第17話 公爵令嬢は殲滅する
「バルドの森近くのユーフェニア砦だ! 本当だったのか!」
ヒューベリオンは驚愕の声を上げた。
驚くのも無理はない。彼は先程まで皇宮の皇太子執務室にいたのだから。
目の前で繰り広げられていた、幼女と皇太子の理解不能なやり取りは、彼から思考能力を奪っていた。
それ程までに衝撃的過ぎる内容だった。
──一万くらいなら殲滅しきれますわ。
(一万くらいとか、どういう事だ)
──というか、殺らせてくださいませ! ストレスが溜まっていて、発散しなければ発狂しそうですわ! また海辺に行って、広範囲隕石落としを撃とうと思ってましたのよ?
(広範囲隕石落としは特級魔術の筈だ。幼女が発動出来る筈がない)
──四大精霊王の共同位相結界が必要なものを軽くストレスのはけ口にするな。
(四大精霊王とはなんの事だ。位相結界とはなんだ?)
──あら、問題ありませんわ。位相結界ならわたくしでも張れるようになりましたし。
──待て待て待て! ティア、人間をやめてくれるなと申したはずだが⁉
──四大精霊王の力が必要な位相結界だぞ⁉それを一人で張れるとなれば人間やめてるぞ⁉
(四大精霊王の力が必要なほどの魔力量?)
──だってできてしまったから仕方ないじゃありませんか!
(四大精霊王の力を必要とするほどの特級魔術をも凌駕する魔術を、できてしまったから仕方ない?)
──殿下、先程も言ったとおり、転移座標をこの方の記憶から読み取ります。
(転移座標を記憶から読み取る⁉)
「ちょっとルーク兄様ー!」
(ルーク兄様って、殿下の事か⁉)
「アリス、今のは君が悪いよ。諦めて抱っこされてようね」
「エル兄様、でも」
「でも、ではないよ。殿下が"お気に入り"って言ってるのに他の男の手を取ろうとするとかさ」
(他の男ってオレか⁉ 相手は幼女だぞ!)
「色々不満はあるが、私に抱えられてる状態なら、ヒューベリオンの手を取ってもいいぞ」
「意味がわかりませんわー!」
(奇遇だな、オレも意味がわからない)
ヒューベリオンは混乱する頭を抑えて更に思い出そうとしていた。
(取り敢えず、幼女に手を伸ばしたら、殿下と側近二人に睨まれたんだが。訳がわからん!)
「位置を思い浮かべてくださいませ」
と言われたからヒューベリオンは頷いた。そして一番近くにあったユーフェニア砦を思い浮かべたら。
「読み取りましたわ。では転移しますわ」
そう幼女が言ったらもう砦の前に出ていた。
「貴様、ティアの能力を信じてなかったのか⁉ 皇太子である私が保証しているのだぞ⁉」
「殿下、フェザー様はわたくしと初対面ですわ。信用できなくて当然だと思いますのよ?」
「ティア、正論だが私が納得できないのだ」
「殿下、子供じゃないんですから駄々を捏ねても可愛く有りま──あらやだ、ちょっとだけ可愛いですわ!」
「ティア!」
「取り敢えず、首すりすりはやめてくださいませ! くすぐったくて仕方有りませんわ!」
「殿下、アリスから離れてください。潰すぞこの野郎!」
「アリスにすり寄るなこの幼女趣味野郎!」
「エル兄様、クリス兄様、殿下に対して不敬ですわよ! でも殿下、わたくしも幼女趣味の変態はお断りですわよ?」
「エルナード、クリストファー! 貴様らのせいで純真なティアがおかしな言葉を覚えたぞ! どうしてくれるんだ!
ティア、私は幼女趣味ではないぞ! 趣味がティアなだけだ!」
「余計、ダメなやつですわ! 離してくださいませ、殿下!」
「嫌だ」
「ルーク兄様、離して!」
「くっ! ティアが可愛すぎる!」
「アリス、殿下に兄様呼びしたらご褒美にしかならないからね。とことん他人行儀にしていいよ」
「むしろ今後一切、兄様呼びはやめた方がいいかもね」
「エル兄様、クリス兄様。仕事が修羅場になってもよろしいんですの?」
「うぐ! 修羅場は勘弁……」
「休みが欲しい……」
「お前ら、あとで覚えておけ。仕事を増やしてやる」
「殿下。ルーク兄様。これ以上仕事を増やされたら、兄様たちが潰れてしまいますわ。潰れたら仕事は全部、殿下に向かいますわよ?」
「うぐ。ティアが私の操縦を覚えていく」
「殿下を操縦した覚えは有りませんわ!」
一体いつまでこの茶番を見せられているのだろうか、とヒューベリオンは思う。
遠い目をして現実逃避し始めたヒューベリオンの耳に、砦から出てきた兵士の声が届いた。
「ヒューベリオン様、お早いお帰りで。転移ですか?」
「あ? ああ、転移だ。うん、転移だったな」
呆然と呟くように言うヒューベリオンの様子がおかしい事に兵士は気がついただろうが、賢明にも何も言わなかった。
「ヒューベリオン様、そちらの方たちはどなたでしょうか?」
一兵士が成人したばかりの皇太子の姿を知ってる筈がない。
だが、なんとなくヒューベリオンは紹介したくなかった。したくないが、身分上、紹介しなければならない。
「ルーカス皇太子殿下だ」
「こ、これは大変失礼致しました! 皇太子殿下とは露知らず……」
途端に緊張した面持ちになり、跪く兵士を見て、皇太子は、
「突然来たのは我らであるから、そこまで緊張せずとも良い。この子は私の"お気に入り"の、バークランド公爵令嬢アリスティア嬢だ。彼女は優秀な魔術師で、転移は彼女が行った。スタンピードにも彼女が対応する」
「スタンピードを待って対処するより、広範囲殲滅魔術で速攻対処する方がいいですわ。でも広範囲隕石落としは無理ですわね」
コテン、と小首を傾げて物騒な魔術を持ち出す幼女なのだが、兵士はつい可愛いと思ってしまった。
「広範囲隕石落としは禁止だ。森が跡形もなく、なくなるぞ」
「うーん、サーチしてみたのですけど、森中に魔物が散っているのですわ。どうしましょうか……ああ、そうですわ! 重力障壁をちょっと弄ればいいかもしれませんわね」
「だからティア、人間をやめるなと何度言ったら……」
「殿下も大概しつこいですわね。わたくし、人間をやめた覚えもやめる予定もありませんわ!」
「ティアが、重力障壁をちょっと弄ればいい、などというものだからつい、な。で、どういじるつもりだ?」
「森の木は通過して、魔物だけに効果が出るようにしますわ。上から覆って潰せば、一網打尽ですもの」
「あのな、ティア、普通の魔術師は『森の木は通過して、魔物だけに効果が出るようにする』というとんでもない発想はできないぞ? そして魔術式を弄るのはもっと無理だ。何を簡単そうに言っているんだ?」
「だって殿下。魔術式をいじるのではないんですもの。イメージだけでできますわ」
「サラッとトンデモ理論だった!」
皇太子とアリスティアの会話を聞いていると、自分の常識が果たして正しいのかわからなくなってくる。ヒューベリオンは、またしても遠い目をして現実逃避しそうになった。
「取り敢えず、森の周囲、半径百メートルを位相結界で囲みましたわ」
幼女の言葉にぎょっとする。
確か、位相結界とは四大精霊王の力が必要だったはずだ。
「殿下、失礼しますわ。空中浮遊」
「おい、ティア。ちょっと待て!」
だが幼女は我関せずで皇太子の腕から逃れる。
ヒューベリオンと兵士は目を剥いた。幼女が飛んでいるのだから驚かずにはいられない。
更に、幼女は上へと上っていく。
「魔物の群れはちゃんと閉じ込められてますわ! では殲滅しますわね。うーん、名前は……重力網!」
上空五十メートルぐらいの位置から、掌を森へ向けて上から下へ振ると、森の方から無数の魔物の悲鳴が上がった。
その声を聞きつけたのか、砦から慌てた様子の兵士たちが飛び出してくる。そして空中にいる幼女を見て目を剥く。
「天使か⁉」
「精霊かもしれん」
「でも背中に羽がないぞ!」
兵士たちが騒ぐ。
「ティア、あとどのくらいで殲滅し終わる?」
「殿下、あと五分もかかりませんわ! 多分、あと三分くらいですわ!」
「潰すと言っていたが、完全に潰れるのか? 魔石は大丈夫か?」
「魔石は魔物の殲滅が終わったら、わたくしが集めますわ。魔術でチョチョイのちょいですわよ!」
楽しそうに言う幼女の姿に、兵士たちが悶えているのが見えた。
それを見て、皇太子が殺気を放つ。
兵士たちがぎょっとするが、上から天使の宣言が降ってきた。
「殿下、殺気は仕舞ってくださいませね。殿下が殺気を向けていいのは、皇国の敵だけですわ!」
「ティアを見て不埒な想像をしてる兵士だぞ! 殲滅するのが温情だろう!」
「皇太子殿下、あなた馬鹿ですの? 自国の兵士に殺気を向けるな、と申してますのよ。兵士は国を守る為に志願してくださった、大切な戦力ですのよ? その兵士を大事にしないで何が皇太子ですか! 反省なさいませ!」
「ティアが塩対応過ぎる!」
「殿下、アリスに我々が敵うわけないじゃないですか。諦めましょうね」
会話を聞いていた兵士たちが皇太子だと言われてギョッとし、その後の幼女の言葉に感動している。
そして、幼女の皇太子に対する容赦ない対応に、なぜかヒューベリオンは胸のすく思いがした。
「殿下、殲滅し終わりましたわ。あと魔石を集めますわね」
幼女が手を右から左へ振る。
「底引き網漁!」
宣言された魔術名に、力が抜けた。
しかし。
「魔石転移」
サッと幼女が腕を振ると、魔石の山が目の前に現れた。
「フェザー様、兵士の皆さんに手伝って貰ってよろしいでしょうか? 魔石は一万ニ四〇三個あるはずですが、確認していだきたいのです」
「ヒューベリオン。手伝ってやってくれ。ティア、戻っておいで」
「嫌ですわ、殿下。兵士を大事になさらない殿下なんか嫌いですわよ!」
「反省した、反省したから嫌わないでくれ!」
「では戻りますわ」
そう言うと、幼女はゆっくりと高度を落とし、律儀にも皇太子の腕の中に収まった。
「うむ、しっくりくるな」
嬉しそうに破顔した皇太子の姿に、ヒューベリオンはなんだか面白くなかった。
「殿下、ストレス発散できませんでしたわ! 広範囲隕石落としを撃ちに行ってもいいでしょうか?」
「却下だ。ティア。確かに魔物は一匹もこちらに漏れて来なかったがな。魔力回復しないと魔力枯渇で倒れるぞ」
「魔力量ならまだまだ余裕ですわよ? 十分の一も使ってませんし」
「は⁉ 十分の一⁉」
「いえ、それ以下ですわ。広範囲隕石落としを十回撃っても余裕ですわよ?」
皇太子が唖然とした顔で幼女を見ている。
「ティア。ちょっと尋ねるが。ティアの魔力量は私の魔力量の何倍なのだ?」
「殿下の魔力量ならおよそ五倍、でしょうか? 筆頭魔術師様の魔力量だと二〇倍ですわね」
恐ろしい事をサラッと言われて──皇太子は考えるのを放棄した。
「私の天使が凄い」
「殿下! わたくし、人間をやめた記憶はありませんわよ!」
「ふふふ、アリスティアは僕、風の精霊王の愛し子だからね。確かに天使ではないね。僕からしたら愛らしい子供だよ」
「エアリエル様、ご機嫌麗しゅう」
「風の精霊王。腰が軽いですね」
「アリスティアが珍しい魔術の使い方をしていたからね。見てたんだ。何なの、底引き網漁って! 笑っちゃったよ!」
人間離れした美貌の持ち主が、風の精霊王と聞き、驚愕の気配が広がる。
ヒューベリオンも只管驚愕していた。
(風の精霊王の愛し子だって⁉ 愛し子の頂点じゃないか!)
「だって、他にいい名称が浮かばなかったんですもの。魔石を根こそぎ攫うし、底引き網漁みたいだな、って思って」
「まあ、イメージで強化出来るしいいんじゃないかな? それよりアリスティア。何サラッと位相結界を構築してるのさ⁉ 僕ですらびっくりだよ! ウンディーネもサラマンダーもノームもびっくりしてたよ」
「うーん。構築してみたらできちゃったんですわ。あと、グラヴィティ・ネットも」
「アリスティア。それ、トンデモ技術だからね?」
アリスティアが思った以上に優秀で、守護が間に合うか心配だよ、と風の精霊王が呟いた。
「風の精霊王。我らが全力でティアの守護をしている」
「でも万全じゃない。寝る時の守護が薄い。アリスティア、寝る時はこれから位相結界を敷いて寝るんだよ」
「エアリエル様。了解しましたわ」
そして、うーん、と可愛く唸ったあと。
「そうだ、こんなのはどうでしょうか?」
アリスティアが指を振ると、近くにもう一人アリスティアが現れた。兵士たちがぎょっとしている。
「幻影……違うか。これは何からできてるの?」
「ここでは草を使いましたわ。部屋では毛布や枕を使おうと思いますわ」
「ああ、変形の術か。闇魔術の」
「闇魔術ですの? こんなのできるかな? って考えただけですわよ?」
「わー。アリスティアは、本当にトンデモない才能持ちだね」
楽しいけど、と続けられた言葉は、しかし他の人間には楽しくなかった。
「ヒューベリオン。私達は今夜どこで寝るといいのかな? 明日までは安全確認の為に砦に滞在したいのだが?」
「殿下、気が付かず申し訳ありません。砦にすぐに部屋を用意させます」
「アリスティアを護るような部屋割にしろ。具体的には、アリスティアが中心で、その周囲を我らが囲う配置だ」
「精霊王の愛し子だとすると、確かにアリスティア嬢は重要人物ですね。確かに承りました」
そう言うと、ヒューベリオンは砦に案内する。
アリスティアを抱えた皇太子、その後ろに側近たちが続き、更にその後ろにアリスティアの護衛と思われる女性騎士が続いた。
殲滅すると言いつつ、重力の網で潰すだけで、アリスティアはストレス発散できてません。
ここまで読んでくださりありがとうございますm(_ _)m