第106話 嵐①
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アリスティア十二歳、皇国暦四二二年六月(旧暦水の月)。
フォルスター皇国では、六月は雨季になる。毎日雨が降り、湖や山に恵みの雨を降らせる。湖は水量が増え、山は土中に水を貯め込むのだ。
恵みの雨だとわかっていても、民も貴族も、毎日の雨模様には辟易としていた。
そんなある日。
珍しく皇都とその周辺領地を、嵐が襲った。
朝から暗い空に灰色の雲が浮かび、風が吹き荒れていた。
昼過ぎには少しずつ雨が強くなっていった。
夕方になると、誰もが間違えようもなくそれを嵐と断ずる事ができる激しさになった。
強い風が吹き荒れ、そこに強い雨が混じる。
日本の雨台風の様だ、と思ったアリスティアは、次いで被害状況確認に思い至る。
「ルーカス様! 皇都内だけでも、騎士団を動かしてこの嵐の被害状況確認をお願いします! 被害が大きくなれば復興にも莫大な予算が必要となります! そうならないように予防的に動きましょう!」
必死に言い募った結果、皇太子は了承してくれた。
エルナードに近衛騎士団への命令、クリストファーには皇都騎士団への命令を持たせる。
「近衛騎士団は第二城郭内の被害状況確認をせよ。
皇都騎士団は第三・第四城郭内の被害状況を確認せよ」
双子は命令書を受け取って、それぞれの騎士団舎に向かった。
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双子から皇太子の命令書を受け取った近衛及び皇都騎士団は、即座に動いた。
第二城郭内の被害を確認する近衛騎士団は、儀仗部隊と皇族と要人の警護部隊を含む第一連隊を除き、第二連隊と第三連隊になる。第二連隊と第三連隊は戦の時に皇族の直接指揮下で戦う部隊で、戦闘力が求められる部隊だった。
その部隊を、自然災害の被害状況確認に向かわせるという命令は連隊長たちに困惑を齎した。
第二城郭内をつぶさに確認していく。未だ雨風は強いままで、水を弾く術式を施されているコートを着た騎士たちが、その術式があるにも関わらず容赦なく濡れそぼって行く。
第二連隊長のエルマー・クラウス・セル・リューベルトは、やはり濡れそぼりながら部下からの報告を聞いていた。
第二城郭内は貴族街で、貴族のタウンハウスが立ち並ぶ。大きな屋敷が多く、庭も広く取られている為、心配される被害はないと思っている。
しかし皇太子命令なのだから、確認して報告を上げないと拙い。
第一大隊長、第二大隊長、第三大隊長が、順次報告をしてきたが、どこも被害無しであった。
エルマーは安堵のため息を漏らした。
隣では、第三連隊長のアレクシス・ヨゼフ・セル・クランベルが、やはり部下からの報告を受けていた。
そちらも被害なしのようだ。
第三連隊長のアレクシスに話しかける。
「第二連隊担当の地区は被害がなかった」
「第三連隊担当の地区も同様に被害は無しだ。この雨風で撥水の術式が役に立っていない。被害がないのなら早々に騎士団舎に戻ろう」
「そうだな。全員ビショビショに濡れてしまって、風邪を引きそうだ。ロムルス、ナシオナル、ヴァイロン、第二連隊は騎士団舎に帰還!」
「「「了解、連隊長殿!」」」
部下が自分たちの率いる部隊に戻るのを見て、エルマーは皇城へと踵を返した。
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皇太子執務室には続き部屋がある。
そこは普段は殆ど使われないが、皇太子が軍事的指揮を執る際に使われる部屋になっている。いわゆる指揮室というものらしい。
今その部屋には、土木省の土木大臣筆頭補佐官、近衛騎士団第二連隊長と第三連隊長、皇都騎士団から第一連隊長、第二連隊長、第三連隊長、第四連隊長が揃っていた。
対するは、皇太子と、アリスティア含む皇太子補佐官4人とエルンスト第二皇子の六人が詰めている。
「近衛騎士団の方からは被害無しの報告が上がっている。皇都騎士団の方はどうだ?」
皇都騎士団第一連隊長は、第三城郭内の河川流域から水が溢れ始めていると部下から報告を受けた、と言った。
第二連隊長も、別の河川流域が危ないと報告を上げる。
第三連隊長は、第四城郭内の河川流域が危ないと報告する。
第四連隊長は、灌漑用水路も水量が増えて溢れそうだと報告を上げた。
アリスティアは各報告を受けて、灌漑用水路の深さの見積もりが甘かった事を実感していた。
現在工事中の第三城郭内の用水路は、まだ水を流していない。予算の関係もあるからすぐには無理だろうが、深さの変更を検討すべきかもしれない。
そんな事を考えていたから、名前を呼ばれた事に気が付いていなかった。
「……ア……ティア!」
皇太子の何度目かの呼びかけにハッとなる。
「ごめんなさい。考え事をしておりました」
「それならいいのだが。具合が悪くなったのかと心配した」
「それは申し訳ございませんでしたわ。それで、何かありましたか?」
「第三城郭内で水が溢れ始めていると報告が上がっただろう? ティアの見解を聞きたくてな」
「河川からの洪水ですわね。洪水の水量が多くなれば、すぐに家屋内への浸水が始まります。民の避難と、河川流域で土魔法による土手の高さの強化が必要ですわ。魔術師団の出動が必要かと思います。もちろん、騎士団の中にも土属性魔法が得意な方もいらっしゃると思いますので、総力戦で事に当たっていただきたいですわね」
「私の見解と同じだな。魔術師団と近衛・皇都両騎士団、及び土木省からも職員を派遣して貰う。両騎士団の土属性以外の属性持ちは、民の避難誘導を。避難先は、各学園の講堂。
そして私は、竜化して天候操作を行う」
途端にその場が静寂に包まれた。
「天候操作、ですか?」
聞いた声は、近衛騎士団の第二連隊長エルマー。
困惑の表情を浮かべている。
「私は、竜王の生まれ変わりだからな。この様にすればわかるか?」
そう言った途端に、皇太子の気配がガラリと変った。
人から超常の存在へ、と。
と同時に、竜王から覇気が溢れる。
慣れていない、土木大臣筆頭補佐官と、近衛と皇都両騎士団の各連隊長が驚愕し、騎士である各連隊長は極度の緊張を体に強いられた。
「ルーカス様。竜王陛下。覇気は抑えてくださいませんと、中てられて呼吸困難になる方も出ますわ」
「そうであったな。人とはなんと脆弱なものよ」
「竜に比べたら、他の生物は皆脆弱ですわよ?」
「確かにそうだ」
竜王は楽しそうに笑った。
「楽しそうなところ、申し訳ないのですけれど、ここでは人間に戻ってくださいませんと」
「む。我が竜王として在るのは拙いか?」
「気配が人間ではありませんから、武人の両騎士団の連隊長様方が緊張を強いられていますわ」
アリスティアが言うと、竜王は各連隊長を見回した。
一様に脂汗を流し、極度の緊張が顔に表れていた。熟練の騎士である連隊長が、である。
「ふむ。仕方あるまい」
理解した竜王は、また気配をガラリと変えた。
超常の存在から人へと変った途端、覇気も綺麗に収まった。
各連隊長は、肩の力を抜いた。
「理解できたか? 私は竜王の生まれ変わり。ゆえに天候操作ができる。
ティア。天候操作は魔力量をバカ食いする。万が一の事を考えて、ティアにもついて来て欲しい。ティアの魔力量は竜王の半分はあるからな」
「わたくしの魔力量が関係しますの?」
アリスティアは首を傾げてルーカスに問うたが、明確な答えを貰う事が出来なかった。
「魔力量は大事だ」
そんな曖昧な言葉だけでは納得は出来かねたが、今は時間が惜しい。
アリスティアは小さく嘆息すると、
「わかりましたわ。わたくしがお手伝いできることならば、ルーカス様に従いますわ」
と答えた。
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皇太子執務室から一番近い第三庭園──通称月桂樹園──に移動する。
ここは皇太子専用の庭園で、皇太子の紋章となっている月桂樹が植えられている。その月桂樹には雄株と雌株があり、雄株は薄黄色の花を、雌株は白い花を咲かせる。
その花は四月から五月にかけて咲くものだから、今はもう花はついておらず、剪定された木は生け垣風に仕立てられているものや、動物の形に仕立てられているもの、ルーカスが竜王の生まれ変わりと発表された後には竜の形に仕立てられたものもあるという。
そんな月桂樹の間に寄せ植えとして他の花も植えられていたが、それらは庭園の縁を囲んだものであり、真ん中は広く空間が空いていた。
「緊急時に竜化する事もあるかと思ってな。ここを広く空けさせた」
暴風雨が吹き荒れる庭園だが、皇太子もアリスティアも結界を張っているので濡れはしない。
そんな中で、皇太子は即座に竜化した。
月桂樹の庭園に現れた黒竜。鱗は天気が良ければ艶々と輝いていた事だろうが、今は豪雨と言っていい程の悪天候で、既に夜に差し掛かっている為、光など望むべくもないほど暗い。
当然、黒竜の優美な姿など見える筈もないのだが、アリスティアには不思議な事に、黒竜の優美な姿がはっきりと見えた。
体長は以前より長くなっており、既に四〇メートルはあるだろうか。かなり大きい。
「来い、ティア」
黒竜に呼ばれて、すぐに飛翔魔術で黒竜の背中に座ると、即座に黒竜は飛び上がった。
ぐんぐんと高度を上げ、すぐに雲海に突入するがあっと言う間に黒い雲海の上に出ていた。
そこは月の光が溢れる静かな空間となっていた。
更に高度を上げ、雲海がフォルスター皇国を覆う様に広がっている様が確認できる高度に達した辺りで、黒竜は滞空する。
そしてその長い首をアリスティアに向けた。
「これから天候操作の魔術を発動するが、ティアはその後の我の状態がどうなるか気にかけて欲しい」
「わかりましたわ」
アリスティアが了承すると、黒竜は首を元に戻し、珍しい事に詠唱を始めた。
おそらく、それ程までに繊細な魔力の制御が必要なのだろう。
「昏き雲の流れ、激しく降り注ぐ雨、逆巻き荒れ狂う風。下界に暴威を奮う嵐よ。其の天の理を断ち切り、須我が意に応うるべし。その威を収め、静穏なれ。我、竜王ルーカス・レオンハルト・ドラグニア、第十位階、世界の王也──『天候操作』!」
最終宣言ワードを竜王が唱えたあと、徐々に嵐が治まって来た。
黒い雲海も、徐々にその姿を白い雲に変える。雲海に切れ間ができると、下界の様子が窺えた。
嵐は止み、月夜の光が柔らかく地上に差している。
嵐は完全に止んだ。天候操作は成功したのだ。
だが、その途端。
黒竜の体が一瞬で人間に戻り、墜落し始めた。魔力切れを起こしたのだと気が付いて、アリスティアは即座に飛翔魔術を発動し、墜落するルーカスを追いかけた。
──このままだと失ってしまう。
そんな思いが湧き、恐ろしさに身体が震えていた。早く掴まえないと、と焦燥に駆られる。
やっと墜落するルーカスに追いつき、その大きい体を抱え、とりあえず滞空すると、なんとも言えない安堵感が湧いてきた。
「ルーカス様。このあとどうしたらいいのです? 指示をくだされば従、んぐっ」
いきなりルーカスがアリスティアの後頭部を右手で抑え、左手は腰に巻き付き、唇に口付けてきた。
そしてルーカスの厚い舌がアリスティアの口内に差し込まれる。
アリスティアの頭の中に嫌な記憶が蘇りかけたが、そこで濃厚な甘くていい匂いが鼻腔を擽り、なぜか安心感に包まれ、それを受け入れた。
その数瞬ののち、アリスティアの体から何かがごっそりと抜けていく感覚が襲ってきた。
その抜けたものは魔力だった。
今回の口付けは、色気も何もありません^^;
緊急避難的なものです^^;
ここまで読んで下さりありがとうございます!