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彼は日に日に以前の飄々とした彼に戻っていった。彼女がいなくなってからというもの、目に見えて機嫌が悪かったのだが、少し余裕を持つ事ができるようになったらしい。仕事もそれまでに比べて完成度がまったく違った。それまでも完璧といえるほどの仕事ぶりだったが、完璧をはるかに上回る完成度だ。
しかしその反面、神々は彼の事を信用できなくなっていた。どうしてそこまでヒトに肩入れするのか。彼女を探すのではなかったのか、と。
例えばの話、私が神になったとする。
ありえないけれど、そう仮定してみる。
すると私は人間である存在と、神である存在とを所有することができるのだろうか。
はたまた、人間である存在をなくし、神である存在のみを所有することになるのだろうか。
ミサイドは、人間の姿と神の姿を持っているらしい。
あまり外見に変化は見られないらしいけど。
一応、持っているらしい。
けれど、ミサイドという存在は神という存在に部類され、たとえ人間の姿であっても、人間という存在にはならないらしい。
「その場合、ソフィーさんは神としての存在しか所有することができないよ」
いつもと違って、私の考えに柔らかな声がコメントを入れる。
「……スミマセン。何故私の隣に?」
「ミサイドは仕事で忙しいから、今日はボクがソフィーの監視をしようと思って」
金髪で、目鼻立ちの整った可愛らしさ。
ふわふわとした雰囲気。
澄んだ空を映したかのような蒼い瞳。
真っ白なシャツと、黒い軍袴。
裸足。
「軍袴って……ソフィーさんって、やっぱり面白いね」
「スミマセン。スラックスって言うようにします」
声に出してないけど。
まるで天使のような――神だけど――外見を持つ少年は、確かにミサイドの携帯電話で話した現創造主であり、全存在の管理者であった。
一介の人間である私にとっては、恐れ多い存在だ。
というか、普通ならば一生話さないはずの存在だ。
クスクスと笑うその顔は、とても無邪気な少年のもので。
身長だって一五〇センチ前後で、私より小さい。
こんなに可愛らしい少年が創造主でいいのだろうか。
「ボクはこう見えても、人間が創られる前から存在していたんだ。ミサイドや初代創造主には到底及ばないけど、それなりのチカラを持っているんだよ」
その顔で言われても。
柔らかな微笑みを浮かべたまま言われたって、信じられない。
もしもその姿のまま人間に混ざって、自分は神だ、なんて言っても、誰も信じてくれないよ。可愛い子供がなんか言ってるー、くらいにしか捉えられないよ。
「あー、ソフィー、信じてないでしょう?」
「信じます。大丈夫です。今現在この瞬間に信じました」
そんな頬を膨らまして言われても。
お前確信犯か。絶対確信犯だな?
「……にしても、私宗教とか神話とか興味なかったんで、あまり神だ何だ言われてもぴんとこないんですよね」
正直。
ミサイドに会ってから神話について調べようかなーと思っただけだし。
調べてないけど。
「んー、簡単に説明するとね、神はそれぞれ創造主から仕事を与えられて、自分の部下である大天使や天使と共に仕事をこなすんだ。中には、ミサイドのように部下を持たず、全部の仕事をひとりでこなしたりする神も居るけど、大体は部下を使う」
ミサイドはその能力だけでなく、色々な面でイレギュラーなようだ。
「創造主は、人間たちが作った宗教や神話の中で言うと、アステカ神話ではオメテオトル、エジプト神話ではアトゥム、ギリシア神話ではアイテール、ゾロアスター教ではアフラ・マズダー、北欧神話ではオーディンみたいな存在かな。まあ、ギリシア神話のアイテールはヘーシオドスが言うに、幽冥のエレボスと夜のニュクスの息子で昼光ヘーメラーの兄弟とされているから少し違うんだと思う。エジプト神話でのアトゥムは、初めの独りの神とされていて、そういう意味では同じなんだけど、アトゥムと一緒じゃないな。ボクらの初代創造主とは少し違うし。ゾロアスター教のアフラ・マズダーは、最高神という意味では同じだね。実際、ボクや先代の創造主はそんなに長くは存在していないけど創造主という最高神になったし。ああでも、人間たちの作ったこれらの話では、創造神は男の神だったりするけど、実際の初代創造主は女のひとだから、例えるならば――」
ギリシアと書いてギリシャと発音するあたりが流石神、って思う。
長々と説明してくれている現創造主は、そこで区切って、残りの部分を目立たせた。
「嘆きの女神、ソフィアが一番近いかな」
その名を聞いたとき、背筋に変な汗が流れるのが分かった。
これ以上は聞いてはいけないと、私の中の何かの記憶が、叫んだ。
「まあ、それも人間の作り話なんだけどね。嘆きの女神ソフィアは、創造主じゃないし」
安心した。
何故だか分からないけど、安心した。
「そうだ、人間たちからしたミサイドって面白いんだよー。ミサイドは、ラジエルとも呼ばれているし、堕天使ルシファーとも呼ばれているんだ」
「堕天使?」
話が変わった。
あからさまな、話題の変え方。
私の心情を理解してくれたのだろう。
やはり、神や天使ってのは察しが良くて助かる。
「堕落した天使、ルシファー。日本ではルシフェルとも呼ばれているけど、堕天使になったあとのルシフェルをルシファーと呼ぶのが正しいよ。ルシフェルって名前は、最後に神という意味の『エル』がついているから、神に従っているってことになっていたんだと思う。よく覚えていないけどね。ルシフェルは、神に初めて創られた存在。聖書の第一章で、神は光あれ、と言ったのを知ってる?」
「まあ、それくらいなら」
「そのときに、大抵のひとは太陽が創られたのだと思いがちだけど、実は熾天使ルシフェルが創られたんだ。熾天使っていうのは、天使の階級ね。ルシフェルは光の天使なんだよ。けれど彼は堕天使となったと言われている。けどね、一部の人間には、ルシフェルは堕落していないと言われているんだよ。ルシフェルは、人間たち全員を天国に導こうとして、一から十まで人間たちにアドバイスしたんだよ。これを、神に計画として提案した。けれど神はその提案を却下した。人間たちは自分で考える力を持っているから、自分たちで選択して生きていかなければならない、って理由でね。ルシフェルは優しいから計画して、却下されたと共に地獄の主となったんだ。地獄に堕ちてしまった人間たちの魂を見て、自分の力なさを悔いているんだよ。そして、どうしたら人間たち全員を天国に導けるか考えているんだ。ルシフェルは堕落したんじゃないんだ。今も、考え中なんだよ。ただ考えているだけ。だから、ルシフェルは堕落していない。まあ、地獄の主となったルシフェルはサタンと呼ばれているけど、優しい天使のままなんだ」
長い話を要約すると、『堕天使ルシファーは本当は堕落していない』。
これだけのために熱弁をふるっていたのですよ、現創造主は。
「熾天使ルシフェルは、神を除けば一番の権力者だった。ルシフェルは慢心して神に戦いを挑んだらしい。結果は負け。そうしてルシフェルは堕天使になった」
「ああミサイド。お帰り」
ちょっと待て。何故あなたがお帰りと言うんだ創造主!?
いつの間にか居たミサイドが、堕落したルシフェルの話を淡白に話した。
あんなに熱弁してた創造主サマの話を聞け。お前なんでそんなに説明が早いんだよ。
「それに、ルシフェルが光の天使だというのは根本的に間違っている。光の霊は人間のカタチをとる前のイエス・キリストだ」
「えー、でもルシフェルが光の天使だって解釈は多いよ?」
「多くても、イエス・キリスト自身が言っている。『わたしは世の光である』と。聖書の筆者の独自解釈でもないのだから、光はイエス・キリストだ」
「でもさ、イエス・キリストは何か嫌いなんだよね。自分のこと救世主だとか言ってさ。何から人間を守るんだよ、って言いたくなる」
「それはアレクの意見だ。人間たちの作った話と混ぜてはいけない」
何故かルシフェルについて討論しているふたり。
というか、ミサイドの黒と創造主の白が対立してて、こう見たらミサイドは悪魔だな。
なんて。
ひとりで思ってみたり。
「ん? ちょっと待って。アレクって誰だ」
「ボクの名前だよ。言ってなかったっけ?」
聞いたことないよ。
現創造主の名は、アレクサンドルというらしい。
愛称として、アレク。
……これ多分フランスかどこかの男性名だけど、アレクサンドルでアレクと呼ぶのかどうか怪しいな。
まあ、天界には天界で言葉があるらしいから、地上の話しても意味ないけどね。
結局。
ルシフェルの話を討論した結果、ルシフェルは光の天使ではないが、堕落してはいない、ということになった。
アレクさん――創造主を呼び捨てにはできない――はルシフェルが堕落していないということが言いたかっただけらしいので、まあそこは光の天使ではないということで妥協点を見つけた。
ミサイドも、ルシフェルは堕落していないという意見だったので、そこは大丈夫。
私は宗教に詳しくないから聞いた話の半分以上は忘れたけど、まあ神と神が討論してるっていう珍しい状況が見れて良かったと思う。
思うだけだけど。
堕落した天使 完
(……ふたりの話についていけるように、ちょっと聖書くらい読もうかな)
(ボクで良かったら教えてあげるよ?)
(恐れ多くて頼めねぇよ。私人間なのに)




