製造員の夏
朝起きると作業服に着替える。そしてパンを食べ、テレビをつけ、時間になるとテレビを消す。隣の部屋からバタンという音がする。
ここは賃貸マンションだ。1つの部屋に3つの個室があり、台所は共有となっている。つまり、3人の知り合いでもない人間が1つの部屋の中にいることになる。都会でいうとゲストハウスみたいな感じだろう。
当然、さっき出て行った人間も自分と同じ製造員だ。このマンションは自分が勤めている会社が経営しているのである。今では従業員の社宅として利用されている。
もう1つは空き部屋となっている。3交代の人間がいたのだが、噂では仕事の途中で逃げ出したらしい。懲戒解雇はさけられないだろうなと思う。
靴先に鉄の入った作業靴をはく。妙に重いので違和感があるが、これにもだいぶ慣れた。外に出ると蒸し暑い風が頬に伝わってくる。ああ、もう夏なのだなと思った。
俺は都会の三流大学を卒業した。大学在学中、勉強らしいことはあまりしておらず、かといって学費がないので留年もできず、適当に単位を取っていた。大学4年生になり、友達が次々と就職していく中、就職課に足をむけることもなかった。
どうせろくな求人はないだろうと思っていた。職種は営業、受付、一般事務…幹部候補生として求人を出してるのは聞いたこともない地元の中小企業だけ。よくこんな大手に就職できたなと思った友人も、詳しく聞いてみると契約社員だったり派遣社員だったりする。やはり企業はよくみてるものだなと思う。
歴史も浅く、OBも少ない大学なのでこんなものだろうという諦めもあった。とにかくやる気もなかったので社会へ踏み出す重要な時期は色々と1人旅をしていた。気づけば大学の卒業証書を貰ってた。
仕方がないので故郷に帰り、地元のハローワークに通い始めた。就職活動もめんどくさかったので適当に製造員になろうと思った。この頃の製造員のイメージは単純労働でベルトコンベアからやってくる製品をどうにかしてればいいだろうという考えだった。それに製造員は若けりゃ誰にでもなれると思っていた。
実際製造員になってみてイメージが違うことに気づいた。昔のライン作業と違って、今では色々と他の部署の仕事もしなければならない。つまり、人件費削減のために1つのことだけではなく、2つ、3つと覚えていかなければならない。それはいわゆる、若いうえにスキルが高く、長期的にしていかなければならないということだ。楽そうだと思っていたツケを今払わされている。
それはさておき、大手企業の製造員に応募してみると、面接では好印象だった。それもそのはずだ。自分はまだ若いし、大学を卒業している。この地方でいうのなら学部卒だ。ここいらで大学は都会と違って私立、国立の2つしかないので学部卒が来ることは滅多にない。普通製造員といえば工業高校卒の人間が応募してくるものなのだから。いくら大学全入時代だからといっても良質な人材であることは間違いない。
親もフリーターかニートを想定していただけにやけに喜んでくれた。まあこれでよしとするかと思い、就職活動をやめてしまった。
そんな感じで3年間、狭い自宅から出て行き、会社の社宅を借りて勤め続けている。
自分が所属している部署は検査だ。検査といっても梱包もかねている。製品が運ばれてきて、目視で傷がないかどうか確認して、重量を測る。なぜ重量を測るかというと、最近ISOという国際基準に当てはめるからだそうだ。よくわからないが上の支持どおり重量を測って、数字を機械に打ち込ませる。そして製品を箱の中に入れて出荷するのだ。
検査といえば女性がやるというイメージがあるかもしれない。だが、製品自体が以上に重く、4kg、8kgあり、これを毎日毎日重量計に乗せる作業は大変だ。さらに出荷するときは製品が4個か5個は入っているので、20kgから32kgは当然いく。これでは女性は大変だろうということで男性がやるようになった。まっ、男が検査をやるといったら大概重量物運びが常である。
いつものように製品を梱包していると、主任が誰かを連れてやってきた。主任はもうあと2年で定年の人間だ。後ろには見たこともない中年の女性と学生服を着た若い奴がいた。
「ここが梱包している所です」
主任はしゃがれた声で女性と若者に現場を説明する。中年女性はニコニコとそれに頷いている。若い奴は主任の説明はボウッと聞いている。
何をしているのかと同じ検査の人間に聞いてみる。もう40を超えた人だ。
「あれ? 見学に来とる。学校の先生と学生さん」
「もしかして南の人間ですか?」
「うん。そう」
南の人間とはこの県の南側から来たということだ。この会社は県の東側にある。
なぜ南の人間がわざわざ遠くの東に来るのか? 県の東は中心地ではないものの製造の町として有名だ。いくつもの大手企業グループが工場を立ち上げている。それに比べて南は工場が少なく、失業率は県内でどん底である。自治体も必死で企業誘致を行っているみたいだが成果があがらない。そのため職を求めてやってくるのだ。
「人身売買よ」
先輩は疲れた顔で笑った。そういえばこの人も南の人間だ。自分と同じマンションに住んでいて、隣が酒癖が悪い、ろくな人間やないって愚痴ってたな。
「そうですね」
適当にあいずちをうち、仕事に戻った。
今日の出荷日報を記載していると後ろから名前を呼ばれた。振り向くと課長が立っていた。傍には知らない男がいる。
「今日からここで働くことになった人だ」
いつも生産に追われて冴えない課長が、今日はいやに機嫌がいい。
「よろしくお願いします」
その男は丁寧に頭を下げた。
―次の日。作業着を着、新しく来た男は名前を酒井志信と名乗った。年齢は30。前職は言いにくそうに事務員だと答えた。
「へえ。学部卒ですか?」
「えっ? ああ、そうです」
詳しく聞いてみるとどうやら都会の有名大学卒だ。どおりで課長の機嫌がいいわけだ。現場で鍛えて自分の後釜にでもする気なのだろう。
「でもどうしてこんなところに?」
「それは…」
親が病気で倒れたらしい。それで苦渋の決断で会社を辞めて故郷に帰ったということだ。
「でも事務員なら…」
と言いかけてやめた。ここいらは製造の町だ。製造員募集は多くても、事務員募集は少ない。さらにほとんどが受付やら経理やらお茶くみやらで女性を求めている。仕方なく製造員になったのだろう。
「その学歴でも難しいんですか?」
「うん。もう30は超えてるしね。新卒や20代ならともかくこの年じゃ門前払いだよ」
色々受けたんだろうなと思った。
「結婚はしてるんですか?」
「いいや。してない」
「どこに住んでるんですか?」
「今は社宅を借りてるよ。○○号室だ」
「ああ! そこなら僕もいますよ」
「へえ。そうなの?」
そうか。最近あの空き部屋に誰かが引っ越してきたなと思っていたけどこの人だったのか。もう1人の住人と比べて、愛想のよさそうな人なのでうまくやっていけそうだ。
「家族は大丈夫なんですか?」
「うん。妹がいるしね。それに近くの病院に入院しているから時々見舞いにいける」
ラジオ体操の音が聞こえてきた。そこで会話は一旦打ち切られた。
さすが有名私大卒だけあって酒井さんは覚えがよかった。仕事はこれだと言えばすぐに覚えてくれる。メモも取っているのでどこを目視すればよいかもわかっている。だけど機械操作には慣れていないようだ。まあそれは訓練していけばいいだろう。
午前中の休み時間になった。15分だけ休みが与えられる。あとは昼休み1時間と午後の15分で休みは終わりだ。
休憩室はかなり狭くなった。最近景気がよくなり、設備投資と同時に新人を多く雇い始めた。おかげで息苦しい。
茶髪や金髪、ピアスをはめた若者がベテラン従業員と一緒に喫煙室に入っていく。あとはタバコを吸わないグループだ。最近の映画やパチンコ、ドラマやアニメまで彼らはなんでも話題にする。よくもまあそんなに会話が続くもんだと感心する。
「かなり人が多いですね…」
遠慮がちに酒井さんは僕の隣の席に座った。
「あの…」
「うん?」
酒井さんは僕が正社員かと聞いてきた。僕は「うん」と頷いた。
「そうなんですか…」
「酒井さんも正社員採用なんでしょ?」
「僕は契約社員です」
「へえ。最近入った人と同じ待遇なんですか?」
これには驚いた。学部卒なのだから当然正社員採用だと思っていた。
「1年で正社員になれると聞いています。本当は半年にしてほしいんですけどね」
「…1年で…」
おかしい。この人より前に入った新人は未だに契約社員だ。もう1年は過ぎている。彼も別に文句は言わないので気にならないでいるが…。
まあそれが会社の強固なシステムというやつなのだろう。たとえ学部卒でもシステムの中に入ればただの製造員である。このことは言わないでおこうと思った。それに最近生産が芳しくないので理由もなんとなくわかる。
「でもこんな大手に入れるなんて良かったですよ。親も妹も良かったと言ってくれます」
「まあこの部署は親会社の下請けみたいな感じですけどね。生産には一切関わらないし、やることと言えば出来上がった製品の梱包ばっかだし。元々はこの会社、ビル管理やってたみたいですしね」
この工場には3つの人間がいる。1つは親会社の人間。2つめは子会社化とされたこの工場の人間。3つめはその子会社の下請けのような形で参入した会社の人間。自分は3つめになる。
「…親会社…ここは子会社なんですか?」
「うん。確か親会社100%出資の子会社になったはずですよ。完全に吸収されたね」
「あはは」と笑う自分に対して酒井さんは真剣な顔つきで聞いてきた。
「待遇は…その基本給はどれぐらいなんですか?」
「ああ、えと…10万円ぐらいかな?」
「えっ!? そんなに安いんですか? 求人票と違うな…」
「大丈夫ですよ。その分手当てがつくんですよ。手取りは15万ぐらいかな?」
「…15万…」
「結構高いでしょ? 僕なんて今度車でも買おうかと思ってるんですよ」
「…都会と違うな…」
「えっ?」
「あっ、いや。そうですね…」
酒井さんの口が濁った。恐らく親の病気で費用がいるのだろうと思った。
「もしあれだったら交代にまわしてもらったほうが手当てはかなりつきますよ。今は昼専門ですからあまり手取りは良くないんですよ。検査は昼だけの仕事ですから」
「でも健康には良さそうですね」
「まあね。交代は昼夜逆転するからなぁ。僕も経験したことがあるんですけどね。年食ったらやりたくないなぁ」
「そうですよね。昔は製造員なんて3K(きつい、汚い、危険)のイメージがあったんですけど今はそんなことも少ないんでしょ? 朝会でゼロ災点呼はするし、怪我はしないようにお互い注意しあってるし、ここは一応大手子会社なんだから労災なんて出ると駄目だろうし」
なんだか教科書で読んだような内容だなと思った。
「いえ、普通に3Kですよ。検査といっても製品自体が重いから続けてると腰椎ヘルニアになったり腕が腱鞘炎になったりするんですよ。それに周りでは油を使っているからそれが気化して肺に入ったりするんですよ。この前なんて脳をやられて倒れた奴もいましたしね」
僕は「あはは」とまた笑った。酒井さんも乾いた笑いで返した。
「労災事故なんてしょっちゅうですよ。社内報でわかります。まっ、大体は中小の下請け会社ですけどね。製造業というのは昔も今もそんなもんです」
チャイムが鳴った。作業時間だ。僕と酒井さんは現場へと戻っていった。
ある日事件があった。まあ事件といっても会社を根底から揺るがすような事件じゃない。
現場で作業をしていると、酒井さんが茶髪の若い奴に怒鳴られていた。耳をたてていると製品をきちんと整頓しとけという内容だった。酒井さんはすっかり困惑して口ごもっていた。
それはそうだろうなと思った。あの男は認定高卒でまともに高校を出ていない。しかも飲酒運転して懲戒処分くらった男だ。話してみても一方的にしゃべるだけで相手を会話の土台にのせようとしない。つまり、コミュニケーションがまったく取りづらい奴なのだ。
(チッ…だから飲酒運転したとき解雇でもしてりゃ良かったのに…若いし、使い勝手がいいし、今後懲戒処分を盾に扱いやすいから残らしやがって。あいつ未だに契約社員だっけな? 自分の待遇の悪さに気づけっての)
舌打ちをしながらも仕事を続ける。別に酒井さんを助けたりはしない。
「…まいりましたよ。あの人急にやってきて整頓しろって…私まだ来たばっかりなのに…」
「気にしないほうがいいッスよ。あいついつもあんなんだから。自分は仕事が出来ると思って威張ってるんですよ。第3者から見ると下手糞でね。でもあの態度でしょ? 誰も注意しないんスよ。僕も何にも言わないッス」
「なんだか突き放してますね」
苦笑いしながら酒井さんは言った。
「当然ですよ。死ねばいいと思ってますから。まったく。製造員は若くて体力があって力があれば誰でも雇われますからね。あんな奴が今後次々とやってくると思うと疲れるわ」
「…なんか…馴染めませんね」
酒井さんは1人呟いた。
作業現場に行くといつも朝早い酒井さんの姿が見えなかった。ラジオ体操にも出てこなかった。今日は有給でもとっているのかなと思っていると課長がやってきた。
「今日は酒井君見ないんだけど?」
オロオロとした顔つきで課長が言った。
「休みじゃないですか?」
「いや、聞いてない」
「…僕も聞いてないです」
「悪いんだけど部屋隣なんだろ? 様子を見てきてくれないか?」
「いいですよ。昼休みにでも行ってみますわ」
昼休みとなり、一旦社宅のマンションに戻った。なんて声をかけようかとかは考えなかった。どうせ夏風邪かなんかだろうと思っていた。
部屋に帰り、酒井さんの靴があることを確認する。作業靴を脱ぎ、部屋に入る。ズッシリとした重さが急に軽くなった気がした。
酒井さんの部屋を見ると扉が少し開いていた。トイレにでも行ったのだろうか? 当然トイレも共有である。
「…失礼しますっと」
悪戯気分で酒井さんの部屋に入ってみた。最近同じ学部卒ということで仲良くなり始めたばっかりだ。やはり共通するものがあるのは心強い。
部屋に入ると腐臭がした。
つんとした臭いの先に酒井さんはいた。
酒井さんは首を吊っていた。
延長コードを簡易洋服かけにうまく巻きつけ、座ったままの状態で首を吊っていた。首が変な方向に曲がっている。股間から液体が流れていた。まだ暖かそうな血色の良い顔だったので時間はそんなにたっていないだろう。
―さすが有名大卒…頭の良い死に方だな…
しばらく酒井さんの首吊りを眺めていて、そんな感想がふと浮かんだ。
「…死ぬこたぁなかったのに…」
―今日も朝起きて作業服に着替える。そしてパンを食べ、テレビをつけ、時間になるとテレビを消す。愛想のない同居人がバタンとドアを閉める。
作業靴を履きながらふと製造員だった祖父の言葉を思い出す。
『―辛けりゃ免許とって機械運転にまわるこった。それが一番楽な方法よ―』
…課長に話して設備管理にまわしてもらおう。それが駄目なら辞めて都会に行って、免許をとろう。それが一番いいな。
外に出ると今だに夏の暑い風が肌を吹きつける。それが辞める覚悟をますます強くしていく。
顔をあげて雲1つない青空を見上げる。
―ああ…今日も暑いな…
セミが遠くでワンワン大声で鳴いていた…。