愛の薔薇
死んで思い出されるのは、果たして誰か。
* * * * * * *
昨日は君の誕生日だった。
私はそのことを久しく忘れていた。
ここでいう君とは、僕の母のこと。
君の誕生日。
それは、去年もあった。
それは、一昨年もあった。
だが、私はここ数年、それを祝ってはいなかった。
ふと、数日前に思い出した。
母は、今年で50歳になるのだと。
私を25歳の時に産んだ母。
今年、私は25歳になる。
っということは、母は50歳になるということ。
私は私の誕生日を迎えることによって、
母の誕生日、母の年齢を再確認することになった。
* * * * * * *
「あー、今年で50になるのか、おふくろは」
そう呟くと、妻が言った。
「じゃあ、盛大に祝ってあげないと!」
だが、私は恥ずかしかった。
この年で、親孝行もまともにできていない。
私は、親に対して何もしてあげることができなかった。
第一、私の実家は、私の住まいから1キロくらいしか、
たったの1キロくらいしか離れていないというのに、
母や父にあったのは、もう思い出せないほど過去の話。
まぁ、向こうから時々会いに来ることはあるのだけれど。
だから、もう行くことのなくなった場所に、
自らの足で赴き、そして祝うという行為を恥ずかしく感じた。
だが、今まで親孝行できていなかったんだ。
その代わりと言っては何だが、できるときにしておかないと。
それに、私自身、別に母や父が嫌いなわけではない。
嫌で嫌で仕方がないから実家に帰らないわけじゃない。
ただ、帰る機会を失っただけ―――――
昔は、 大学を卒業して一人暮らしを始めたころや、
妻と結婚してすぐのころは、私の方から会いに行っていた。
だが、娘が産まれてから状況は変わった。
娘が産まれたのは、今から4年前のこと。
娘が産まれる前は、妻と自分の為だけに働いていたのが、
娘が産まれてからは、娘の将来も考えて働くようになった。
そして、日曜日休みは、「家で休憩したい」と言うようになった。
だが、私も一人の父親。
自分勝手に休みを取り続けるわけにもいかない。
家族の様子を見て、時々は、娘を外に連れて行く。
だが、娘を連れて行く場所と言えば決まっていて、
遊園地や水族館や、どちらにしろテーマパークの類で、
妻の実家や、ましてや自分の実家になど行くことはなかった。
だから、私は妻に言った。
「来年の正月はさ、
お前の実家だけじゃなく、俺の実家にも行こうか」
「やっぱりさ、時々は顔も見ておかなきゃと思うし、
何より、あいつもおばあちゃんやおじいちゃんに会いたいだろうし」
「だから、今度の正月は俺の実家にも皆で行こうな?」
「そして、今年の誕生日・・・」
「今年のおふくろの誕生日は、俺一人で行くよ」
「そりゃあさ、
お前も、あいつも連れて全員で行けばおふくろは喜ぶと思うけど、
正直、いきなり皆で行くのはなんか照れくさいし・・・」
「だから、“正月に皆で行くよ”って話をしに、今年は俺一人で行くよ」
「ただ、来年のおふくろの誕生日は・・・」
「いやっ、おやじの誕生日も、どっちも皆で行こう?」
「駄目かな?」
私は、そう言って妻の目を真剣に見た。
すると、妻はゆっくりと口を開いた。
「もちろん」
「私は昔から言ってるじゃん」
「お正月、私の家だけじゃなく、 あなたのとこにも行こうって」
「それを、“面倒だし、いいよ”と断ったのはあなたよ?」
「私はね、 正直、行く気になってくれて嬉しいよ」
「あの子、 この間、おじいちゃんとおばあちゃんに会いたいって・・・
そう言っていたから、嬉しいよ。 あの子も絶対、喜ぶよ・・・」
そう言って、妻は笑った。
確かに、妻や娘は年に数回、私の実家に行っていたようだが、
それでも、私が行かない以上、行きにくいというのはあるだろう。
たまに妻が行って帰ってくると、
「お母さん、“会いたい”って言ってたわよ?」
っと私に向かって言うことがあった。
だが、私はそれを、「あっ、そう」と聞き流していた。
今思えば、私は本当に親不孝行者だったのだと思う。
それを娘にも受け継がせて、祖父母不孝行者にするのだろうか?
私が言うのはおこがましいことではあるが、
娘には、それなりにおふくろやおやじの存在を知っていてほしい。
別に、何か特別なことはいらないし、あまりあれだと恥ずかしいから、
適当にで構わない。 ただ、おふくろやおやじのことを好きでいてほしい。
私は娘の為にももう一度、
実家に帰るきっかけを取り戻すことにした―――――
+ + + + + + +
今日はおふくろの誕生日。
私は何か、誕生日プレゼントを買うことに決めた。
だが、いくら50歳の誕生日だと言っても、
高価過ぎるものを送るのは、何かとしっくりこない。
むしろ、毎年何かをプレゼントしていて、
それで今年は50歳だからと高価なものをプレゼントするというのは自然。
だが、私はその“毎年プレゼントをする”という行為をしてこなかった。
だから、私が突然高価すぎるものをプレゼントするのは不自然。
それ故、私は考えた。
『何か、こんな私が送って自然なプレゼントはないものか』と。
そこで、私は一つのアイディアを思い浮かぶ。
それは薔薇の花。
確か、薔薇の花ことばには“愛”とかそう言う意味があったはず。
照れくさいし、恥ずかしいけれど、
こんな時にしか言えないから、私は母にそれを送ることに決めた。
それに、薔薇の花は、母が一番好きな花だったはず。
だから、私は誕生日プレゼントとして、薔薇の花を選択した。
12月6日、18時過ぎ。
会社が終わってから、私はすぐさま花屋に向かい、
赤い薔薇の花を1本購入しようと、店員に注文をする。
すると、店員が「プレゼントか何かですか?」と訊いてきたので、
私は、「はい、そうです」「誕生日プレゼントです」と答える。
「では、メッセージカードをお付けしますか?」と店員は言った。
『へー、そんなものがあるのか』と私は思い、
見せられたメッセージカードの見本を見て、「じゃあ、これで」と言う。
私が選んだメッセージカードに書いてあった言葉は「ありがとう」―――
私にとって、母に対してのそれを超える言葉はなく、
いくら最近会っていなかったとしても、今もなお感謝は忘れていない。
だから、私は、普段言えていない分を、今まで言えなかった分を、
このメッセージカードに込めて、母にプレゼントすることに決めた。
+ + + + + + +
花屋を出て、車を飛ばす。
助手席に置かれた一本の薔薇の花。
その花には、「ありがとう」のメッセージカードが。
今日は雪が降る日だった。
窓の外では、牡丹雪が沢山降っている。
道路は融けた雪のせいで凍結している。
なのに、私は母に早くプレゼントしたい一心で、車を飛ばし続けた。
最近は、雪の日が多かったから、タイヤはスタットレスだった。
だが、スタットレスだったとしても、凍結しているところはゆっくり進むべき。
そんなことはわかっていた。 わかっていたはずなのに―――――
キィイイイイイイイイ////////////////
タイヤがスリップしてしまった。
私は慌ててハンドルを取られまいと、車体の向きを立て直そうとする。
だが、私の身体が反応した時にはすでに、中央分離帯に激突していた。
私はそのせいで頭をぶつける。
頭から流れ出る血。 足がハンドルとシートの隙間に挟まった。
私の足はその場から抜けることなく圧迫され、
ただ、そこには砕けた骨の痛みだけが残っている。
意識がだんだんと遠退く。 『私はもう、駄目なのか?』と。
フロントウインドウの割れた隙間から、私の身体に雪が積もっていく。
ボーっとし始めている私にとって、その雪の冷たさは非常に心地よく感じた。
私が母のために買った薔薇の上にも積もる雪。
親不孝者な私に、「母に会うな」と天は言うのだろうか?
今さら会いに行く薄情者に、「もう遅い」と言うのだろうか?
今さら反省したところで、私が許されることはないのだろうか?
果たして、私はそんなに悪いことをしたのだろうか?
日頃の行いが悪かったのか? それとも、私そのものが悪かったのだろうか?
子供の頃の良かった思い出。 悪かった思い出。
大人になってからの良かった思い出。 悪かった思い出。
母のこと。 父のこと。 妻のこと。 娘のこと。
その全てが、今では懐かしく感じる。
私にとって、 それはもう、過去の話なのだろうか?
薄れゆく記憶の中で、私は私を見失う――――――――――
後悔した時には、すでに遅すぎる。
伝えたい想いは今伝える。後悔だけはしないよう。
別に、今回の作品は、何か特別な想いを伝えたかったわけでも、
何か明確な趣旨があって、この作品を書き始めたわけでもないけれど、
書き進めたら、いつの間にかこんな作品になっていた(笑);;
結局、何が言いたいのか良くわかんない作品だけれど、
尖角個人が伝えたいのは「後悔はするな!」です。
>>今回の作品に限っては、後悔も何も特にはないけどね(笑)
そして、母に送ったのがカーネーションではなく、薔薇だったことについては、どちらかといえば母に対する愛というより、一人の女性に対しての愛を書きたかったからです。別に、マザコンだとかそういうわけではないですがね(笑)
では、あとがきが長くなってしまいましたが、次の人どうぞ。