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神々は反逆を考えた。現創造主はそれに気付いていたが、自分が神々を信じずには彼を信じろといえない。彼もきっと、この事に気付いているだろう。現創造主は信じた。神々が賢明である事を信じた。
彼女がいなくなってからというもの、こんな事はいつ起こってもおかしくなかった。
ただ、それを起こさないぎりぎりのバランスが、崩れかけていた。
私は今日で、私ではなくなります。
現世から離れるのです。
マンションの屋上のフェンスの向こう。
少しだけ足場がある所に、私は立ちます。
このマンションの屋上のフェンスは、手すりと言っていいほど低いので、乗り越えるのは簡単でした。
目下にはちっぽけな人間が、こちらに見向きもせずに行きかいます。
私は思います。
人間は、なんてちっぽけなのだろう。
人間は、なんて愚かなのだろう。
私だって人間なのですが、そんなことをしみじみ思いました。
まあ、今日で私は私ではなくなるので、人間でもなくなるのです。
だから、私はこんなにちっぽけな存在ではなくなるのでしょう。
私がそろそろ落ちようか、と思ったところ、誰かの声がしました。
「そこのお嬢さん、何しているんだい?」
背後から聞こえた声は、とても優しく、とても強い声でした。
「……見て解らないのですか。自殺しようとしているのですよ」
「いやぁ、世の中物騒だねぇ。若いのに自殺なんて」
振り返りながら、私は言いました。
声の主である彼女は、若い女性でした。大学生くらいでしょう。
彼女は何故だか楽しそうでした。
私の方を見て、唇の端だけを吊り上げて笑っているのです。
「どうして自殺なんてしようと思ったのか、話してくれるかい?」
正直、苛々しました。
だって、見知らぬ人間に自殺の邪魔をされたのです。
その上理由を聞かせろ、だなんて。
それだけならまだいいのです。
まだ許せます。
けれど、彼女は私を見て笑っているのです。
私を、見下すように。
私は見下されるのが何よりも嫌いです。
私を見下すあなたは、私よりも偉いのですか。
私を見下すあなたは、私よりも賢いのですか。
私を見下すあなたは、私よりも――
――私よりも、価値のある人間なのですか。
そう思ってしまうのです。
だから私は、見下されるのが大嫌いです。
「……私が自殺をしたい理由を聞いて、どうするのですか」
私が不機嫌さを隠さずにそう尋ねると、彼女は「おお、こわいこわい」と全く怖がっていないのに自分の体を抱きしめていました。
その間も、笑っていたのですが。
「……いいでしょう。聞かせてあげます」
苛々していた私は、彼女を怒らせたくて、そう言いました。
すると彼女は、興味津々、といった様子で私にまたこう言いました。
「どうして自殺なんてしようと思ったのか、話してくれるかい?」
私は即答します。
「この世界の人間全員が、私の価値を知らず、私に対して無礼な態度をとるからです」
彼女は私の言葉を聞いて、目を見開きました。
「お嬢さん……本気でそんなことを思っているかい?」
当然でしょう。
このくらいで自殺なんて、馬鹿げているのだと、私だって解っています。
けれど私は。
本気でそう思ってしまっているのです。
頷いた私を見て、彼女は声を出して笑いました。
子供のように無邪気に。
私はむっとして、もう無視して死のうかと思いました。
しかし彼女は、ふっと笑うのをやめて、私に近付きながら言うのです。
「自殺をした人間の魂は、創造主に認識されないよ」
コツン。
彼女の足音が、やけに響きます。
「それにさ、人間の価値なんて皆同じようなものだよ」
コツン。
「私の知り合いに創造主が居るんだけど、彼自身がそう言っていたから間違いない」
コツン。
「創造主に認識されなかった魂は、どうなると思う?」
フェンスのすぐ傍に来て、彼女は止まりました。
「創造主に認識されなかった魂は――」
――消滅してしまうのだよ。
不意に彼女が低く言うので、ぞくり、と背に嫌なものが走りました。
「……消滅したら、どうなるのですか。そもそも、神なんて居るはずがありません」
ははは、と彼女はまた笑います。
そして悲しそうに答えてくれました。
「誰の記憶にも残らず、そこに何もなかったかのように、消えてしまうんだよ。創造主と呼ばれる神は、残忍なんだ。慈悲を持って存在を管理するから、罪を犯した魂を許さない。許してしまったら、世界は狂ってしまうから。神々はそうやって、我々の世界を守ってくれているんだ。神々の存在を信じるか信じないかは、お嬢さんの勝手だよ。だけど、自殺したら消滅してしまう、ということは覚えていなさい」
彼女はそう言い終わると、私に向けて手を差し出しました。
「引き返すなら今だよ。今なら、特別。特別に殺人未遂を見逃してあげる」
意味が解りませんでした。
状況に脳が付いていきません。
普段ならば笑い飛ばして、冗談だと思うこともできるのですが、何故でしょう。
本当のことに思えて仕方がありませんでした。
「……私の命です。別に殺人にはならないでしょう」
私は言い返しました。
ここで引き返すことはできません。
私は今日、死ぬのだと決めたのです。
私が死んで、せめて私と関わった人間たちに、私の価値の大きさを思い知らせてやるのです。
「お嬢さんの命なんかじゃない。私の命だよ」
「どういう意味ですか」
彼女が変なことを言いだしたものですから、私は全く理解できませんでした。




