第38話 公爵令嬢は竜の国で前世について語る
2019年9月18日、改稿。
体裁を整える。
二時間後、皇王陛下との"謁見"が調えられた。
アリスティアは相変わらずルーカスに抱っこされて、人払いが施された第四応接室に向かう。
「今日、婚約をする」
突然言われて驚いた。
確かに婚約しないと、離宮には一緒に住めないとは聞いたが。
まだ離宮の準備が調ったとは聞いていない。
それに、離宮の内部を住めるようにするのにも時間がかかるのではないのか。
アリスティアがそう言ったら、だからこその使用人だとルーカスに言われた。
なるほど、と思う。だがそれでも数日はかかるのでは、その辺はどうなるのだろう、と疑問に思っていたら。
疑問が顔に浮かんでいたようで、ルーカスから説明された。
「竜の国から、一時的に手伝わせる人員を連れてくる。合計百人ほどもいれば、離宮一つ調えるのに不足はないはずだ」
なるほど、力任せかと納得してしまった。
さすが竜王である。
そんな会話をしながら移動していたのだが。
ふとアリスティアは我に返った。
今までの会話は、他に聞かれていなかったのか、と。皇宮の廊下で普通に話してしまっていたのだ。迂闊にも程があるだろう。
そう思って竜王に聞いたら、遮音結界を張っていたと言われた。それならば安心できる、とアリスティアは安堵の息を漏らした。
そんなこんなで、第四応接室に着いた。
中に入ると、皇王陛下と宰相の父親がいた。
用事を考えれば、宰相たる父がいてもおかしくはない。
「皇王、久しいな」
「竜王陛下にはご機嫌麗しゅう」
「挨拶は不要。今日は確認に来た。離宮の準備はどうだ?」
「中の準備がまだ整わず」
申し訳ない、と言外に告げられる。
「中身についてはこちらで手配する。つまりは離宮自体の用意はできている、ととっても差し支えないか?」
「御意」
「ならば重畳。では、本日この場で、アリスティア・クラリス・セラ・バークランドと、我、ルーカス・ネイザー・ヴァルナー・セル・フォルスターとの婚約を調える。宰相、書類を」
「っ! す、少しお待ちを」
父が息を呑み、震え声で書類の山から必要なものを取り出した。
竜王は、サラサラと優美な手付きで書類にサインを入れていく。
「ティア」
一言、声をかけられ、羽根ペンを渡された。
ルーカスの名前の下、空白部分に、自分の名前をサインとして書き込む。
「皇王、御璽を押せ」
ルーカスは何処までも傲岸不遜に言い放つ。
皇王は逆らうつもりもないようで、言われた通りにルーカスとアリスティアの婚約約定書に御璽を押した。
「これで誰にも邪魔されずにティアと二人で暮らせる」
ニヤリと笑う顔を見て、つい文句を言ってしまう。
「ルーカス様。傍から聞いたらその発言は変態ですわよ? お控えなさいませ」
「人間は面倒だ。竜の半身には年齢は関係ないと言うに。我の評判なども、心底どうでもいいしな」
「暫くは人間の世界で暮らさなければならないのですから、人間の常識に合わせられませ」
「ティアの言い分も尤もだな。仕方ない」
大層不満そうな様子で、それでも納得してくれる。ホッと息を吐いたところで、様子を見ていた父親が口を開いた。
「竜王陛下。父親としてのお願いがございます。娘を抱く事をお許しください」
「ふむ。ティアが拒絶反応を示したらすぐに引き離すがいいか?」
「はい」
「では、ティア。少しだけ行っておいで」
久し振りに竜王の膝から降ろされて、自力で立たされる。
父親の方に向かって歩くが。
近づくにつれて、震えが走る。
手前一メートルの時点でダメだった。蹲って自分で体を抱える。
「ルーカス様、怖い」
そう言うと、すぐさまそばに来て抱えてくれた。安心する。
「父様、ごめんなさい」
泣きそうな声で告げると、父親は悲しそうな顔をしていた。
「成人男性、成人女性。自分の身内認定をした以外の人間は、全てティアのトラウマに引っ掛かる。今すぐは無理だが、長い時間をかければ、トラウマを弱める事は可能だ。その時期を待て」
「っ! 御意」
「エルナードとクリストファーは大丈夫なのだ。父親のそなたも、いつか大丈夫になると思うぞ」
「ありがたきお言葉」
「あまりティアに物理的に近づけはしないだろうが、離宮にはいつでも遊びに来ていい。ただ、ティアも皇太子執務室に連れて行くから、休日以外は皇太子執務室に来たほうが会えるだろうがな」
そう言って、ルーカスは笑った。
「皇王、及び皇妃も、ティアに触れなければ離宮を訪れて良いぞ」
「ルーカス様。皇王陛下と皇妃殿下に対して、訪れて良いとか、わたくしが不敬にございます」
困った顔で伝えると、皇王は、同じ様に困った顔で。
「アリスティアを、我が娘に出来ると思っておったんだがのぅ」
とだけ言った。
自分としては、本当に恐縮である。
「公的な場では、きちんと皇太子として振る舞う故、許せ」
ルーカスはそう言った。
今日の宰相府での態度を見ると、すこぶる疑問だが。
夜会とか、晩餐会とかかな?と考えて、アリスティアが参加する事を想像したら、凄く面倒くさく感じた。
謁見は終わった。
アリスティアはルーカスに抱えられて、第四応接室から直接、竜の国の竜王の私室に転移した。
そこから、竜王の執務室に移動する。
執務室には、以前カイルと呼ばれていた青年がいた。
美しいその青年が、少しだけ怖く感じて身を竦めると、ルーカスがそれに気がついてあやす様にぽんぽんと背中を叩いてくれた。
「カイル。人化を少しだけ崩せ。我が妃ティアが怯えている」
「これは伯父上。失礼致しました」
カイルは、竜の鱗を頬に浮かべた。
「ルーカス様。もしかして、竜人や獣人は全てこの様に完全な人化をしていませんの? わたくしの為に?」
「アリスティア様。気になさらないでください。竜王の半身の為ならば、竜の国の民は全て、アリスティア様を怯えさせない様に特徴を出します。アリスティア様が、兎族と犬族の侍女を雇った話は民に広がっており、可愛らしい姿がお好みだとして、民が競って可愛らしく装っておりますよ」
カイルが代わりに答えてくれたが、なんだか恥ずかしかった。
「わたくしの為だけにそうした動きがあるなら、無理をして欲しくありませんわ。各自の特徴は、それぞれにいいところがありますもの。三人しか選べなかったから、竜人と兎族と犬族になっただけですわ。本当なら、みんなと交流したいくらいですのに」
アリスティアがそう言うと、カイルが目を瞠った。
「カイル、我が妃の聡明さを理解したか?」
ルーカスがニヤリと嗤って訊くと、カイルはパチクリと目を瞬かせた。
「伯父上。ええ、しっかりと理解しましたよ。獣人の特徴を肯定的に受け入れる人間に、本当に久方ぶりに逢いました」
「それだけではないぞ、カイル。これを見ろ」
ルーカスはそう言うと、書類を一枚、カイルに渡した。
読んでみろ、と促され、カイルはそれに目を通し──呻った。
「我が妃が提案した教育政策だ。今、フォルスター皇国では全力で中等科と高等科の準備を進めている。教育内容の精査に、我が妃が参加する予定だ」
「待ってください、伯父上! 伯父上の半身のアリスティア様は、まだ八歳だと言っていたではありませんか。竜ならまだ赤子です」
「竜ならな。だがティアは人間だ。そして人間の間でも、ティアは年齢以上の聡明さを持っている。この聡明さは、ティアが転生者であるからだ」
アリスティアはびっくりして目を瞠った。
「……いつから気がついていらっしゃったのですか?」
震え声で尋ねると、
「我が転生体として覚醒し、ティアをナイジェル皇帝から助けた後だな。幼子に似つかわしくない矜持と、自決を覚悟する魂の強さが年齢に見合わぬと思い、済まぬが心の奥底を見せて貰った。完全には前世の記憶を取り戻してはいないようだが、この世界とは違った世界で、十代最後の年に事故に巻き込まれて人生を終えたようだな」
転生して、記憶を一部取り戻して。
幼い身で勉強して。
誰にも言えなかった転生というアドバンテージによる、ずるい知識の事を暴かれたのに。
ルーカスが凄く優しい目をして見ているから。
知らず、涙が出てきた。
「ふぇっ……ひっく……うぇ……。」
涙を手で拭えば、ルーカスが抱き締めてくれた。その胸に縋り付いて、涙が枯れるまで泣いた。恥ずかしいとは思わなかった。
暫くして、涙が落ち着くと、漸く恥ずかしいという気持ちが湧き上がってきた。
ルーカスの胸から顔を離し、膝から降りようとして──がっちりホールドされていた事に気がつく。
「ルーカス様、離してくださいませ」
「嫌だ。絶対に離さない。ティアは私に甘えていいのだ。半身なのだから」
「充分、甘えております。今は恥ずかしくて」
「恥ずかしがらなくても良い。ティアは、知識が前世からだから、ずるいと思っているのだろうが、その知識は利用すればいいだけだ。むしろ、そのような知識で、国を良くできるのなら重畳ではないか。気にしなくていいのだぞ?」
知識チートを使っていいと言われて、アリスティアは心が軽くなった。
「わたくしは、一部の記憶しか蘇っておりません。自分の前世の名前、どうして死んだのか、前世の家族。これらを覚えておりません。しかし、社会規範や社会のシステムなどは覚えております。
今回提案した学校は、前世の教育機関でした。小学校、中学校、高等学校、大学校、大学院。
義務教育は、前世の世界では中学校まで。
高等学校、大学校、大学院は、学びたい人が、選抜試験を受けて通うシステムでした。ですが、高等学校までは、殆どの子供が通うようになっており、準義務教育化しておりました。
前世の世界になく、この世界でしか見ない学問もあります。それが、魔術学です。精霊も、竜人も獣人も、前世の世界にはいませんでした」
「なるほど。ティアの魔術に対する情熱は、前世の世界に無かったからなのだな」
「はい、そうですわ。しかし、私が闇の精霊王以外の、全ての精霊王の愛し子なのはなぜなのでしょう?」
「おそらくは、竜王の半身だからではないかと思っている。竜王は、精霊王も従える存在だからな」
「だとしたら、私は随分とずるい存在ですわね」
でも、と続ける。
「わたくしにできる事なら、可能な限り、この世界の、皇国の役に立ちたいのです。竜の国もそうですわ。わたくしを受け入れてくれた国に、恩返しがしたいのです。それがずるい知識を使う事でも」
そう言うと。竜王は、優しく抱き締めてくれた。
「ティアを連れてこのまま寝所に籠もりたい。今すぐ抱きたい」
そのセリフを聞いて。
体がピシリと固まった。
まさかの貞操の危機である。
「伯父上! アリスティア様が固まっております!」
カイルが窘めてくれたが、腕の中にいる為に逃げられない。
焦る。
「ルーカス様。無体を働いたらわたくし、死にますわ」
そう宣言したら、あからさまに慌てて、失言を謝罪してくれた。
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