第65話 皇太子の思惑①
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授業が全て終わったあと、みんなが帰るこの時間。
教室中が、期待の視線を出入り口に向けている。
その出入り口の引扉を開け、今日もやって来る麗しの婚約者。
そんな謳い文句が頭に浮かぶ。
「ティア、帰るぞ」
そんな言葉とともに向けられる笑顔。
その笑顔を見て抑え気味の黄色い悲鳴を上げる令嬢たち。
「ルーカス様、理事長としての執務はどうなさいましたの? まだ終了時間ではありませんわよ?」
「そんなもの、ティアの帰宅時間に合わせて終わらせたに決まっている」
予想された答えにため息が出る。
「ティアを守るのは我の特権だからな」
などと言い、周囲を喜ばせている。
入学式の日、オーサの海岸で魔術ショーを行い、頭のおかしな令嬢に突然魔王呼ばわりされ、皇太子が魅了眼に囚われかけ、それを真名を呼ぶ事で助け出し。
あの時、焦燥感に苛まれ、ルーカスを失う事への絶望感に囚われ、二度と離れたくない、と思った事を思い出すとなんとも言えない恥ずかしさがこみ上げる。
なぜ真名がわかったのか不思議に思ったが、ルーカスが心で自分に呼びかけていたのだと聞いて、竜ならそういう事もあるのかもしれない、と素直に納得した。
アリスティアは知らなかったが、心で呼びかけてそれを受け取る能力は、半身同士であるからこそ現れる能力である。
あれから一ヶ月が経っていた。
「この後夕方まで政務が待ってるぞ。クロノスも来い。転移で移動する」
「皇太子殿下、私はお邪魔虫になりたくありません」
「転移を使わないと時間の無駄だ。移動する時間があるなら仕事に使え」
「皇太子殿下の横暴!」
「クロノス様、諦めが肝心ですわよ」
「アリスティア様。巻き込まないでと言ったじゃないですか!」
「わたくしたちは皇太子補佐官ですわよ。給料分の仕事はしなければなりませんわ」
「アリスティア様、公爵令嬢なのに世知辛いですね」
「経済観念が発達してると言ってくださいます? そういうクロノス様は、お育ちのせいか経済観念が少し足りませんわね」
「だってお忍びでの街歩きなんて、やった事無かったからね。国ではみんなが顔を知っていたし」
「我が国とは違いますのね。販売されてる絵姿のせいですの?」
「そうだね」
「絵姿……」
「ティア。何か思いついたなら、提案書を作って提出してみろ。無理でなければ通してやる」
アリスティアが考え込んだのを何か察したのか、皇太子がそう言って彼女の考えを先んじて後押ししてくれる。
「まだ形になってませんの。どう展開しようか、という問題点がありますので」
「展開?」
「絵姿で思い出した事がありますの。でもどちらかと言うとそれは娯楽に関する事なのですわ」
「わかった。とりあえず転移しよう」
ルーカスの指が鳴ると、皇太子執務室への転移が終わっていた。
双子の兄たちがアリスティアにおかえりと言ってくれる。それに返事をして、執務机に座り、書類作成に取り掛かる。
絵姿は、写真のようなものだ。
カード型の写真。
タロットカード、トランプ、アイドルの写真付き絵葉書、プロ野球チップのカード、デュエルカード、トレーディングカード……収集癖のある人を熱中させることができる何かを作る?
そう思い、前世の記憶を思い起こしてみる。
やはり、何かへのおまけとしてつけておき、ランダムでしか手に入らないとなると、収集癖が発動するか?
でもこの世界では、袋菓子など見たこともない。紙袋しかないのだ。
(うーん……)
悩みながら、メモ書き程度に紙に書いていた文字を、ルーカスが見て、
「トレーディングカード?」
と聞いてきた。
「それぞれ異なる様々な種類の絵柄が印刷されてて、収集や交換されることを前提に作られ販売・配布される鑑賞用またはゲーム用のカードですの」
そう答えると興味を示してきた。
「収集とは興味深い。しかし交換とは?」
「収集用のカードパック、一束に組まれたカードが販売されるのですけど、その束は完全に無作為に組み合わされているのです。ですので、いくつも買い揃えると重複するカードも出てきます。その為に、同好の士で交換会を開いて、重複した物を交換し、持っていないカードを集めるのですわ」
「ほう? なるほど。収集と交換は切っても切れぬ関係か。面白いな」
「ですがこれは、歌手や役者、小説の登場人物、あとはそれこそ皇族や近衛騎士など、人気のある人物や物を絵姿にしないと販売しても売れません。供給しても需要がないからです」
「歌手や役者は、オペラの歌い手や歌劇の役者などで、小説の登場人物の挿し絵で人気のあるのはわからぬが、皇族は確かに顔を周知するという点では有りだな。近衛騎士も、確かに若い貴族の娘たちが近衛騎士団の訓練場に見に来たりしているな。ふむ」
そこでルーカスは考え込んだ。
「人気のある娯楽本というのがいくつかあるのですが、挿絵が少ないのです。もう少し挿絵が多ければ、娯楽本も売れ行きが良くなると思うのです。近年、識字率が高くなっていますから、娯楽本は、難しい純文学よりも手軽に読めますので初心者の入り口にもなりますわ。他に、娯楽本が売れれば、作家、出版社、印刷所、絵師と、多くの収入増加に繋がります」
「なるほど、娯楽本だけでも、関係各所の収入増加が見込めるのか」
「ええ。歌手や役者も同じですわ。皇族や近衛騎士の収入増加にはなりませんが」
アリスティアは苦笑した。
「でも、絵師を多く使う事により、絵師の生活が安定すると思いますわ」
話しているうちに、少しずつ形が見えて来た気がする。娯楽という点であれ、雇用増加に繋がりそうだし、収入増加で経済が回りそうである。
皇太子もそれを感じたのだろう、アリスティアに案を纏めて提出する様に言ってきた。
☆☆☆☆
翌日。
登校したアリスティアは、教室に入って机に座るな否や第二皇子のエルンストに絡まれた。
またか、とため息を吐きたくなる。
「アリスティア! お前、なぜいつも兄上と一緒に帰るんだ!」
「それは皇太子殿下に仰ってくださいませ。ルーカス様が毎日教室に迎えに来られるのをエルンスト殿下も見ておりますでしょう?」
「うぐっ」
「それに、迎えに来て頂いて、転移で皇太子執務室に移動すれば、仕事に当てる時間が増えますもの。わたくし、一応は皇太子補佐官の役割を頂いておりますから。そのお役目で給料を貰っている以上、それに見合った仕事をせねばなりませんもの。そうですわよね、クロノス様?」
「アリスティア様、私を巻き込まないでくださいといつも言っておりますよね? 確かに転移での移動で仕事に当てる時間が増えて、給料に見合った仕事ができてますけど」
ため息とともに答えるクロノスは、あまり強制転移が好きではないのかもしれない。
「そ、それはお前が兄上に迎えに来る様に頼んでいるからだろう⁉」
「失礼な! わたくし、そんな幼子ではありませんわよ」
「見た目は完全な子供のくせして何を言っている!」
「わたくしは、見た目も中身も子供ですわよ? でも、幼子ではありません」
「お前は、ああ言えばこう言う! ほんとに生意気だな!」
「そんなに生意気なわたくしが気に入らないのなら、話しかけなくとも良いでしょうに」
「お前が俺の前の席にいるからだろう⁉」
「わたくし、この位置がお気に入りですの。先生の話がよく聞こえますから。殿下こそ、別に座る席が決まっている訳でもないのですから、席位置を変えられたらどうですの?」
なぜこんなにも絡んで来るのだろう?そんなに文句があるのなら、座る席を変えたらいいのに、と思うのだが。
「お、俺だってこの席位置がお気に入りなんだ! お前こそ座る位置を変えればいいじゃないか!」
ムキになって突っかかってくるエルンストは、自分より年上だとはちっとも思えない。
「でしたら話しかけないでくださいますか? わたくし、これから少し仕事上の書類を仕上げねばなりませんの。仕事の邪魔をしないでくださいませ」
ピシャリと断ち切ると、怯んだ様子で引き下がった。
「アリスティア様、いつもながら塩対応ですね」
「クロノス様。毎日文句を言われておりますのよ? 塩対応にもなりますわ」
「あー……アリスティア様はわかってないのか……いや、その方がいいのか?」
「何を仰っておりますの? 意味不明ですわよ、クロノス様?」
「いや、アリスティア様はそのままでいいです」
「ますます意味がわかりませんわね? まあ良いですわ。提出書類を仕上げたいですし」
「ああ、昨日の件ですか?」
「ええ、雇用増加と収入増加による市場経済の回転の目処が立ちましたの」
「アリスティア様は子供だと言いながら、頭の中身は大人顔負けじゃないですか」
呆れた様に言うクロノスに、少し苛つく。
「煩いですわよ。書類をまとめる邪魔をしないでくださいませ」
なので、やっぱり辛い対応をしてしまった。
放課後。やはりというか、いつも通りというか。ルーカスが教室に入ってアリスティアのすぐそばまでやって来た。
「理事長? お仕事は」
「ティアの下校に合わせて終わらせてあるぞ」
終わってますの?と続けようとしたら途中でぶった切られた。
「では転移」
「兄上! なぜいつもアリスティアを迎えに来られるのですか⁉」
転移しますか、と言いかけたところで、空気を読まないバカにぶった切られた。
「ティアは我の婚約者であるし、我の補佐官でもあるからな。婚約者を迎えに来て何が悪い?」
コテン、と首を傾げ、弟を見るルーカスに、不意に心臓がとくんとはねた。
「ルーカス様、小首を傾げないでくださいませ。可愛いではありませんか!」
「年上の男に可愛いとか言えるお前も大概だな?」
エルンストが呆れた様に言うが、言われた本人は嬉しそうに笑った。
「ティアが喜ぶなら可愛く行動するのも苦ではないな」
「皇太子殿下の印象に傷が付きますわ」
「我の印象とか評判とか、ティアのそれに比べたら心底どうでもいい」
「なりませんわ。皇族は民を導く存在ですのよ? 印象も大事ですわ」
「ティアは真面目だな。だが、その程度、我はどうとでもなるぞ?」
竜王だからな、と言われて、アリスティアは諦めた。規格外にも程がある存在なのはわかっているのだが、まだ人間の世界で暮らすなら人間の常識で行動して欲しいものである。しかし、人間の常識を度々蹴飛ばしていて、それなのに悪評は確かにあまり聞こえて来ていないのだから、「どうとでもなる」という言葉は嘘ではないのだろう。
「エルンスト、先程から気になっていたのだが、そなたはいつの間にティアを呼び捨てにする様になった? しかもお前呼びなど、不躾ではないか」
その辺は確かに気になっていた。
気がついたら呼び捨てになっていたのだから、貴族としては少々どころか戸惑いが大きい。
しかし、前世がある身としては、級友を呼び捨てにする事もあるだろうな、などと思って気持ちを宥めていたのだが。
「生意気な子供だし、年下だから別に呼び捨てでも構わないかと思いまして。だって四歳も下だし」
という言葉を聞いて、子供扱いなら仕方ないかな、と納得した。
ところがである。
「エルンスト。未来の義姉に対する口のきき方ではないな?」
ルーカスがダメ出しをしたのだ。
「ルーカス様。わたくしが子供なのですから仕方ありませんわ」
そう言ったけれど、ルーカスは聞いてくれなかった。
「ティア、そなたは真面目すぎる。クロノスだとてそなたにはきちんとした敬意を表しているではないか」
確かにクロノスは、二歳年下の自分に対して様付けで呼んでくれるし、時折崩れるとは言え丁寧な口調で話してくれる。
それに引き換え、この馬鹿皇子は、思えば初日から失礼だった、と思い出した。
それに、よくよく自分に置き換えて考えたら、級友だからと言って皇子殿下の名前を呼び捨てにするのは、絶対にあり得ない。
そう考えていたら。
「ティアは既に我の政務を手伝っているし、民の為の政策もいくつも立案している。その案も、実現可能なレベルだ」
ルーカスが、今度はエルンストに向かって話している。
「お前はティアを侮り過ぎだ。
子供でも、ティアは我の役に立っている。
子供でも、ティアは物事の道理を弁えている。
子供でも、ティアは民の事を真剣に考えている。
子供でも、ティアは国の事を第一に考えて動く。
エルンスト。そなたは、同様にやれるか? 国の事を第一に考えるのは、皇族の義務であるぞ?
ティアはまだ皇族になっていない段階で、我の婚約者候補と気付いていなかった段階ですら国の事を第一に考えていたぞ?」
あまりの褒めっぷりに、顔が熱くなるのがわかった。多分、真っ赤になっているだろう。
気が付いたルーカスが抱き上げる。
「ルーカス様、恥ずかしいですわ」
「恥ずかしいなら顔を隠せば良い」
「うぅぅ……」
余りの居たたまれなさに、ルーカスの胸に顔を押し付けた。顔が隠れればいくらかは恥ずかしくないだろうか?
アリスティアが抱き上げられた時にも抑えた黄色い悲鳴が響いたが、アリスティアがルーカスの胸に顔を押し付けた途端、抑えきれない黄色い、歓喜の悲鳴が響き渡った。
ますます恥ずかしくなって、ルーカスの上着をギュッと握ってしまった。
その様子を見たルーカスは、アリスティアの頭を少しずらし、落ち着くように心音を聞かせる位置に耳が当たる様にした上で、アリスティアの背中をあやすようにぽんぽんと叩いた。
ゆっくり刻まれるルーカスの心音が心地よい。
少しずつ、落ち着いて来た。
「さて、エルンスト。もう一四なのだから、そなたも父上の政務を手伝うべきだろう? 我は、一〇歳で父上の政務の手伝いを始めたぞ? ティアの双子の兄たちも、一〇歳で我の側近になり、我の政務の手伝いをさせた。クロノスも一〇歳で我の側近に抜擢し、政務に関わらせてきた。
ティアはもっと時間をかけて、同様に一〇歳になったら政務に関わらせるつもりだったが、五歳でハルクトの陰謀を暴いて見せた上に、ルオー王国からの難民の技術者に目を向けて、我が国の技術力向上の為の提案をして来たのだ。政務に関わらせないのは才能の無駄と判断し、五歳から関わらせる事にした」
アリスティアは知らなかったが、彼女に向けた甘くて優しい目とは裏腹に、エルンストに向けた目は厳しいもので、優しさの欠片も無かった。むしろ鋭利な刃の様な目線に、エルンストは震えた。
「エルンスト。少しは理解出来たか? ティアが侮ってはならぬ子供で有ることを。自分がどれだけ周囲から甘やかされていたかを」
「兄上。俺はどうしたらいいのですか?」
迷子の子犬みたいにシュンと項垂れるエルンストは、周囲には年齢より幼く見えた。
「そなたはまだ軌道修正が効く。ちょうど良いから、今日から皇太子執務室で政務の勉強をさせてやろう」
「兄上。ありがとうございます……」
「うむ。クロノス、行くぞ」
「ルーカス様、私はどうなっても知りませんからね?」
ため息を吐きながら、クロノスはルーカスに注意を促していた。
ルーカスは、ニヤリと黒い微笑を浮かべると、いつもの転移を行った。
(ああ、この方は全てをわかっていてやっているのだ)
クロノスが内心で得心し、転移で移動した皇太子執務室で諦めて仕事に手を付け始めた事はアリスティアは知る由もない。
第二皇子が執務室メンバーに(強制的に)入れられました。
ここまで読んでくださり、ありがとうございますm(_ _)m





