉」と悲鳴じみた疑問を呈していたが、ルーカスにもそれは同感だった。
精霊の愛し子は、高位貴族の中にはポロポロといるが、精霊王が執着する精霊王の愛し子は短くて百年、長いと千年以上現れない。
精霊王の愛を一身に受ける精霊王の愛し子は、国に絶大な恩恵を齎す。
愛し子を大事にすれば、土の精霊王は大地の恵みを増やし、風の精霊王は情報を何処よりも早く齎し、水の精霊王は洪水や干ばつを防ぎ、火の精霊王は火山を管理して噴火を止める。更には、もし他国が攻めて来たら、土の精霊王は足止めをし、風の精霊王は幻で惑わせ、水の精霊王は敵を干上がらせ、火の精霊王は容赦なく攻撃するそうだ。
一番戦向きな精霊は火の精霊だから、戦ともなると火の精霊たちも火の精霊王も、生き生きと活躍しだすという。
要するに、精霊王の愛し子がいれば国は豊かになるか、周辺国に攻め込まれても相手が勝手に自滅する様に見えるらしい。
らしい、というのはここ百年は精霊王の愛し子が現れたという話を聞かなかったから真意不明だからだ。
けれども風の精霊王エアリエルの愛し子が確かに凡そ百年前にいたという記録はあるし、その時愛し子がいた国は風の恩恵を受けていた様で、愛し子が死ぬまでその国は大きな嵐に見舞われる事はなく、作物も実り豊かになったと記録されていた。
あと、四大精霊以外にも精霊王はいて、今回来なかったのが、光の精霊王と闇の精霊王なのだが、光はともかく、闇の精霊王の性質は、アリスティアの性質と相容れない気がする。
それでも精霊や精霊王は、愛し子の魂に惹かれどうしようもなく愛するのだという。精霊の愛し子は多いからわかるが、精霊王の愛し子は人間の寿命を超えて現れるため、伝説的な事しか伝わっていなかった。
それが、アリスティアの存在に惹かれた四大精霊王により、割と詳しく知れた事実なのだが、魂というものがどういうものなのか、ルーカスには理解出来なかった。
今日、割と長い時間、抱きしめていたティアは、途中から半眼になって理解を放棄していたように思える。
僅か五歳なのだから、理解出来ないのは仕方ないのだが。
そこまで考えて、ふと水の精霊王の言葉が蘇る。
──いくら前が平凡だったからと言って、今もまた平凡だとは言えないわ。
──貴女の魂は、こちらに生まれてからは、とても私達を惹き付ける存在なのだから。
前、とは何だろうか?
こちらに生まれてから、とは何だろうか?
ルーカスはアリスティアの事を随分とわかっているつもりでいたのだが、実は全くわかっていなかった事に今更気がついた。
(まあ、まだアリスティアは五歳だしな。これから知っていけば問題ないだろう)
そう考えて。
まずは、父皇王と宰相に話をしなければならない。
アリスティアの価値が国宝級を超える事になった以上、宰相は選択の余地もなくルーカスの計画に乗らざるを得ない。
更にはルーカスもエルナードもクリストファーも精霊の愛し子で、アリスティアを護る為に精霊と守護契約を結んだとなれば、否応もなく彼女は自分達の周囲に置かれる事になる。火の精霊の愛し子が居ない事が気にかかるが、戦でもない限り火の精霊の守護は必要はないのかもしれない。
とりあえずは陛下と宰相に連絡して、陛下と宰相と皇太子である自分と皇太子付補佐官のエルナードとクリストファーの五人で話し合おう、とルーカスは内心で段取りを算段した。
エルナードに、陛下と宰相に連絡して人払いをお願いするように言付けて、まずは執務を終わらせなければ、と仕事を始めた。
昼食後、陛下から第四応接室に来るように連絡があった。
第四応接室は機密情報を話し合う為に作られた、極めて高度な遮音結界が張れる応接室だ。エルナードがちゃんと伝えてくれたらしい。有能な部下だと思う。
エルナード達二人を引き連れて、第四応接室に向かう。
第四応接室のドア前には、近衛騎士が立っていた。
連絡を受けた旨を伝えると、ドアを開けてくれる。
中には既に、父陛下と宰相がソファーに座して待っていた。
遅れた詫びを言う前に、座るように父陛下から言われる。
ソファーに座り、エルナードとクリストファーにも横に座るように促すと、遠慮せずに座った。
ルーカスが口を開く。
「陛下、お時間を頂き、ありがとうございます。
早速ですが、今日の主題に入らせて頂きます。
ただし、この事は内密にお願いします。
アリスティア・クラリス・セラ・バークランド公爵令嬢の件です」
「殿下、アリスティアに関する事と言うと、先日のピクニックで何かがあったのでしょうか?」
「バークランド宰相、ご明察。
先日の水の女神の日、アルバ湖に私とエルナードとクリストファーとアリスティアでピクニックに出かけました。もちろん、侍女たちと護衛たちも一緒でしたが、彼らには箝口令を敷きました」
「箝口令とな? 随分と物々しいな、ルーカス」
「はい、陛下。端的に申します。
アリスティア嬢は、四大精霊王の愛し子でした」
ルーカスが伝えた途端、皇王と宰相が息を飲み目を見開いた。
「更には、私は水の精霊の愛し子で、水の精霊王ウンディーネの愛し子アリスティアを護るように精霊たちに言われ、守護契約を結びました。エルナードは風の精霊の愛し子で、やはり守護契約を結びました。クリストファーは土の精霊の愛し子で、同じく守護契約を結びました。
全員、アリスティアを護る事が条件でした。更に」
「まだあるのか!」
皇王の悲鳴じみた言葉を受けつつ、ルーカスは爆弾を投下する。
「アリスティアは、四大精霊王の加護を受けました」
沈黙が場を支配する。
皇王と宰相の目はこれでもかと限界まで見開かれ、驚愕を表している。
「陛下、発言をお許しください」
エルナードが口を開く。
「許す。何かまだあるのか」
「はい。アリスティアは、自分の価値に気がついておりません。自己評価が極めて低いのです。あれだけ聡明なのに。水の精霊王が説得するように教えていたにも関わらず、です。今の状態は、非常に危険です」
エルナードが淡々と話す。
「陛下、私にも発言をお許しください」
今度はクリストファーが口を開いた。
「……許す」
「ありがとうございます。アリスティアの危険性はエルナードが言った通りですが、今現在、守護契約を結んだ我らがアリスティアの側から毎日離れざるを得ない状況も、アリスティアの危機の原因かと思います。更に、攻撃に向いてる火の精霊の守護契約者がいないのも、不安の一因にも思います」
クリストファーが話す。
「クリストファーの言うとおり、我ら三人は、アリスティアの守護を精霊たちと契約した身。皇太子としては些かおかしな事とは思いますが、四大精霊王の愛し子となれば、国宝級以上の価値がアリスティアにはあります。皇太子よりも価値が高いとも言えます。アリスティアを護る為にも、明日からでもアリスティアの皇太子執務室への出仕を」
「待て、皇太子。些か性急過ぎやしないか? アリスティア嬢は今何歳になる?」
「陛下、我が娘は今年の年明けに五歳になりましてございます」
「五歳……ルーカスと十歳違いか」
「……御意」
「ルーカス、皇太子よ。お前の考えを話せ」
「御意。アリスティア嬢は、三歳で私の軽い威圧に耐えてしっかりした挨拶をしました。うっかり私が威圧を強めてしまった結果、恐慌状態になり、魔力暴走を起こしましたが、場には宰相とエルナード、クリストファーがいた為に、被害は軽微。私が魔力調整をして、暴走は収まりました。
三日経っても熱は下がらず、私が差し向けた宮廷医務官に診て貰ったところ、魔力調整は上手くいっているが、魔力量が膨大な為に回復が遅れている可能性があると言われましたので、翌日の四日目に宮廷魔術師を伴い、アリスティアの元を訪れ、魔力調整をしつつ魔力量を測って貰いました。その結果──アリスティアの魔力量は私の魔力量を遥かに凌駕すると言われました」
「お前の魔力量を遥かに凌駕する、だと⁉」
「はい。なので、私はアリスティア嬢を将来の妃にする為に計画を立てました」
「殿下。幼女趣味「違うぞ宰相! アリスティア嬢だから興味を持ったんだ!」…そうですか……」
「あー、陛下。絶っ対、私は幼女趣味ではありませんからね⁉」
皇太子が少し慌てた様に宰相の言葉に被せて言う。
「魔力量と、マナーに煩いお前が、普通の幼児を気に入る訳が無いからな」
「ご理解ありがとうございます。
とにかく、アリスティア嬢に慣れて貰う為に、私は三日毎にバークランド公爵家を訪れていました。宰相からは、成人の儀を終わるまでは確定的な事はしない様に要請されましたが」
「殿下、ルーク兄様って言われてニヤついてましたね」
「あんなデロデロの顔は、他人には見せられませんよね」
「そなたら、私に恨みでもあるのか⁉」
「「ありますよ! 僕らの可愛いアリスティアを取られるんだから」」
「……妹至上主義」
「殿下に言われたくありませんね」
「お前たち、茶番は他所でやれ。それでルーカス、それだけではあるまい?」
「失礼しました、陛下。アリスティアは、どうも魔力暴走を起こした辺りで記憶に混乱があったようで。私に見事な挨拶をして、見事なカーテシーを見せたのに、その後の様子では、私が皇太子だと認識から外れていたようです。素直にルーク兄様、と呼ぶ様は、皇太子に対するものではなく、兄の友人に対するものでした。
ですが、先日のアルバ湖でのピクニックの時に、私が水の精霊に皇子と呼ばれ、守護契約を結ぶ為に名前を名乗った為に皇太子であると再認識していました。不敬に当たるから、離して欲しい、と言われました」
「不敬に当たるから離して欲しい? どういう意味だ」
「陛下、皇太子殿下は、我が妹アリスティアを、水溜りから守る為に抱っこして、そのまま湖畔まで移動し、水の精霊や水の精霊王が来ても離さなかったのですよ」
「──ルーカス?」
皇王から胡乱な目を向けられ、皇太子は些か慌てた。
「陛下、誤解です! ティアが余りにも人間離れしそうだったから、留める為にですね!」
「四大精霊王の愛し子ともなれば、確かに人間離れしそうだな。だが幼子だぞ?」
「ティアは可愛くて聡明で、努力家で、魔術の才能もあり、更には四大精霊王の愛し子ですよ⁉ 幼子とか関係ありませんね」
「殿下が開き直った!」
「うわー……」
「ルーカス……あ、いや、わかった。四大精霊王の愛し子を妃にするメリットは大きい。アリスティア嬢が成人するまでは宰相が他からの求婚や婚約話を断るだろうから、お前は好きにしろ」
「陛下、アリスティアの気持ちはどうなります⁉」
「宰相、考えてもみろ。筆頭公爵家にいても危険があるのだぞ。国一番の護りを誇る皇宮にいた方が、アリスティア嬢を護れる。四大精霊王の愛し子など、どの国も喉から手が出る程欲しいだろう? 必ず狙われる事になる。箝口令を敷いても、精霊から愛し子に伝わったら、周囲の人間が何を言わずとも他にバレるのは時間の問題だ」
「陛下……御意。アリスティアを護る為にも必要な事なのでしょう。ですが、父親としては複雑ですな。娘はまだ五歳ですから。あと十年……いや、婚約だけならあと五年、それが譲歩出来る限界です」
「宰相、ありがとう。ティアは何をおいても護る。その為の守護契約なのだから。そなたの息子たちも一緒なのだから、安心してくれ」
「息子二人は結婚できませんな」
嘆息して宰相が眉間を揉みながら応えた。
守護契約とは守護対象を優先するのだから、妻子がいても妻子を優先出来ない。そういう契約で、そんな事は百も承知でエルナードとクリストファーは守護契約を受けている。妹至上主義極まれり、である。
とにかく、アリスティアを護る為の第一段階はクリア出来た。
第二段階(婚約)に移る前に、基本的な、火の精霊の守護契約者をどうするかが問題だ。火の精霊の愛し子で、守護契約を結ぶ気のある者で、戦闘力があって、更にはこれ以上アリスティアの側に男を置きたくない、というルーカスの気持ちもある。かなり難しい選考だろう。
そう考えていたのに、問題はあっさり解決された。
「火の精霊たちから、殿下のところに赴けと言われました。近衛騎士のダリア・スレイシア・セラ・レシオと申します。火の精霊王の愛し子様の守護を申し付かり、守護契約を結びました」
レシオ侯爵家の次女だそうで、詳しく話を聞くと、昨日、火の精霊王が姿を現し、精霊王の愛し子の為に、火の精霊たちと守護契約を結ぶよう要請されたと言う。
精霊王からの直々の要請はとても名誉な事だから、命をかけて守護します、と年上の令嬢騎士に言われて複雑な気分になったルーカスだった。
しかし、男ではなく女性騎士なら、アリスティアに不埒な事を考えないだろう、と許可し、明日から登城する予定だから、レシオも明日からこの執務室に来る様に、と伝えた。
第二段階は、まだまだ先である。
まだ幼いアリスティアに意識して貰えるまでは数年を要するな、と頭の隅で考え、自分の年齢を考えて馬鹿馬鹿しくなった。何を自分は考えているのだろうか。これではエルナードが揶揄う様に、幼女趣味と言われても仕方ないではないか。
しかし、宰相がアリスティアの安全の為とは言え、あと五年まで譲歩してくれたのだから、それ迄にアリスティアに意識して貰える様に進めなければ、とまた思考のループに陥りかけた。
こんなに自分はおかしかったのだろうか?
律しなければ、と気を引き締める。
エルナードとクリストファーに呆れられるのは気分が悪い。
しかし、明日から大丈夫だろうか?
というか、明日から出仕させるのだから、公爵家でやっていた勉強もこちらで進める必要があるではないか。
「エルナード」
「はい、殿下」
「明日からティアを出仕させるが、ティアが家庭教師から教わっている勉強もこちらでさせる。勉強道具一式も持たせろ。家庭教師だが、公爵家で信用調査した者か?」
「申し訳ありません。家庭教師は父上が他家からの紹介で雇ったと思われます。信用調査をしたのかどうかは、使用人の事ではないのでわかりかねます」
「ならば、教師はこちらで手配しよう。明日だけはティアの勉強は休みだな。明日は午前中に執務まで終わらせるぞ」
「午前中に全てですか」
「嫌そうだな」
「殿下の処理能力についていくのはキツイんですよ」
「キツイと言いつつ、ついてこれるのはお前たち兄弟だけだぞ。以前、今より執務量が少なかった時に、側近というか皇太子補佐官候補に仕事を任せた時に、全くついて来れなかった」
「殿下、何気に鬼畜ですね。僕たちが加入前と言えば、まだ十歳くらいじゃないですか」
「鬼畜とはなんだ。私の要求レベルについて来れる者でなければ、側に侍る権利など与えん。その点、バークランド公爵家の教育は素晴らしいぞ。エルナードとクリストファーという、得難い手駒が得られたのだからな」
「殿下がデレた!」
「明日は槍が降りそうですね」
「お前ら最近、私に遠慮がなくなりすぎだ」
ルーカスは呆れるが、普段聞かせない皇太子の褒め言葉に、双子が照れているのは気が付かなかった。
ここまで読んで下さりありがとうございますm(_ _)m