第10話 公爵令嬢は皇太子殿下に甘やかされる
2020年7月28日 微修正
魔術自体を習う事は出来ないが、今までより繊細な制御と魔力の増減方法を習えるとなって、アリスティアはちょっとだけ上機嫌だった。
だから、魔術練習場から皇太子の執務室に戻った時も、これからの事を考えてにこにこと笑っていたのだが。
なぜか今、皇太子の膝に座らされている。
そして焼き菓子を口に運ばれて、【餌付け】されている状況で。
兄二人を見たところ、すかさず目を逸らされた。
アリスティアは訳がわからなかった。
いや、確かにお茶の時間ではあるのだが、何がどうなってこの様な状況になっているのか、さっぱり見当もつかない。
(なぜなの⁉)
内心、アリスティアは大混乱していた。
なのに皇太子は彼女を膝に乗せて非常にご機嫌がよろしい。
確かにアリスティアは見た目は完全な五歳児なのだが、中身は多分十代後半で、この状況は非常に恥ずかしいのだ。
できれば膝から下ろして欲しいと思うものの、皇太子の機嫌を損なうと兄二人に理不尽な仕事が回されるらしいと聞いたので、恥ずかしさを堪えてされるがままになっている。
「ティア、はい、あーん」
もぐもぐと咀嚼し、飲み込み終わると、直ぐにアリスティアの口に合うように小さく割られた焼き菓子が口元に運ばれる。
さっきからそれが続いてて、焼き菓子の水分の少なさのせいでそろそろ喉が乾いてきているアリスティアは、とうとう我慢の限界になり、
「ハーブ水が飲みたいですわ!」
とちょっぴり涙目になりながら訴えた。
アリスティアは転生してから、紅茶を美味しく感じた事がなく、もっぱらハーブ水を好んで飲んでいた。
アリスティアの訴えを聞き、慌てた皇太子はエルナードにハーブ水を用意するように言ったのだが、エルナードは流石にアリスティアの兄だけあって既に用意していたらしい。
執務室の扉を開けて廊下に出たと思ったら、直ぐに水差しとグラスを持って入ってきた。
グラスにハーブ水を入れて、エルナードはアリスティアにそのグラスを渡してくれた。それをちょっとだけ勢いよくごくごくと飲んでしまう。貴族令嬢としては優雅に飲食しなければならないのに。
人心地がついたアリスティアは、ちょっぴり恨みを込めて皇太子を睨みつつ、
「ルーク兄様、なぜ膝に座らせるのでしょう? これだとお淑やかにお菓子を食べられませんわ!」
と不満をぶつけたのだが、なぜかどこか寒気のするような笑顔とともに、
「私の心の安寧の為だよ。ティアが人外じみてるのが悪いのだから、大人しくされるがままになっておくれ」
と理不尽な事を言われた。
だから自分は人間をやめてないのに、と心の中で反論するも、なんとなくさっきの魔術師団の練習場での事で、皇太子が慌ててるのかな? とちょっとだけ我慢する事にした。
「ではティア、次の菓子だよ。これは胡桃を砕いて混ぜたクッキーだよ」
それを食べ終われば。
「次は胡麻を混ぜたビスケットだ」
と、相変わらず【餌付け】してくる。
けれども、アリスティアの胃袋はそんなに大きくないのだから、焼き菓子五、六枚分食べたらお腹いっぱいになる。
そしてお腹いっぱいになったら眠くなるのが幼子で。
食べ終わると同時にうつらうつらし始めて、そのまま皇太子の腕の中で意識が暗闇に飲まれた。
「殿下……不埒………まだ五歳………」
「ティアの……宰相…………才能……妃……」
「兄としては……父上が………皇妃様……十歳…………横暴……」
アリスティアの意識は微睡みから緩やかに浮上していた。
(なんだか兄様たちの声がする。今日はお休みだったかしら? あれ? 私、お昼寝してたの?)
ふわふわした感覚で、とても気持ちがいい。
(なんだか暖かくて甘くていい匂いがして気持ちいいから、このまままた寝てしまおうかしら?)
微睡みの中に揺蕩いつつ、アリスティアはまた眠ろうとした。
そのアリスティアの頭に、何かが当たっているというか撫で回されている様な感覚があった。
(なんだか頭に何か懐いてるみたい? 魔術は楽しかったなぁ。うん? 魔術? えーと……?)
アリスティアは今日の事を思い出そうと記憶を探った。
(思い出した! 今日は出仕して皇太子殿下のところに行って、魔術の練習場で楽しく魔術を使ったんだった!)
急浮上する感覚。
(その後、なぜか殿下のお膝の上に座らされて、お菓子を食べさせて貰ってたんだっけ? お腹いっぱいになって、眠くなって来て……その後どうしたんだっけ?)
アリスティアは、パチッと目を開けた。
そして目を開けた事を一秒で後悔した。
なぜなら、アリスティアは皇太子の腕に抱えられたまま眠っていたらしい。
まだ皇太子の膝の上で、皇太子がなぜかアリスティアの頭にすりすりしてて。
「ティアの髪の毛は、いい匂いがするな」
などと、寒気がするような事を皇太子が呟いてて。
「殿下、アリスが起きた」
エルナードが言うと。
「む。残念だな。時間切れか」
と非常に残念そうにため息を吐き、固まってたアリスティアを、膝の上から下ろし、ソファに座らせた。
「……エル兄様、なぜ助けてくださらなかったの?」
皇太子の膝の上で抱えられたまま寝るなんて、そんな畏れ多い事をしてしまうなんて! と涙目になりながらアリスティアは文句を言ったのだが、エルナードは遠い目をして、
「アリス、諦めろ」
としか言ってくれなかった。
皇太子が自分を妹として甘やかしたいのはよくわかっているのだが、それはそれ、これはこれ、なのだ。
抵抗を諦めたらダメだろう。
アリスティアは、頼りにならないエルナードを見限って期待を込めてクリストファーを見たのだが、こちらも素晴らしい速さで目を逸らされた。
ならばと、今朝会ったばかりのダリアに目を向ければ、「アリスティア様、私にも無理なことはあります」と首を横に振られた。
まさか味方が一人もいないとは。これではアリスティアのこれからは、希望も無いのだろうか。
非常に薄ら寒い未来を思い描いてしまい、ちょっぴり落ち込んだアリスティアだった。
ここまで読んでくださってありがとうございますm(_ _)m