第15話 公爵令嬢はお茶会に行く
魔術講習を行ってから一ヶ月ほど経った頃、アリスティアのところにお茶会への招待状が届いた。
招待主はローザンヌ公爵家のナタリア嬢で、アリスティアには全然心当たりがなかった。
エルナードに聞いたら、ナタリア嬢は十二歳で、来年社交界デビューを予定してるらしい。と言う事は、全くちっともアリスティアと繋がりがない訳で。どうして招待されたのかもわからない。
とりあえず、母のローゼリアも一緒にお茶会へ参加してくれる事になったのが、アリスティアには安心材料になった。
だが、初めてのお茶会参加である。
ドレスを用意する事になり、一日、登城を取りやめる事になったのだが、なぜか採寸の日に兄たちが屋敷におり、更には皇太子もダリアを伴ってやってきた。
流石に採寸の時には男性陣は部屋の外で待っていたが、ドアの前に立って警備兵よろしく周囲を睨んでいたと聞き、アリスティアは遠い目をしてしまった。
細かい採寸をし、ドレスのデザインを(主に母とデザイナーとで)話し合い、靴と装飾品を決めて、漸くひと息つけたのが昼前だった。
そして、皇太子とダリアを交えて公爵家のダイニングで昼ご飯を食べ、昼ご飯の後にサロンに移動して、食後のお茶をし、そこでローザンヌ公爵令嬢についての噂を、エルナードから聞いた。
──皇太子殿下に恋慕している。
──自分の容姿に自信があり、教養も高い。
──精霊の愛し子であることを鼻にかけている。
──ヴァイオリンの腕はいいみたいだ。
──男性の取り巻きがいる。
皇太子に恋慕している、と言うところで、皇太子が、フン、と皮肉げに鼻を鳴らした。おそらく気分が悪いのだろう。
きれいな女の子に好かれて気分が悪くなるって、どういうことだろうか、とアリスティアは不思議に思った。
やはりアリスティアには皇太子を理解できない。
「精霊の愛し子って、高位貴族には結構いるんだけど、それを知らないのかな?」
そう、エルナードが不思議がる。
「どちらにしろ、精霊王の愛し子であるティアには敵う筈もないがな。精霊王は精霊たちを統べる存在なのだから」
それに、と皇太子が続ける。
「教養は高いだろうが、精霊の愛し子である事を鼻にかけたりする時点でマナーは最低だろう。それに、男の取り巻きがいる、なんて噂は、女性の友達がいない事を示唆しているし、もし皇太子妃を目指しているとしても、男の取り巻きがいる時点で却下だ。
皇太子妃は、若い女性を導く存在。若い女性たちの手本とならねばならないのだからな。夜の蝶のような女性には似合わない。
それに私の嫌いなタイプだ」
鼻に皺を寄せて言う事か、と思うが、言っている事は至極当然の事だった。
「ティア、そんな令嬢に負けてくれるなよ?」
いつアリスティアが勝負する事になったのだろう、と鼻白んだ。
準備は順調に進み、お茶会当日がやって来た。
昼食後にお風呂に入り、上がってから侍女に着替えさせて貰い、支度の整ったアリスティアは、母親を待つためにサロンへと向かった。
ソファに腰掛けて待っていると、何やら扉の向こうが騒がしい気がする。
侍女に目を向けると、頷き、扉に向かった。扉を開けて廊下に出る侍女を見ていたら、二言三言の会話の後に中に戻ってきた。
「皇太子殿下がいらっしゃっております」
アリスティアは頭痛がして来た。何故に皇太子がここにいるのか。腰が軽すぎるのも問題だ、とため息を吐きたくなった。
「私が向かいます」
立ち上がり、扉に向かう。
扉は侍女に開けてもらった。幼女の力では開けられないからだ。
そこには確かに皇太子がいた。後ろには兄たちとダリアが控えている。
兄たちに、目線でどういう事かと問いかけたが、二人揃って諦めろとばかりに首を横に振られた。
「皇太子殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう」
「そんな堅苦しい挨拶は不要だ。本日は私もティアの付き添いで向かう事にしたからよろしく頼む」
「殿下! お茶会は女性と子供の社交の場ですわ。男性が参加するのは前代未聞」
「ティア。決定事項だ」
「……御意」
皇太子に逆らえる人は、皇王しかいない。
初めてのお茶会で、皇太子殿下が付き添いとか、目立つこと必至だろう。
(何故に殿下は私のハードルを上げようとするの……)
遠い目をして現実逃避していたら、皇太子が言った。
「とは言え、ティアを目立たせる訳にはいかないから、私は少し遅れてローザンヌ公爵邸に行く。ダリア、それまでティアの護衛に付け」
「御意」
「エルナード、クリストファー。私の護衛として従え。本来の護衛は近衛から二名手配しろ」
「御意」
「ティア、中に入っていいか?」
「あ! 大変失礼いたしました。どうぞお入りくださいませ」
皇太子に言われるまで気が付かなかった。
慌てて中へと促し、ソファを勧める。
皇太子はソファへ座り、アリスティアに横に座るよう促した。
(あ。これ、逆らっちゃダメなやつ……)
諦めて皇太子の隣に座る。
「ティア、今日は魔力を使った威圧を行うから、以前のように耐えてくれ」
殿下がアリスティアを見おろし、そう話すが、なんのことやらさっぱりわからない。キョトンとするアリスティアを見て、皇太子は困ったようにため息を吐いた。
「やはり覚えてないか。だが、一度受けているのだから、耐えられる筈だ。既に魔力制御も出来てるし、大丈夫だろう」
「殿下? なんの事ですの?」
「ああ、ティアは威圧を耐えるだけでいい。こんな風にな」
そう言った殿下から、急に圧力を感じた。
驚くが、敵意は感じないから大丈夫だ。
ただ、少しだけびっくりした。
皇太子の目を見たら、ニヤリと笑い、圧力が消えた。
「殿下、全方向に威圧を飛ばさないでください。使用人が可哀想です」とエルナード。
「ああ、それは済まなかったな」
「ちっとも済まないと思ってない方に謝罪を頂いても困りますがね」とクリストファー。
「皇太子殿下におかれましては、ご機嫌麗しゅう」とは入ってきたアリスティアの母、ローゼリアだった。
「バークランド公爵夫人、本日は私の我儘を聞いて頂き感謝する」
「いえ、こちらこそアリスティアを可愛がって頂き、恐悦至極に存じますわ」
「準備は出来たと言う事でよろしいか?」
「はい、殿下」
「先程、ティアにも説明したが、今日、私は少し遅れて会場入りする。その時に、魔力威圧を行う。ティアは先程試したが大丈夫だった。夫人も問題ないな?」
「はい、殿下。問題ありませんわ。ではこのままローザンヌ公爵邸に向かいますわ。アリスティア、行きますよ」
「はい、母様」
やっとローザンヌ公爵邸に向かうらしい。だが、アリスティアは余り行きたくなかった。
嫌々ながら母親について行くアリスティアを、皇太子は目を細めて見送っていた。
ローザンヌ公爵邸は、バークランド公爵邸よりは小さかった。
バークランド公爵邸と比べるのがそもそもの間違いなのだが。ただ、口に出す失礼はしない。
招待状を案内の侍従に見せると、直ぐに庭園に案内し始めた。
「こちらで暫しお待ちください」
庭園の席に案内され、そこに腰掛ける。
次々と貴婦人と令嬢たちが案内されてきたが、全て他の席に連れて行かれ、アリスティアたちの席は母親とアリスティア以外、誰も座らない。
徐々に異常性に気が付き、おやおや、と思う。
母親も、扇で口元を隠して目元は笑いを形作っているが、目には強い不快の色が浮かんでいた。
少しして、一際目立つデイドレスを着た貴婦人と、十二、十三歳くらいの、派手なドレスを着た少女が現れ、アリスティアと母親がいる席についた。
「ごきげんよう、皆様方。本日はローザンヌ公爵家のお茶会に参加して頂き、ありがとう存じます」
貴婦人が声を上げた。と言う事は、この貴婦人がローザンヌ公爵夫人ということか、とアリスティアはその貴婦人を見る。
「暫し、歓談の上、お楽しみくださいませ。そうそう、本日はバークランド公爵夫人とご令嬢が参加されてますのよ。仲良くして差し上げてくださいませ」
「ご紹介に預かりました、ローゼリア・ナシェル・セラ・バークランドですわ。こちらは娘のアリスティア」
「はじめまして、皆様方。ご紹介に預かりました、アリスティア・クラリス・セラ・バークランドでございます。本日はご招待頂きありがとう存じます」
椅子から立ち上がり、きれいなカーテシーを披露すると、あちこちで息を飲む音が聞こえた。
「アリスティア様、初めてお目にかかりますわ。ローザンヌ公爵が長女、ナタリア・ツェルニー・セラ・ローザンヌですわ。仲良くしてくださいましね?」
「ナタリア様、こちらこそ、仲良くしてくださいませ」
相手の視線からバチバチと火花が飛ぶようだ。はじめから敵意を飛ばされるとは思わなかったアリスティアである。
「ナタリア様は、ヴァイオリンがお上手と聞きましたわ。どんな曲がお好きですの?」
「まあ。お恥ずかしい。好きな曲はヴァレリー・ホーフマンの、湖の乙女ですわ。」
「湖の乙女ですか、あれはいい曲ですわ。乙女が騎士様に恋をする曲ですわね。わたくし、まだ恋はわかりませんが、曲調が切なくて、恋とはこんな感じなのかと思いを馳せておりますのよ」
五歳児が恋を知る筈がないと思っての選曲だろうけど、ピアノでも弾ける曲だから、家庭教師に弾かされたのだ。アリスティアだって曲だけは知っている。感想はでたらめだけど。
「まあ。アリスティア様は早熟ですのね!」
「本を読むのが好きだからですわ。片っ端から図書室にある本を読んでいますのよ。中には、恋愛小説もありましたわ。わたくしにはまだ早いと思いましたわ。読んでてなんだか気恥ずかしくて」
アリスティアは、その小説を読んだ時の気持ちを思い出したら、顔が熱くなった。
ナタリアが怯んだ気配がしている。
母親が参戦しようとしたところで、使用人が慌ててローザンヌ公爵夫人に駆け寄り、耳打ちした。
ローザンヌ公爵夫人が驚いた顔をしたが、直ぐに表情を取り繕い、ご案内して、と伝えたのを聞いて、いよいよ皇太子達が到着した事を悟った。
つい遠い目をしてしまうアリスティアである。
使用人が立ち去ると、ローザンヌ公爵夫人が立ち上がり、一つ咳をした。
「皆様方、本日は誠に有り難い事に、やんごとなきお方のご臨席を賜りましたわ」
非常に得意そうに告げると、彼方此方から驚きの声が上がる。
そこへ、皇太子が兄二人を伴い、後ろに近衛騎士の護衛二人を引き連れて登場した。
席は、アリスティアたちがいる主賓席に案内されてきた。
席に着くと、皇太子はいきなり魔力を込めた強い威圧を全方位に向けて放った。
「皇太子殿下におかれましては、ご機嫌麗しゅう存じます」
即座に挨拶をし、カーテシーを披露する。
威圧に中てられて、呆然としていたローザンヌ公爵夫人とナタリア嬢だったが、アリスティアの挨拶を聞き、慌ててカーテシーを披露した。
漣のようにその動きが広がる。
「面をあげよ。アリスティア嬢、相変わらず完璧な礼儀だな。バークランド公爵夫人、久しいな。母上が寂しがっているから、たまには皇宮に来て母上の相手をしてやってくれ」
皇太子殿下に許しを与えられた面々は、ゆっくりと顔を上げた。
「ローザンヌ公爵夫人。突然の訪問、許せ。側近から、今日は妹がこちらの茶会に出席するから心配だ、と聞いてな。妹思いの側近を連れて来たのだ」
「皇太子殿下、ご来臨いただきまして、誠に感謝いたしますわ。許せなどと仰られずとも、いつでもいらしてくださって構いませんわ」
「あの、皇太子殿下。初めてお目にかかります。ローザンヌ公爵が長女、ナタリア・ツェルニー・セラ・ローザンヌと申します。今後ともよしなにお願い申し上げます」
「ローザンヌ公爵夫人。ご令嬢は、少しばかり礼儀に欠くようだ。私は夫人からご令嬢の紹介を受けていないのだが? それとも、私が聞き逃したのか、エルナード?」
「いいえ、殿下。我々も聞いておりません」
「ふむ。では私の間違いではなかったのだな。ローザンヌ公爵夫人。どうなのだ?」
皇太子の視線はナタリアを無視し、ローザンヌ公爵夫人のみに向けられており、その温度は絶対零度で、冷ややかだった。
皇太子からの追求に、ローザンヌ公爵夫人の顔色もナタリアの顔色も悪くなっていく。
アリスティアはため息を一つついて、
「殿下、発言をお許しくださいませ」
と割って入った。
「許す」
「皇太子殿下。ここはローザンヌ公爵家ですわ。主催ですから、夫人とご令嬢がいるのは当然です。私的な茶会は、社交界に出る前の令嬢たちの練習の場でもありますの。多少の粗相は、許されますのよ。余りナタリア様とローザンヌ公爵夫人をお責めになさらないでくださいまし」
「そうであるか。なら不問にしよう。だが次はないと思え、ローザンヌ公爵夫人」
「皇太子殿下。寛大なお心遣い、ありがとう存じます。娘は、今後厳しく躾けますわ」
「謝意ならばアリスティア嬢に向けよ。さすが筆頭公爵家の娘、恐れることなく私に意見を述べた。これで五歳だと言うのだから、将来が楽しみな事だ。
しかし、私の目がおかしいのか? ここにいる令嬢たちは、皆十二、十三歳くらいに見えるのだが? 一人としてアリスティア嬢と同年代の子供の姿はないようだな? これはどういう事かな、ローザンヌ公爵夫人? まさか、一人だけ孤立させて貶めようとはしてないだろうな? 私はそういう卑劣な輩は吐き気がするほど嫌いだが」
「殿下、誤解ですわ! 私どもは決してバークランド公爵令嬢を貶めようなどと考えておりません!」
「その言葉、相違ないな?」
「はい、殿下」
「だそうだぞ、クリストファー、エルナード。噂は噂でしかなかったようだな」
「殿下。噂では実害が懸念されるのもありましたよ」
「だが貶めようなどと考えてないと言ったぞ」
「殿下は甘いです。この噂は、いずれ広がったはず」
「疑わしきは罰せず、だ。エルナード。
私だとて腹に据えかねているのだ。このように、母親以外、味方になる者もいない場所に呼びつけられ、令嬢たちの悪意ある視線に晒される。自分の才覚以外、窮地を脱する方法はない。なのに、目立つ席に縛り付けられ、主催から逃れる術もない。
ならば、報復も覚悟出来ていよう。
クリストファー。ここにいる、アリスティア以外の全ての令嬢の顔と名前、全て一致したか?」
「はい、殿下。二十四家全て覚えました」
「エルナード」
「はい、殿下。アリス、母上。暫し我慢を」
皇太子の声は、明らかな怒りをはらんでおり。エルナードもクリストファーも、冷たい視線を令嬢たちに向けている。
「嘆きの鏡」
「緩やかな廃庭園」
「断罪の風」
告げられた魔術にアリスティアは衝撃を受けた。全て、断罪用の魔術であり、効果は顔貌の変容と、精霊からの祝福の棄却と罪を犯していれば死を願うもの。
「っ! 魔術反射。全魔法棄却!」
「ティア!」
「治癒結界」
「ティア、そこまでする必要はない!」
「だめです、殿下! それをやったら殿下の評判に傷が付きます! それはわたくしが嫌なのです!」
「っ! わかった、ティア。これ以上はしないでおこう。だが、ここにいるローザンヌ公爵家とそれに連なる二十三家は覚えた。今後のそなた達の動き次第でどうなるか、わかっておろう?
私の"お気に入り"を傷つける事は許さない」
皇太子の言葉とともに殺気が溢れ、周囲に放たれた。先程の威圧の比ではない。息が苦しい。
この殺気に中てられ、次々と令嬢とその母親たちが失神していく。
「皇太子殿下! その殺気を、抑えて、くださいませ! 息が、苦しい、のです」
呼吸困難になりながらも訴えたアリスティアは、直後、呼吸が楽になり、震えそうになっていた体も、安堵に力が抜けた。そのせいで、椅子から崩れ落ちそうになる。
「ティア、済まなかった。つい暴走してしまったようだ。
ローザンヌ公爵夫人。最後まで意識を保っていたのは認めるが、今後、アリスティアに手出しをしたらどうなるかわかっていよう。この子は"私のお気に入り"だ。
それと、娘には分不相応の夢を見させるな。その夢は、一生かかっても実現せぬ。妃というのは令嬢たちの手本であり、このように集団で幼い子供を甚振るような者は妃にはせぬ。不愉快だ。
エルナード、クリストファー。ティアとローゼリア夫人を連れて帰るぞ」
「はい、殿下。母上、帰りましょう。アリス、大丈夫かい?」
「ローザンヌ公爵夫人、このような結果になり残念ですわ。いずれお礼をさせてくださいましね?」
母親のローゼリアがにっこりと微笑んで立ち上がる。
「ローザンヌ公爵夫人、ナタリア様。本日はご招待頂きありがとうございました。途中退席のご無礼をお許しくださいませ」
(一応、礼儀を尽くしておかないとね。必要はなさそうだけど)
皇太子に連れられ、窮屈で緊張を強いられるばかりだった茶会から逃れ、アリスティアはホッと息を吐き出した。
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