第13話 公爵令嬢は魔術講習を行う
アリスティアが己の持てる最高級の魔術を披露してから一週間後に、海辺でアリスティアによる魔術講習が行われる事になった。
場所はヘーゲル伯爵領にある港町オーサで、そこまでは転移で移動するらしい。
アリスティアも転移術は使えるのだが、如何せん、行った事のない場所へは如何なアリスティアとて転移出来ない。
素直に魔術師団による大規模転移を頼ろうと思った。
当日になると、アリスティアはワクワクして上機嫌になった。漸く広範囲隕石落としを試し打ちできるのだと思うと、期待に胸が高鳴る。
港町オーサに行くのは宮廷魔術師団の五〇人と、当然の如く同行する皇太子と、その側近の兄二人。アリスティアには皇太子が同行する異常性に気が付いていなかったが、宮廷魔術師団は内心、恐れ慄いていた。
皇太子に何かあったら、宮廷魔術師団の責任問題になる。魔術師筆頭も筆頭補佐もいるから大丈夫だとは思うが、宮廷魔術師たちにとっては護るべき対象者が腰も軽く開けた場所、即ち狙い易い場所に同行するなど、有り得べからざる事態であった。
しかしその護衛対象者である皇太子は、幼い公爵令嬢を抱き上げ、なんとも楽しげな笑顔を見せている。それが魔術師たちの混乱を引き起こしていた。
皇太子はいつもつまらなそうな顔をして淡々としていた筈なのに、目の前の笑顔の人物が、その皇太子本人と同一人物だとはとても見えないが、付き従っているのがバークランド公爵家の双子の子息なのだから、恐らくはあの笑顔の人物が皇太子なのだろう。
そして混乱に更に拍車をかけているのが話している内容だった。
「殿下! アリスを下ろしてください! アリスだって一人で歩ける年齢です!」
「というか、アリスに触るな撫でるなアリスが減る!」
「お前たちはティアが絡むと常識を放り投げるのだな⁉ 減る訳がないだろうに。それにティアだって撫でられて嬉しそうだぞ?」
皇太子が呆れた様に返事をすれば。
「アリスを撫でていいのは僕たちだけです!」
「アリスを愛でていいのも、僕たちだけの権利だ!」
双子がいい連携で切り返し。
「その点は心配には及ばないぞ。宰相からの許可は得ていると先日も言ったであろう? 何、私だけが愛でていいとか私だけが撫でていいと狭量を言うつもりもないから、ちゃんとお前たちにもその権利を分けてやろう」
何故か自慢げに、非常に反応に困る事を皇太子が言い。
「殿下、何を上から目線で言っちゃってるんですか⁉ アリスは僕たちの妹であって、殿下の妹ではないでしょう⁉」
「妹を愛でたかったら、ご自分の妹であるリオネラ第三皇女殿下を愛でてください!」
「だが断る! リオネラはこんなに愛らしくないからな! それにリオネラには既に婚約者がいるのだから、兄と言えども気軽に交流して良い訳が無かろう?」
ここに居ない第三皇女殿下に何かが飛び火して即座に却下され、然し第三皇女殿下がこの場に居たら怒りまくるだろう内容に、魔術師たちが内心、頭を抱え。
「ああ言えばこう言う! 本当に殿下は、アリスには全力で関わろうとするんだからたちが悪い」
「エルナード、諦めろ。僕たちが殿下の横暴に勝てた試しがないじゃないか」
双子が言う内容が普段の皇太子とかけ離れ過ぎて理解できない。そもそも、皇太子が横暴を働いた記憶がない。
「それとこれとは話が別だ! アリス成分が足りなすぎて、禁断症状が出そうなんだよ! クリストファーは大丈夫なのか⁉」
「大丈夫な訳があるか! 我慢してるだけだっての!」
収まりそうだった話が変な方向に舵を切っている。
「我慢せずともティアを撫でればよかろう?」
殿下、煽らないでください、とはそこに居た全員の気持ちだろう。
「殿下がアリスを抱えている状態でアリスを撫でたく無いんですよ! 撫でるなら、自分が抱えた状態の方がいい!」
「お前たちは本当に清々しいほどに、妹至上主義だな⁉」
「アリス至上主義の殿下に言われたくありません!」
「僕たちも大概な自覚あるけど、殿下も清々しいほどにアリス至上主義だよね!」
執務を全力で片付けてアリスと戯れる時間を毎日作る程度にはアリス至上主義だよね、と双子の片割れが言えば、それの何処が悪い?と答える皇太子。
呆然とその笑劇的な会話を聞いていた魔術師の面々だったが、そんな雰囲気を壊したのは、皇太子の腕の中の存在だった。
「もう! 皇太子殿下も兄様たちも、いい加減になさいませ! いい年して恥ずかしいとは思いませんの⁉ ここは開けた海岸ですのよ⁉ 戯れはほどほどになさいませ!」
皇太子を見上げてぷりぷり怒る姿は、筆頭魔術師に伝えられた"幼くとも容赦のない冷徹な魔術師"には見えず、大変愛らしい。
「アリスが可愛すぎるのが悪い!」
「アリス成分が足りな過ぎて、少し自分を見失っていたよ」
「兄様たち、今朝もわたくしを撫で回しておりましたわよね⁉ あれで我慢なさいませ!」
双子がにこやかに告げる内容に、また唖然となるが、妹の公爵令嬢はそんな兄たちの扱いが上手かった。
「「アリスが言うなら我慢するよ!」」
それはそれはいい笑顔でハモる双子。
それに一つ頷くと、再度皇太子を見上げて、
「殿下も公の場でこの様な言動はお控えなさいませ! 殿下の威信に関わりましてよ? いずれは皇王となり民を導く者となる御身、舐められる様な言動は御身を貶めこそすれ高めるものではないと知っていますでしょうに、なぜこの様な振る舞いをなさいますの? わたくしを試すのはおよしなさいませ」
などと眉を顰めて可愛い声で注意を促すのだが、内容が五歳児とは思えないもので舌を巻く。
別の意味で唖然としてしまう魔術師たちを横目に、皇太子は悪戯を見つかった子供の様に頭を掻いた。
「ティアには敵わぬな。三歳の頃のそなたの聡明さを目の当たりにしたが、最高の淑女教育を受け続けたそなたがどう対処するか少しばかり興味があった」
と、笑顔で宣う。
「良いように仰られてますけど、全部本音で兄様たちを煽られてましたよね?」
「……九割本音なのは否定しない」
皇太子は目を泳がせてそう答えた。
「それはほぼ本音ですわよ」
絵面を見なければ、同年代の会話のようだが、実際は成人したばかりとは言え大人の男性に、幼女が注意を促しているのだから、その珍妙さに眉が寄るのも致し方ないだろう。
「まあ、殿下が今後注意なさるのなら、今回はわたくしもこれ以上は申しませんわ。それより!」
ぐ、と可愛い拳を握り。
「わたくし、広範囲隕石落としを撃ちたいですわ!」
と、この場にいる魔術師たちの意識を現実に戻す宣言をした。
「ウンディーネ様、サラマンダー様、ノーム様、エアリエル様。最高の"結界"をお願いしますわ!」
ざわ…とその場にどよめきが広がる。
今この幼女は何を言ったのか。
「我が愛し子が望むのなら、力を貸さなければね」
「うむ。我が愛し子の要請だ。力を貸すのもやぶさかではないぞ」
「我が愛し子が望むなら、この力を貸すかの」
「我が愛し子が、楽しく遊べるならこの力、貸すよ」
次々と姿を現す力ある存在に、魔術師たちが悲鳴を上げる寸前。
「水の精霊王、火の精霊王、土の精霊王、風の精霊王。この場にいる者の代表として、この国の皇太子ルーカス・ネイザー・ヴァルナー・セル・フォルスターより謝意をお伝え申し上げます。アリスティアの為に来て下さり、大変有り難く」
す、と片膝をついて敬意を表す皇太子を見て、慌てて他の者たちも跪く。
「堅苦しい挨拶はわたくしには不要よ、皇太子ルーカス。我が愛し子アリスティアを護る守護者」
「は。守護契約が有ろうと無かろうと、水の精霊王の愛し子アリスティア嬢を護るのは、我が望みなれば」
「挨拶は重要だな、皇太子ルーカス。我は礼儀を重んじる。そなたの礼儀は我を心地よくする」
「有難き幸せ、火の精霊王」
「ワシも礼儀は不要じゃの。然し、斯様な場では礼儀が必要な事も理解しておる。皇太子ルーカス、この場では我が愛し子アリスティアにのみ、心を砕けば良い」
「御心のままに、土の精霊王」
「一週間ぶりだね、皇太子ルーカス。僕も気遣いは不要だよ。アリスティアが楽しく"遊べる"事が僕には大事だからね」
「ならば、必ずや御心に沿うとお約束します、風の精霊王」
「うーん、キミは風の素養も有りそうだね。後で引き出して上げよう。さて、それでは始めようか、ウンディーネ、サラマンダー、ノーム。一万年ぶりの位相結界だ。腕が鳴るね?」
現れた存在がとんでもない事に驚き、しかもその存在たち全ての愛を身に受ける愛し子が、冷徹で容赦のない魔術師である事に驚き。
魔術師たちは驚き過ぎて一周回って冷静になった。
「ところでエアリエル様、位相結界ってなんですの?」
「位相結界というのはね、簡単に言うと何者も存在しない別次元を作ってそこに被害を流す結界の事だよ。四大精霊王が力を合わせて漸く発動できる。ここに光の精霊王と闇の精霊王が加われば更に安定した発動ができるんだけどね」
「光と闇の精霊王は何処にいるんですの?」
「二人とも、千年前から行方不明なんだ。と言っても、光と闇の魔法が発動可能な時点で生存してる事がわかるから、心配はしてないんだけどね」
精霊王にとっての死亡である存在の消滅になると、一定期間、魔法や魔術が使えなくなるという。しかし、一定期間がすぎるとまた発動可能になるそうだ。
なぜ?とアリスティアが聞いたら、一定期間の間にまた該当の精霊王が生まれるから、と答えを貰った。
「さて、アリスティアが退屈しないうちに位相結界を張ろうか」
そうエアリエルが言うと、一斉に各精霊王が右から左へとさっと手を振った。
途端、キーンという甲高い音がしたと思ったら、半透明の乳白色の壁が周囲に張り巡らされた。
「これが位相結界ですの?」
「そうだよ」
これで広範囲隕石落としもバッチリ防御できるよ、とのありがたい言葉に、アリスティアはほっこりした。
しかしそれは筆頭魔術師とその補佐には地獄の開幕のお告げに聞こえた。
☆☆☆☆☆
港町オーサの海岸に、異様な風景が出現していた。
オーサの街と海辺まで展開された、半透明の乳白色の壁。
寄せては返す波打ち際に立つ皇太子が、頗る可愛い幼女を抱えたまま佇む。
「皇太子殿下、少し失礼しますわ」
幼女はそんな言葉を発し、
「空中浮遊」
と唱えて空中浮遊し、その身体をだいぶ上まで浮かせたかと思うと、その小さな紅葉のような掌を海に向かって広げ。
「広範囲隕石落とし」
可憐な声は、地獄を出現させた。
乳白色の壁の向こう側、沖には、天からいくつもの隕石が降り注ぐ。
隕石が落ちた海には、いくつもの水柱が立っている。
「津波は抑えているけれど、ちょっとキツいわね。もう少し展開域を狭めて貰えたら嬉しいのだけど。我が愛し子アリスティア?」
「ウンディーネ様、全力では拙かったですの? それなら展開域を局地展開にいたしますわ」
恐ろしき幼女は、至極簡単そうに言い、手を上から下に振った。
その途端、隕石の降る領域が、今までより狭くなったのが見えた。
幼女は高い位置からゆっくりと降りてきて、皇太子の隣に立つ。
すかさず皇太子が幼女を抱き上げる。
「殿下!」
「ダメだよ、ティア。今日は私に黙って抱えられている事って今朝言ったであろう?」
皇太子の言葉に、幼女の顔が歪む。それは、望んで居ない事がわかる表情だった。
しかし、すぐに諦めの表情に変わる。
幼いのに、自分の願望よりも他者の言葉を優先する姿は、ひどく奇妙だった。
「仕方ありませんわ。でも、今日のわたくしの仕事の邪魔はしないようにお願いしますわ」
そう言うと、皇太子の腕の中から、宮廷魔術師筆頭の方を向き、
「筆頭魔術師さま、始めてよろしいでしょうか?」
と首をコテンと傾げた。
「アリスティア様、よろしくお願いします」
「わかりました。まずは実演ですわね」
「的はワシに任せるがよい」
土の精霊王ノームがそう言うと、少し先に土で出来た人形が出現した。
では、と幼女が呟いたあと。
「氷槍、単発」
氷の槍が一本、土人形に突き刺さったかと思うと突き抜けた。
「氷槍、局地展開」
どういう事だと突っ込む間もなく、多数の氷の槍が、土人形の周囲に降り注ぐ。
土人形は、その形を失った。
「容赦ないのぅ」
そう笑って、ノームが手を振ると、土人形が複数できあがった。
「ノーム様、ありがとうございます! では次。風属性魔術を発動しますわね」
そう宣言されると緊張するのだが。
「風刃」
上級魔術の単発の筈なのに、なぜ土人形を次々と襲って切り裂くのだろう?と宮廷魔術師筆頭が目を剥く。
「ノーム様、次はお人形を百体お願いしますわ!」
「ホイさ。容赦ないのぅ。楽しいがの!」
そんな会話で、土人形が多数出現する。
「風刃嵐」
現れたのは、複数のかまいたちで、それが百体の土人形をあっという間に土塊に戻した。
「一週間前より威力が上がってますが、どういう事ですか!」
「この一週間、魔力消費量の増減と、緻密な魔力制御を習ったから? 単発の魔力消費が少なくなったから、複数展開してみましたの」
「普通はそれだけでは複数展開できません!」
「簡単なのに。想像力を働かせるだけですわよ? 例えば、氷槍だったら、氷の槍が何本か、どう対象を襲うかを想像するのですわ」
そうすれば練った魔力が事象を展開するのだという。
「そんな馬鹿な」
「皆様も、わたくしの言うとおりに想像力を働かせてみてくださいませ!」
公爵令嬢の言葉に、宮廷魔術師団の魔術師たちが一斉に魔力を練る。
多数の土人形を出現させたノームは、孫娘を可愛がる祖父のような表情をしていた。
暫くすると、氷の槍が一本出現し、土人形に当たった。
「惜しいですわよ! 当てるんじゃなくて、貫く想像をしてくださいまし」
「貫く事を想像……」
誰かが呟く。
「ああ、そういう事か。氷槍、局地展開」
突如、皇太子が詠唱破棄での最終宣言ワードを発すると、先程公爵令嬢が展開したのと同様の複数本の氷の槍が出現した。
「ティアが発動した魔法を思い浮かべたら簡単にできたぞ」
得意そうに告げる皇太子に、公爵令嬢がその顔を見上げた。
「殿下──確かにそれは正しい一面もありますけど。ご自分で想像しないと、今までの初級から上級魔術までの詠唱破棄はできませんわよ?」
「その時はまたティアが見せてくれれば良い。私たちはティアの弟子なのだからな」
皇太子の言葉に、公爵令嬢はギョッとした。
「わたくし、弟子など取った覚えはございませんわ!」
「何を言っておる。そなたに魔法や魔術の発動のコツを習っている時点で、皆そなたを師と認めているのだぞ。つまり、弟子ではないか」
楽しそうに言う皇太子に、顔を真っ赤にした令嬢は、
「知りませんでしたわー!」
と叫んで、皇太子の肩に顔をつけて恥ずかしさに身を捩っていた。