4.犬猿、相見える
一方、「犬」こと信乃を仲間に加えた桃太郎は、「猿」と呼ばれる格闘家の噂を聞き付け、山奥の寺を訪れていた。
桃太郎は近くを歩いていた若い坊主を呼び止める。
「ちょっと、そこのお坊さん。『猿』とかいう格闘家がここにいるって聞いてきたんですけど」
まるで「お嬢さん」を呼び止めるかのごとく坊主を呼び止める桃太郎の口調に、信乃は苦笑した。
「ああ。それでしたら……」
坊主が言いかけたそのとき、
「ばぁっかもぉぉぉぉぉん!」
突然山全体を震わせんほどの怒鳴り声が響き渡り、桃太郎と信乃はともにびくりと肩を震わせた。
すると、僧坊から一人の小柄な少年が飛び出してくる。少年は走りながらも笑顔で振り返り、
「へへっ、捕まえれるもんなら捕まえてみな!」
叫んだ。
「へ?」
後ろを向いたまま自分の方に向かってくる少年の姿に、思わず声をあげたのは桃太郎だった。
「えっ?」
少年が顔を前に向けるが、時すでに遅し。
『ぐへぇっ』
二人はぶつかってもつれ合い、地面に倒れた。
「いてて……し、刺激的すぎる歓迎だなこりゃ……」
桃太郎は目がチカチカするのを感じながら呟く。
「いてて……な、なんなんだよお前! どけよ!」
桃太郎の上に乗った少年が理不尽にも怒鳴った。
「それはこっちの台詞だよ、重い……」
桃太郎が言おうとしたとき、
「こらぁぁぁぁっ!」
後から走ってきた、住職だろうか、年老いた坊主が追い付き、少年に拳骨を落とした。
「いっ、いってぇっ! 何するんだよ!」
少年は涙目で年老いた坊主を見上げた。
「仏様に『バカ』などと落書きしておいて『何しやがる』とはなんだ、バカモン!」
「えー、だってぇー、仏様が『落書きしていいのですよ』って」
「言うか!」
少年はもう一発拳骨をかまされ、
「いってぇぇぇぇっ!」
悶絶する。
「あの、そろそろどいてくれないかな……」
桃太郎は少年の下で小さく唸るように、言った。傍らに立っていた信乃と若い坊主は苦笑するしかなかった。
渡された湯呑みのお茶を一口、
「あっちゃっちゃっ!」
信乃は悶絶した。それから数秒、取り乱した自分の姿に気付いた信乃は、
「ゴホン、失礼……」
と取り繕う。火傷した舌がひりひりと痛んだ。
「先ほどはお見苦しいところをお見せしました」
頭を下げた老坊主に、
「いえいえ……」
桃太郎も苦笑する。
「ほら、お前も謝らんか!」
老坊主は傍らに正座する少年の頭を押さえつけた。
「いてて、わかった、わかったから離せよ!」
桃太郎は彼がギャーギャーと騒ぐ姿が猿のようだ、と思った。その時ふと脳裏を過ったある予感に、
(……いやいや。まさかな、そんなわけないよな)
そう結論づけた。
「その……ごめん、なさい」
少年はしぶしぶ頭を下げた。
「いいから、気にしてないから」
桃太郎は苦笑しながら手を横に振る。
「それで、今日はどのような御用でしょうか」
姿勢を整え、老坊主が問う。
「実は最近、鬼が暴れまわっているので懲らしめに行こうかと思って、腕の立つ仲間を集めているんです」
桃太郎の言葉に、老坊主はゆっくりと頷いた。それを確認すると桃太郎は言葉を続けた。
「それで、こちらに『猿』という格闘家がいるという噂を聞きまして」
その時、坊主の隣で大人しく正座していた少年が突然、
「はーい! それオレ! それオレ!」
立ち上がって元気よく手を上げる。当たってほしくない予感が当たり、桃太郎はげんなりした。
「帰ろう、桃太郎どの。このような者を連れていくわけにはいかない」
信乃が桃太郎に囁いた一言、しかしそれを聞いた少年――「猿」は立ち上がり、
「ちょっと待て! 聞き捨てならねぇ! そこの女!」
信乃を指差す。
「私は男だ」
冷静にそう答えるも、
「じゃあなんでそんな女みたいな格好で刀差してるんだよ!」
少年に指摘されて自分の服装を確認し、信乃はまた赤面した。
「う、うわあっ! 着替えてくるのを忘れていた!
こっ、これは決して趣味などではない! 間違えただけだ!」
うろたえながら必死で弁解する信乃だったが、「猿」はバカにしたような笑みを浮かべる。
「だいたい、そんななよなよした奴よりオレが弱いなんて思えないんだけど?」
あたふたしていた信乃は、「猿」のその一言を聞いた途端、一瞬にして表情を変えた。
「……わかった。いいだろう……手合わせ願おうか。いいか、桃太郎どの」
低い声で、「猿」にそう告げ、桃太郎に確認をとる。
「へぇ、面白いじゃないか」
桃太郎は口許に笑みを浮かべた。
「でしたら、この裏に我々が修練に使っている場所があります。そちらをお使いください」
と、老坊主は立ち上がった。
「刀は抜かなくていいのかい」
小柄な少年――「猿」の問いに、少女のなりで腰に刀を差した少年「犬」こと信乃は、
「私は自分より弱い相手には刀を抜かないと決めているのでな」
不敵な笑みを浮かべた。
掠れた着物の少年――桃太郎は年老いた坊主とともに二人の対峙を見守っている。
周囲には林のように木が立ち並んでいたが、二人の相対する場所には木々がなく、テニスコートほどの広さがあった。
「普段はただのアホな少年ですがね、ああ見えて彼奴は拳法を使わせたら噂に違わぬ実力の持ち主なのです」
老坊主が口を開いた。
「初めはただの暴れん坊でしたが、我々とともに修練をするうちにこの寺で一番の使い手になりました。今でもイタズラは絶えませんがね、これでも大人しくなったのですよ。
そして驚くことに、一度見た型を、すぐに自分のものにしてしまうのです」
どこか誇らしげに語るその姿に、桃太郎は自分の育ての親の姿が重なって、思わず微笑む。
と、その時動きがあった。
「猿」が一気に距離を詰め、信乃に足払いをかける。軽く跳んでかわした信乃、しかし「猿」はその体勢からさらに脚を跳ね上げ、信乃に追撃をかけた。
「くっ」
信乃は腕を交差させ、正面から蹴りを受け止めるが、
「……っ!」
受け止めきれず、後ろに飛びながらも着地する。
「猿」はさらに距離を詰めて信乃に横蹴りを放った。信乃は咄嗟に後ろに退き、ギリギリでかわす。
「へぇ、いい動きするじゃん」
「猿」は笑みを浮かべながらも攻撃の手は休めず、裏拳を放つ。信乃がそれを受け止めると同時、再び足払いをかけた。
「わっ」
足元を掬われ、信乃は体勢を崩す。
「そこだっ!」
「猿」が拳を放ったと同時、
「っ!」
信乃は刀を鞘ごと腰から抜き、受け止めた。
背中に地面を打ち付けながらも地面を転がって距離を取り、立ち上がる。
「猿」は不敵に笑った。
「鞘に納めたままでいいの?」
「これで十分だ」
信乃は鞘を左手で掴み、右手を空ける。
信乃の言葉にカチンときたのか、「猿」の笑顔がこわばった。
「へえ、そう……そっかそっか」
刹那、「猿」は信乃に接近しようとする。だがそれより早く信乃が飛びかかった。
「……!?」
意表を突かれた「猿」が横にかわそうとしたところへ、すかさず信乃が刀を投げ、進路を塞ぐ。結果、「猿」は横への移動を断念し、身動きがとれなかった。
その隙に信乃は手を伸ばし、「猿」の胸ぐらを掴む。
「しまっ……!」
「猿」が慌てるがもう遅い。瞬く間に体勢を崩され、押さえ込まれてしまった。
「……えいっ!」
「猿」は信乃の顔面に向けて拳を放つが、ひょいと避けられてしまう。
どうにか脱出を試みるが、信乃は見た目にそぐわないほどの力で「猿」を押さえ込んでいた。
「ううう……ず、ずるいぞっ!」
「猿」が叫んだ。それに対し、
「ばかもん、見苦しい!」
老坊主が怒鳴った。
「勝負あった、かな」
桃太郎が口許に笑みを浮かべた。
「信乃さん、いやはや……お見事でした」
老坊主が素直に信乃を褒め称える。しかし、その表情の奥には、微かに悔しさのようなものが潜んでいた。
「ま、まだ負けてねえぞ!」
信乃に押さえ込まれ、じたばたしながら「猿」が叫ぶ。
「不覚を突かれると攻撃が単調になるのが悪い癖だな」
信乃が「猿」の抵抗をひょいひょいとかわしながら冷静に分析する。
「確かに多少腕は立つようだが……桃太郎どの、やはりこのような者を連れていくわけには……」
だが桃太郎は口許に笑みを浮かべ、
「いいよ。俺たちと一緒に来なよ」
「えっ!? いいの!?」
「猿」は、自分が押さえ込まれているのも忘れて嬉しそうな顔をした。
「本当ですか!?」
老坊主も思わず笑みをこぼす。
さすがに桃太郎の言葉には従うしかなく、信乃がしぶしぶ「猿」の上から退くと、「猿」は飛び上がって喜んだ。
「頼むぜ、『猿』。お前の力、存分に見せてくれ」
「おう!」
「猿」は桃太郎に親指を立ててみせる。
「手のかかる子供ではありますが、どうかよろしくお願いします」
老坊主も桃太郎に頭を下げた。
「桃太郎どの……」
信乃はなにか不服なようで、頬を膨らませた。