友達の家と家政婦さん
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
あなたは普段、吸わない空気を味わうこと、好きですか? 別に大掛かりな旅行に限ったことではないですよ。公共施設とか友達の家とか、人生に占める時間がさほど多くない場所であれば、どこでも当てはまります。
――そのようなことはいらない? 慣れ親しんだ空気さえあればいい?
それは結構。ですが私は、さびしがりやの部類。
昔から誰かをかまい、誰かにかまってもらえないと、それだけで消えてしまいそうな心地でした。
友達との付き合いは、自分が気持ちよくなるためのもの。だからそこで吸う空気も、自分の心のための清涼剤。そう信じ、時には強引に押した時もありましたが、たいそう懲りた経験も。
恥ずかしながら、その時の話。聞いていただけませんか?
小学四年生の、夏休みに入る少し前。急な転校生が、私のクラスにやってきました。
きゃしゃで肌が青白く、今にも倒れてしまいそうなくらい、か細い身体をした女の子。その容姿から、彼女を気味悪く思う人もいました。しかし、距離を置かれる原因は、そればかりではありません。
彼女が引っ越してきた家が、何年ものあいだ買い手の寄り付かなかった一軒家だったからです。
その間、雨風が幾度となく家の窓や壁や屋根を叩きましたが、一向に傷む様子がなかったのです。風とかで張り付いたであろう、落ち葉とかはそのままなのに、泥はねなどの類は一切見当たらない。誰かが意図的に掃除をしているのでしょうが、その姿を見た人は誰もいません。そんな家に越してきたのですから、どうしても不安を抱いちゃう人がいるわけです。
しかし私にとっては、そんな憶測からくる恐れなどどこ吹く風。むしろ、これまで外から眺めるしかなかった「なじみのない空気」をたっぷり溜め込んでいるだろう例の家に、遊びと称して乗り込むことのできる、絶好の機会を得たのですから。
私は即行で彼女と誼よしみを通じ、家に遊びにいく機会を得たんです。
「今日はお母さんとお父さん、外に出ていて帰って来ないんだ。だから、今日は家政婦さんがやってくるの。主に掃除をしてくれる人なんだけど、気にしなくて大丈夫だよ」
正常な判断なら、ここで遠慮するのが筋というもの。しかし、幼かった当時の私は、彼女の太鼓判を疑いなく受け入れ、そのまま家の中で遊ぶことにしたのです。
初めての友達の家に行ったら、かくれんぼをすると、私の中では相場が決まっています。遊びと探検の両方を兼ね備えた、便利な遊びなのですから。
私と友達の一騎打ち。鬼にばれないうちは、場所を移っても構わないというルール付き。最初の隠れる役になった私は、友達が数えている間、そっと階段を上って二階に向かいました。
階段を上りきった正面は、長めの廊下になっており、突き当たりが洗面所になっていました。家族のものと思われるもろもろの歯ブラシを入れた、歯ブラシ立てが洗面台の隅に置いてあります。その一段上にはヘアワックスやかみそりといった洗面用具と、大きな鏡。
じっくり観察したかったところですが、今は追われている身。見ると、廊下の左右には二つずつ外開きの扉がならんでいます。私は一番手近な右手の扉に手をかけようとしました。
しかし、扉は私が触る前に開きます。出てきたのは、白い三角巾とエプロンを身につけた、年配のおばさん。友達が話していた家政婦さんでしょう。
突然のことで、私は少し声を出しそうになるのをぐっとこらえ、黙って頭を下げました。家政婦のおばさんは私に気づいたのかどうか、返事もなく、そのまま階段を下りて行ってしまったのです。
あの家政婦さん、私が二階にいることをばらさないだろうか、と不安になりましたが、勝負と同じくらい、探検も私にとっては大事。家政婦さんが出てきた扉に私は身体を滑り込ませます。
その部屋はベッドが置かれ、窓にシンプルなカーテンを取り付けていましたが、まだ荷解きをしていない段ボール箱が、たくさん積まれていました。隠れる場所があまりないです。
ここはハズレか、と思い取って返そうとしますが、部屋の外からかすかに階段を上ってくる音が聞こえます。家政婦さんに比べて、軽めの響き。きっと探しに来た友達です。
今、部屋を出るのはまずい。私はとっさにベッドの下へ。
ベッドの幅に収まりきらない、余裕たっぷりの毛布がのれんのように垂れており、めくられなければ見つかりそうにありません。その下を私はくぐって、腹ばいしながらじっと気配を殺します。
数十秒後。部屋のドアが開く音。毛布ののれんは厚く、向こうを透かして見ることができません。私は引き続き、物音を立てないように息をひそめます。
足音は「ぽんぽん」と段ボールの箱を、一つ一つ叩いているような音を立てました。やがてベッドに近寄ると、私の背中のすぐ上が大きく揺れます。
ベッドをトランポリンのようにして、何度も飛び跳ねているのです。あまりの振動に声を出しそうになりましたけど、口を手で押さえてどうにか我慢。十回ほど飛び跳ねた後、今度は床に着地する音。そのまま音の主は部屋を出て行ってしまいます。そして階段をトントンと音を立てながら、下りていくのです。
私は捜索の甘さに胸をなでおろしながらも、ベッドの下から這い出します。隠れ場所を変えなくては、と感じたんです。一度探した場所にもう一回来られたら、次に探す場所は絞られており、発見の危険が高まります。それに私はまだまだ探検ができていない。
足音を忍ばせながら、部屋のドアをそっと開けましたが、そのすき間から伸びた手が私の腕を捕まえます。
「見〜つけた」とにこやかな声で告げるのは、鬼役だった友達。不意打ちに肝を冷やす私でしたが、以前、別の友達に、階段で足踏みしつつ、音の大小を調整して下ったように見せかける技を見せてもらっていました。今回もそれだと思って、悔しかったですよ。
次は私が鬼です。捕まった場所で三十数えるように言われ、私は壁に顔を当てて目の前を閉ざします。
数え始めると、すぐに階段を下りていく音。それが止むと、すり足で私の後ろを通り抜け、先ほど私が入っていた部屋のドアを開けて、入っていく音。カウントダウンが終わるまで、他の音が聞こえてくることはありませんでした。
なめられたものね、と私はすぐに、自分が隠れた部屋のドアを開けましたが、その光景に思わずかたずを飲んでしまいます。
いたのは家政婦さんでした。けれどもその姿は、先ほど私がやっていたように腹ばいになり、私が隠れていたベッドの中へモップを突っ込んで、一心不乱に何度も何度も左右へ往復させていました。
足は平泳ぎのワンシーンのように、両膝を外側に大きく曲げた奇妙な姿勢です。入ってきた私に気づいていないのか、腕を動かす速さを緩めません。
私はすぐに部屋を出ました。手を当てずとも、心臓がバクバク鳴っているのを感じます。
あの人、掃除をしていたんだろうか? なぜ、あんなへんてこな姿勢でやるのだろうか? どうして、直前に私がいた部屋を選んだのだろうか?
わけがわからず、私は他の部屋に向かいましたが、もう中の様子をじっくり観察する余裕などありません。なぜなら私が部屋に入ると、先ほどの部屋の扉が開く音がしたんです。そして階段を下りていく音が。
しかも、私が別の部屋へ向かうと、決まってその直前にいた部屋のドアが、追いかけるようなタイミングで、開く音がするのです。恐る恐る戻ってみると、やはりそこには寝そべったカエルのような姿で這いずりながら、手にしたモップを動かし続ける家政婦さん。
依然、私を一顧だにせず、ひたすら掃除に打ち込むのです。私がどこか別のところへ動くまで……。
私の足取りを追う、家政婦さんの気味悪い姿勢と掃除は、一階の風呂場で私が友達を見つけるまで、ずっと続きました。
友達は鬼を交代してもう一度やろうと提案してきましたが、私はそれを断り、帰りたい旨を告げます。時間にして数十分程度しか経っていませんが、ひどく疲れてしまったのです。かくれんぼ以上に、奇妙な掃除をしていく家政婦さんの姿が、かなりこたえました。
見送るという友達に連れられて、玄関先まで来ましたけど、上り口にあの家政婦さんがあのモップを持ちながら立っており、息が止まりそうになりました。
家政婦さんは友達に耳打ちすると、ずいっと私の前に立ちはだかります。背の違いは歴然で、私にとっては山と対峙しているようなもの。もう、泣き出したい気分でしたが、友達が告げます。
「君の落としていった元気を、回収したから返すって。お願いだからじっとして」
家政婦さんが黙って、私の頭にモップの穂先をバサバサかぶせてきます。あれほど床を拭いていたにも関わらず、モップの先はほこりを落とさず、湿り気も嫌な臭いもまとっておらず、私の頭へ何本も何本も降りかかってきます。
それを、心地よく受け止めている自分がいました。美容院で髪をいじられると、眠気がしてくる私ですが、あの感覚とほぼ同じ。それでいて、先ほどまでのだるさがウソのように飛んでいくのも、私の恍惚感をそそります。モップなでが終わった時も、私はぼーっとして、しばらく動けませんでしたよ。
その日から、私が遊びに行くのは彼女の家一択になりました。
気持ちよくなりたい。あの家政婦さんのモップに撫でられながら、何分でも、何時間でも……。私はすべてをそっちのけにしても、あの快感を味わい続けたかったのです。
しかし、家の中で遊んだ後でないと、十分に気持ちよくならず、私はしぶしぶ友達と遊びます。すべてはあの悦楽に浸るための前準備に過ぎませんでしたが。
卒業するまでの間、友達も家政婦さんも私を拒みません。そして何年も遊び続けたのに、とうとう友達の両親に会うことは、一切なかったのです。
やがて卒業の時を迎え、友達は去っていきました。
残されたのは、今でもこうして、車いすなしでは生活できないくらい弱ってしまった、私だけというわけです。