第14話 公爵令嬢は街に出かける
あのあと、魔術講習という"仕事"を思い出して、なんとか他の魔術や魔法の詠唱破棄での発動方法を教え、アリスティアが想像力豊かなのは、多分絵本や本をたくさん読んでいるからだろうと話して。
講習が終わったのは、昼を過ぎてからだった。
昼は皇宮に戻ってから摂る予定だったのだけど、アリスティアは街歩きをしたいと願った。皇宮にいたら街に出かけられないし、多分、公爵家にいても街歩きに出かけられないだろうから。
屋敷から離れている今が一番いい機会だと思えた。
だから、必死でお願いしたのだ。
「ルーク兄様、エル兄様、クリス兄様! わたくし、一度街歩きをして、民の生活を感じたかったのです。皇都だと街歩きしにくいと思いますの。ここ、オーサなら、そんなに広くもないようですし、兄様たちが護ってくださるのでしょう? お願いですわ、街歩きさせてくださいまし?」
そして、首をコテンと傾げて兄たちを見上げると、全員、口元に手を持っていき、顔を赤くしてぷるぷると震え始めた。
そして、暫くその状態が続き、やっと落ち着くと、渋々許可を出してくれた。
アリスティアはとても喜んだ。
街歩き用の服を持ってきてなかったけれど、魔術講習と言うことで汚れてもいい簡易なドレスを着ていたため、そのまま行くことになった。
行くメンバーは、アリスティア、皇太子、エルナード、クリストファー、ダリアの五人。
いつもは皇太子に着いている護衛が今日はいないが、何かあってもこのメンバーなら大丈夫な気がした。
街の中心部らしきところは、いろんな商店が並んでいた。装飾店、飲食店、服飾店、宝石商、他にも色々あるが、先程からいい匂いが流れて来てアリスティアのお腹を刺激してくる。流れて来る方を見れば、広場があり、屋台が出ていた。
街中を歩いている一行は、実はかなり目立っていたが、それをわかっている成人組は問題視していないし、アリスティアはちっとも気が付いていなかった。
すこぶる美形の一行だから、目立たない方がおかしいのであるが。
「エル兄様、あのお肉の串はなんですの?」
「あれは串焼きで、刺さってる肉は豚肉だよ。スパイスと塩で味付けされてるんだ。食べるかい?」
「ぜひ食べてみたいですわ!」
目を輝かせて期待する幼女は、周囲から微笑ましく見られていた。
もちろん、言われた兄は、すぐに広場の中の屋台に歩いて行く。
アリスティアたち一行は、広場にある空いているベンチに向かった。そこに腰掛ける。右隣に皇太子、左隣にクリストファーが座り、アリスティアの背後にダリアが立つ。ちなみにダリアは騎士服を着ているが、近衛騎士のではなく皇国騎士服の為、アリスティアたちの一行は貴族のお忍び程度に思われていた。
「アリス、お待たせ! ってクリストファー、ルーク、アリスの隣にちゃっかり座って! 僕の座る場所がないじゃないか!」
「残念だったな、エルナード。だがこの場所は譲らんよ。ティアを護る為の絶好の位置であるからな」
「あー! 利き手の右手で抜剣できるからか!」
「正解だ」
「エル兄様、それよりもわたくし、お腹が空きましたの。串焼きをくださいまし?」
「ああ、アリス。ごめんね。串焼きの他にも、民が良く食べそうなものを買ってきたから、全部食べなくて残してもいいからね」
「まあ、エル兄様! ありがとうございます! 優しいエル兄様は大好きですわ!」
アリスティアから大好きと言われたエルナードは、嬉しくてニヤついてしまった。
面白くないのは皇太子とクリストファーである。
エルナードの手から串焼きを奪い取り、無言で食べ始めた。
アリスティアはというと、串焼きに手こずっており、やっと肉を一つ口に入れ、もぐもぐと咀嚼している。肉が大きくてなかなか咀嚼しきれていないようだ。
「ティア、串焼きはそれ以上は喉に串が刺さりそうで危険だから、次はベーグルサンドがいいと思うぞ?」
串焼きの肉が思った以上に手強かった為に、未だに口いっぱいに肉が残ってるアリスティアは、皇太子からの提案にただ頷いた。
すぐに皇太子がアリスティアの持つ串焼きを受け取り、エルナードからベーグルサンドを奪い取ってアリスティアに渡す。
「ありがとうございます、ルーク兄様」
やっと咀嚼した肉を飲み込めたアリスティアが、若干涙目でそう言うと、ルーカスはアリスティアの眦を拭い、涙の跡を消した。
次いでアリスティアはベーグルサンドを齧る。口が小さいから、ほんのちょっとしか齧れないため、サンドの中身の具材まで届いてない。
それでも先程の串焼きよりは食べやすく、具材まで届く約四分の一くらいは食べたところで、また皇太子からベーグルサンドを取り上げられ、次のりんごパイを渡された。
甘くて美味しいそれは、アリスティアを幸せにしてくれる。
オレンジの果実水を途中で飲みながら、りんごパイも四分の一程食べたら、もうお腹いっぱいになった。
ちなみに、アリスティアが残した串焼きもベーグルサンドもりんごパイも、全て皇太子がすぐに平らげており、兄二人が唖然としていたのをアリスティアは知らなかった。
食べ終わったアリスティアは、飲食店以外の商店を覗きたくなった。
「ルーク兄様、装飾品のお店を見てみたいのですけど」
「良い、ティアの好きなようにせよ」
「ありがとうございます、ルーク兄様!」
アリスティアは、皇太子殿下と繋いでいた手をきゅっと握った。すぐに柔らかくにぎり返してくる感触に、なんだか擽ったい気持ちになる。
ちなみにクリストファーが先頭を行き、皇太子がアリスティアの右隣、エルナードが左隣にいて、後ろをダリアが護っている。
厳重な護りであるのだが、アリスティアは全く気が付いていない。周りが気が付かせていないのだが。
だから、それはちょっとした事故だった。
アリスティアが、何かに気が付いて皇太子の手を離し、左隣のエルナードの脇をすり抜けて走って行ってしまった。
慌てたのはエルナードと皇太子とダリアで、クリストファーは事態に気づくのが遅れた。
「ティア!」
「アリス!」
「アリスティア様!」
三者三様の呼びかけに、しかしアリスティアは振り返らない。
アリスティアが走り寄ったのは、馬車道で蹲っている子供だった。
その子供の先には、走ってくる一台の馬車。
四人はその光景に焦りまくった。
今から結界を展開するのは間に合わない。走り寄るのも間に合わない。唯一間に合うのは、防御よりも攻撃魔法。しかし街中で発動するものではない。アリスティアに怪我をさせてしまう!
四人が四人とも、アリスティアが酷い怪我をする未来を思い描いた。
「光の盾、多重展開!」
「眠りの風!」
「空中浮遊!」
多重に展開される魔術の発動の声が届く。
目の前で起こったのは、光の盾がびっしりと展開されて守られてるアリスティアと子供、浮き上がる馬車と、寝てしまった馬。
「ティア!」
皇太子はすぐにアリスティアに走り寄った。
そしてすぐに周囲に魔術を発動する。
「幻惑の霧」
かけたのは、幻覚を見せる術。アリスティアの魔術を忘れさせなければならない。
すぐに横に立ったのはエルナード。
「思い出の風」
エルナードが発動したのは、風属性の魔術で、記憶の改竄をするえげつない上級魔術。やはりアリスティアの発動した魔術の記憶を消すためのものだ。
「夢の蔦」
後ろから聞こえたのは、クリストファーが発動した土属性魔術。
夢の中に入ると発動する魔術だ。
家の中に少しでも植物があれば発動できる、時間差の魔術である。
この時間の消された記憶を、夢で上書きする。
何もなかった事に。
全てえげつないものだが、精霊たちが貸してくれた力で、アリスティアを護るためのもの。だったらどんな事でもやる、と守護契約者は全員、覚悟完了しているのだ。
ゆっくりと馬車を下ろしたアリスティアが、眠っている子供を抱き起こしている。
光の盾も解除されていた。
エルナードが近づくと、子供をアリスティアから受け取る。
そして商店の壁にもたれさせる。
かわいそうだが、この場にいる以上は、アリスティアとの関係はなかった事にされなければならない。
「ティア、心配した」
皇太子がアリスティアをまた抱き上げているの見えた。
不愉快な気分になるが、相手は自分の上司であり、この国の皇太子である。
そして、いくらエルナードが不愉快な気分になろうとも、皇太子以上にアリスティアを護れる人間はいない事を知っているから、不愉快な気分を飲み込んで任せるしかないのだ。
「ごめんなさい、ルーク兄様、エル兄様、クリス兄様、ダリア姉様。あの子が躓いて転んだのが見えたから、つい」
俯いて反省している姿を見せられると、それ以上は言えなくなる。どこまでもアリスティアに甘いのが兄たちであり、皇太子であり、つい最近護衛に加わったダリアだったりする。甘やかすばかりだとアリスティアの為にならないのは充分理解しているのだが、いざ本人を目の前にすると、厳しくできないのがこのメンバーだった。
「次からは気をつけるように。心配しすぎて心臓に悪いからね」
皇太子が軽く注意して、それ以上は終わりだという空気を作る。
「わかりましたわ。次からは注意します」
「うん。ティアに怪我が無くて良かった。精霊王たちに叱られてしまう」
怪我をする事を想像できないくらい、アリスティアの魔法や魔術は飛び抜けているのだが、その辺はきれいに無視される。才能があっても怪我をする時はするのだから。油断大敵。
「それで、ルーク兄様、装飾品店はどうなりますの?」
少し上目遣いに見上げると、仕方ないなぁとでも言うように肩を竦めて、
「行っていいが、長い時間は許可できないぞ」
「少しでいいのです! ありがとうございます、ルーク兄様!」
「私には大好きとは言ってくれないのかな?」
「う。恐れ多くて……」
「仕方ないか。──そのうち言わせてみせよう」
「?」
後半が聞こえなかったから、何? と視線で問いかければ、何でもない、と首を振られた。
兄たちの背後からなんだか黒いものが吹き上がってる気がする。ダリアは微笑んでいて、アリスティアの清涼剤だった。
並んで装飾品店まで歩いて行ったら、色とりどりのリボンやスカーフ、ハンカチ、イヤリングにイヤーカフス、リボンタイなど、可愛いものが多い。
夢中になって見ていたが、イヤリングのところで気になるのがあった。
石はアメジストで、そんなに大きくはないし、シルバーのチェーンもごく普通なのに目が離せない。
じっと見ていたら、皇太子が気がついた。
「気になるのはこれ?」
頷く。
「この石からは、精霊の気配がする。店主、これを」
「はい、ありがとうございます!」
「これで足りるか?」
「はい、お釣りが出ますので少々お待ちください!」
大銀貨を受け取った店主は、ニコニコしながら商品を持ち出し、箱に入れたものを持ってきて皇太子に釣りを渡していた。
「ルーク兄様、貰う理由がありませんわ」
「子供なのだから、黙って貰っておけばいいのだよ。この程度、安いものだからね。気になるなら、ティアからのプレゼントが貰えれば帳消しだよ」
「ルーク兄様……わかりましたわ」
困った顔をしたアリスティアは、皇太子の言葉を渋々と受け入れた。
「さて、ティア。そろそろ戻らないと時間がないよ?」
「残念ですけど、仕方ありませんわね」
みんなで店の外に出て、海岸に向かう。
海岸から、皇宮に転移する事になっているのだ。
十五分ほど歩くと、海岸についた。
魔術師団は、先に皇宮に戻っている。今から戻るのは、アリスティアと皇太子とエルナード、クリストファー、ダリアの五人だ。
そして転移魔術を発動するのはアリスティアになっていた。
「わたくしの周りに集まってくださいませ」
アリスティアが言うと、囲むように大人四人が立つ。
「転移術、皇太子執務室」
「は!?」
アリスティアが発言したのを聞いた皇太子が驚く。
その時には既に転移が終わっていた。
間違いなく皇太子の執務室の中である。
だが、これはおかしいのだ。
普通は、転移の間に転移させられる。他に直接飛ぶ事はできない筈なのだ。
「ティア。人間やめないでくれるかな、って言ったはずだが」
「失礼ですわね。わたくし、人間をやめたつもりはありませんことよ?」
「殿下、うちの妹だから、で諦めましょう?」
「いちいち驚いてたらキリがありませんよ」
「そうか。そうだな」
皇太子が、遠い目をした。
ここまで読んでくださりありがとうございますm(_ _)m