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「それでいいんだよ、アレクサンドル。おまえは十分にやってくれた。ありがとう、後は私に任せてくれないか」
ボクとソフィーと、抜け殻のミサイドと死体しかなかったこの空間に、聞き覚えのある懐かしい声が響いた。
聞こえるはずのないその声に呆然としていると、ソフィーさんがちっ、と舌打ちをした。
「……ルルア」
「覚えていたんだね、ソフィー。てっきり私のことなんて忘れて、この世界での生活を楽しんでいるものだと思っていたよ。案外おまえも、少しの優しさは持っているんだな」
いつかボクが、死んだソフィーと迎えに行ったミサイドの前に現れるときにそうしたように、とん、と着地した。
染み一つない真っ白なシャツに、黒のスラックス。ボクと同じ服装をした青い髪のその女性は、不敵な笑みを浮かべてソフィーさんを見た。
「久しいな、ソフィー。何年ぶり……いや、それくらいじゃ数えられないか。時間というものは長くて短いね。もう大昔のことなのに、つい昨日のようにも思えるよ。こうやって話す日が来るとは思ってもいなかったし、いやはや、時間とはやはり偉大なものだ。こればっかりはどんな存在になっても変わらないと、私は思うんだけど、どうだろう」
「……そんな話、どうでもいいよ」
「ははっ、つれないねえ。どうせそこから出られもしないのに、話をするくらいでしか暇を潰せないだろう」
うずくまっていたボクを庇うように立つルルアさん。どこか怒りを感じる声に、ボクはただ震えが止まらなかった。
「ありがとう、アレクサンドル。辛かったろう。こんな仕事、本来なら私がやるべきだったけれど、どうしても手が離せなくてね。長い間嫌な役割をしてくれた。本当に感謝しているよ。もう、戻ってなさい」
「ルルア、さん……。あの、あのっ」
「どうした? ゆっくりでいい、話してごらん」
もうずっと会っていないからか、こんなにも怖いと思うのは初めてだ。上手く言葉を口にできなくてどもりながらも、ルルアさんにボクの思っていることを伝える。
根気強く聞き取ってくれたルルアさんは、ボクの頭をくしゃりと乱暴に、それでいてやさしく撫でると、「辛かっただろうね。でも、楽しかっただろうね」と言ってくれた。
「そうだね、辛い中にも楽しさはあるんだよ。幸せはあるんだよ。でもね、アレクサンドル。これはもう、決着をつけなくてはいけないくらいの段階まで来てしまったんだ。残念だけど、先に帰っていて。私だって、大切な家族を失いたくはないんだ」
「かぞく……」
「そう、家族。おまえは私の大切な家族だよ。――私の、大切な子供」
ルルアさんはボクをぎゅっと抱きしめて言った。
腹を痛めて産んだわけではないけどね。
不覚にもそれに笑ってしまって、ああ、とっても、幸せだ、なんてこんな状況なのにしみじみと思った。
まだふらつく足でルルアさんの腕から抜け出し、ソフィーへ近付く。ルルアさんを憎らしげに睨みつけていたソフィーさんがボクに気付いて、どうしたらいいかわからない、とでも言いたげに氷の中でびくりと肩がはねた。
「……ソフィーさん、ねえ、聞いて」
「アレク……アレク、アレクは私の味方だろう? なあ、味方だよな……?」
「……ごめんね。本当に、ごめんね」
「謝らないで、謝るってことは……」
「……ごめん」
ソフィーの顔がみるみる絶望に染まっていく。ボクにはもう、謝るしか、できない。
初めてだった涙はもう次々と流れてきて。拭いても拭いても流れるから拭くこともしなくなって。泣くのは、すごく胸が苦しい。息ができない。ヒトって、こんなに大変なんだ、とヒトの体のつくりにしてから久々に思った。
「話を聞いて、ソフィーさん」
ボクね、ソフィーのこと好きだったよ。
大好きだったよ。すごく。
「でも、でもだめなんだ。ボクはこの世界の登場人物じゃないから、もう、帰らないといけないんだ。ごめんね、騙してて。本当はずっと苦しかったんだ。ソフィーさんを騙すのは、みんなを騙すのは、辛かった。ごめんね。でも、でもほんとに、ほんとに大好きだったから、それだけは、信じて」
信じられないかもしれないけど、少しでも信じてくれるなら。
それだけは信じてほしい。
「じゃあねっ……もう、二度と、会えないかも、しれないけど」
くるり踵を返して。
流れる涙はそのままにして。
精一杯の笑顔を浮かべて。
「今までありがとうっ」
最後の最後、これで本当に。
「ばいばいっ」
死ぬことのない永遠をもらったボクの、永遠のお別れを。
ルルアさん……おかあさんが一歩、また一歩とソフィーに近付く。
これでさいご。
おかあさんの手にかかれば、世界なんてすぐに終わってしまう。
それはきっと、きっと。
ソフィーさんの、最期を表すんだろう。
辛かった。でも好きでした。 完
(……おかえり、おかあさん)
(ただいま、アレクサンドル)
(……これで、いいんだよね?)
(さあ? そこまでは私にもわからないよ。……ああ、泣かないで、アレクサンドル)
(はは、おかあさんだって、泣いてるじゃない)
(そう、だね。悲しいよ。なんだって自分の子を自分で殺さなければいけないんだろうね)
(ソフィアはもう、いないんだよね。でもね、おかあさん。ボクはこれでよかったと思ってるよ)
(そうだね、私もこれでよかったと思うよ)




