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エピローグ。

広域関東首都圏に属する神奈川県下で最大の政令指定都市である横浜。

その横浜の一角に存在する一つの街があった。

市内有数のベッドタウンであり国と市そして京浜リニア鉄道会社による合同都市再開発計画により近年急速に発展してきた街の一つである神大丘。

神が舞い降りたとされる古い言い伝えが残っている小高い丘の頂上付近に大丘神社が祀られている。

その神社がある神丘町の下手にある中丘町の一角に居を構える一軒の家屋があった。

しかし、その家の作りは奇妙に歪んでいる。

元からある家屋に無理に増設をしたおかげで家全体として非常にアンバランスな印象を受ける。

そしてそれは外部から剥き出しに見て取れる強固な耐震具の無骨なシルエットと合わせて見る者の心に主に(マイナス)方面の感銘を授ける。

数台の薄汚れた高級外車の屋根には桜の花びらが積もっており車が放置されてから少なくない期間が過ぎていることを示している。

真新しい中学生の制服を身に着けてこの家の前を通りすぎていく初々しい新入生の姿がちらほらと見える。


その家屋の中、本来立っていた家屋ではなく隣家の敷地を買い上げて建設した増築部分の一角に石金拓也(いしがねたくや)の居室があった。

決して狭くはないその居室は部屋に置かれている様々な器具によって結果的に狭くなっていた。

部屋の中央には大きめのベッドの様な物が配置されておりその上には一人の人間が寝かされている。

その人物の首元や胸、お腹や下腹部、手首や足首に大小様々なチューブが伸びておりベッドの周囲にある器具に連結されていた。

服は着せられていなかったが可愛らしい絵がプリントされた毛布が身体に掛けられてその痛ましい姿にいくばくかの尊厳といったものを提供している。

又、ベッド自体からも様々なコードが伸びており壁際に配置された巨大なラック状の機械に繋げられていた。

ブーンという低周波の音と微かな振動が絶え間なくこの部屋を駆け巡っている。

その人物の頭部には何も装着されていなかったが頭部の左右と頭上には黒色をした板状の物が掲げられており壁際の機械にコードが伸びている。

よく見ると部屋の壁や天井にも同じような板が等間隔に貼り付けられており一種異様な雰囲気をこの部屋に与えていた。


そしてこの部屋にはもう一人の人物が存在した。

ベッドの横に寄せられた椅子に座りながら、寝かされている人物、石金拓也(いしがねたくや)の顔をじっと見つめている。

腰まで伸びたその艶やかな髪は深みのあるブラックオパールの様に周囲の光をゆるく照らし返し夜空に輝く星々の瞬きを連想させる。

その瞳はまるで南国の透き通るような青い海をそのまま瑠璃石にぎゅっと閉じ込めたかのように煌めき、同時に朝露の中に浮かぶ陽光をそのまま写し透かした琥珀のようでもあった。

透き通るような白い肌に桜の花びらを一枚落とし込んだようなその頬、すっきりと通った鼻筋にふっくらとした唇はまるで採り立ての果実のように瑞々しい生命力にあふれている。

顎のラインは美しいカーヴを描き、ほっそりとした首元を可愛らしいリボンが彩り全体の印象をより華やかなものに仕上げていた。


その少女は拓也の身体に掛けられている毛布をめくりながら適度に絞った布巾にて拓也の身体を拭き清めていた。

全身に埋め込まれたチューブを手慣れた様子で捌きながら丁寧に優しくその作業を進める。

彼女はこの行為を一年もの間、欠かすこと無く毎日続けていた。


顔、胸、肩、腕、掌、腿、膝、足を順々に綺麗に清める。

次に彼女はベッドに腰掛け拓也に覆いかぶさりながらその上半身に抱え上げる。

ベッドから軽い警告音が一回だけ鳴った。

丁度、互いに抱きあう様な姿勢になりながら片手で拓也の身体を抱き寄せもう片方の手で背中側を清める。

その作業が終わり拓也は元通りにベッドに寝かされた。

掛けられていた毛布は腰部を残して全てまくり上げられている。

彼女の白魚の様な手が腰部に掛けられた毛布にゆっくりと伸びる。

だが、その手は毛布に触れる直前にピタリと止まる。

横顔から覗いている桜色をした頬がより鮮やかな紅色に染まっている。

しばしの逡巡の後にその指はベッドの手前に据え付けられている小型のディスプレイに伸びた。

そこには人体を簡略化した人形が表示されており彼女の指はその人形の腰部に触れた後に幾つかの操作をこなす。

やがて毛布で隠されている箇所が軽く振動し自動清浄装置オートメーションクリーンにて拭き残した箇所が清められる。

そこまでの逡巡、その後の動作もやはり過去一年間と全く同じであった。


彼女は左右の瞳の色が違う、所謂虹彩異色症であった。

左目は蒼、右目が金の色を成している。

そして子供とは得てして残酷な生き物である。

幼少期から彼女は常に周囲から好奇の目で見られてきた。

他人と違う、ただその一点において人は人を容易に排除しうる存在となる。

彼女が過ごした幼少期は正にそのようなものであった。

その幼き心が押しつぶされそうな時に彼女は拓也の言葉に救われた。

拓也が彼女に掛けた言葉はごく普通の言葉でありおそらく拓也本人も忘れているであろう平凡な言葉だ。

そんな何気ない一言によって彼女は暗闇の底から救い出された。

彼女は暗闇に差し込む一筋の光に幼いなりに精一杯の感謝を捧げた。

その思いがやがて愛情に変わっていくのにさほどの時間はかからなかった。

たとえそれが生まれたての雛に刷り込まれる類のようなものだと自認していたとしても彼女は構わなかった。

彼女にとっては拓也に救われた、その事実こそが大事なのでありその理由に興味はなかったのである。

だが、彼女はその想いを意図的に拓也への崇拝にすり替えた。

ただただ、拓也を強く崇拝する。

年々想いが強くなり、それはより強い崇拝の心へとすげ替えられていく。

やがて思春期を迎えた彼女が抱えた想いは制御不可能な怪物へと育ってしまった。

それこそ自らを偽り切れない程に。

境界線上にて身を焦がし彼女自身が苦しんでいるその矢先に今回の事件が起こり拓也は仮想世界に閉じ込められた。

彼女は悲しむより先にほっとしてしまった。

そして拓也の不幸にほっとしている自分自身を強く嫌悪した。


世界初のヴァーチャル・マッシブリー・マルチプレイヤー・オンライン・ロール・プレイング・ゲームはサービス開始(イン)直後に数万人にも及ぶプレイヤーが事実上の脳死状態に陥った。

この惨劇は勿論、ネット世界初の大規模災害とでもいえる事件でありそれこそ世界史に残るほどの大惨事と言えよう。

この事件に際して日ノ本のみならずサービス対象に含まれている関係各国の動きは非常に早かったと同時に不気味なほどに静かなものであった。

紙媒体からインターネットを含む様々なマスメディアは勿論、この事件を報じた。

非常に痛ましい事件であり起きてはならない事故であると。

だがそれ以上でもそれ以下でもなかった。

それらは真綿で首を撫でる程度に運営開発会社である株式会社SAMを扱った。剣野博士は名前すら出て来なかった。

報道はやがて何故起きたか? ではなくこれからどのようにしてこの事態を治めるかに論点をずらしていった。

無論、言論統制が効きにくいインターネット上では責任追及を疎かにしたこのような動きには猛反発が起こることとなった。

だが、その中において巧妙にそして大量にネット世論を誘導する動きが水面下で存在した。

人間の心理学や行動学、そして様々なインターネットの構造や仕組みを研究したその上で天文学的な資金力に裏打ちされた巧妙な物量作戦によってインターネットの自由世論は泥沼にはまる車輪の如き醜態を晒すこととなる。


そして被害者の一人である石金拓也(いしがねたくや)が居る石金家にもその残酷な天使の様な接吻(ヴェーゼ)が差し伸べられた。

株式会社SAMからの多額の賠償見舞い金と剣野精神医療センターからの様々なVR介護医療機器の提供。

それに関する様々な消耗品や代替品を無制限に購入することが可能な剣野カードの提供。勿論、電気ガス水道光熱費も剣野グループが責任を持って永久に支払うという誓約書。

更に介護環境を構築するための家屋の改良や隣家の買取費用、増築費用や工事の提供。現在抱えている住宅ローンの肩代わり等なども即時に提供された。

希望者には今回の被害患者専用に新規に建設した膨大なVR医療棟群への無料入院措置や一等地に新規建設されたVR医療介護新規戸建住宅群の贈呈などが為された。

それ以外にも患者の家族への就職斡旋や家族それぞれに個別に毎月支払われる七桁にも上る介護支援金等などの特例措置が剣野グループから施された。

口さがない者は今回の事件に巻き込まれた患者の家族はまるで金鉱でも掘り当てたかの様な幸運に見舞われたと評したがそれは当たらずとも遠からずであるかもしれない。

事実、今回の特例措置を施された患者の家族は周囲から不躾な羨望の眼を向けられる事が少なくなかったのである。

(尚、当初はヘルメット状であったソードアンドマジックオンラインに採用されている『VRFDシステム』のインターフェースは介護に適さない形状として改良が重ねられ今の『WVRFDシステム』のインターフェースの形となった。

と、いっても単純に脳波を捉える送受信装置の出力を上げてベッドや部屋自体を送受信装置にしたという話なのだが。

……まぁ、脳に直接電極をぶっ挿す訳でも無いのでヘルメットやヘッドセットの形状を維持する必要がなかったとも言える。要は耳元で会話しようが部屋の端で会話しようが意思の疎通が出来ればいいだけの話であった)


だが、それらの恩恵を授かるには契約書にサインをしなければならない。

要約すると以下のようになった。

剣野グループに逆らうな、と。

それらを拒んだ家族の家には偶然にも無停電装置が故障した状態で停電が発生してしまったり、たまたま火災が発生してしまったり、急に莫大な借金を負ってしまったり、会社を首になったりといった不幸が発生した。

そして、それでも従わない素敵な家族はある日突然一家ごと行方不明になった。

ただ、それだけであった。


差し出された飴玉とつきつけられた拳銃にこめられた鉛玉。


拓也の両親はその飴玉を口にいれてしゃぶった。存分に。

最初は演技ではなく悲しみに暮れていた両親であったが次第に手に入った大金に関心が行く。

悲しみだけ、大金だけ、どちらか片方だけであれば耐えられたかも知れなかった心は音を立てて砕け散っていった。

それなりに慎ましく、しかし決して不幸ではない平穏な暮らしは過去のものとなった。

父は次第に金遣いが荒くなりやがて高級外車などを戯れに買って一通り乗り回した後にこの家から出ていった。

母もだいたい同じような経緯を辿り今では数ヶ月に一回ほど戯れに家に顔を出す程度になった。

両親の事を思い浮かべているのだろうか、彼女の形の良い唇がぎゅっと噛み締められた。


余談だが今回の事故に巻き込まれた家族に供給された大量の金銭は一種の公共事業的な働きを経済にもたらし、それによって社会全体の経済が好転したことは不幸中の幸いといっては不謹慎だろうか。

彼らはいつしか『剣野長者』と呼ばれ彼ら目当てのサービスや商売を営む者も出現し、テレビや新聞でも特集を組まれるいわば社会現象的な流れになった。


いつの間にかベッドに横たわる拓也に横浜市立常磐高等学校の制服が着せられていた。

全身につながれたチューブやコードは背中側から制服に開けた切れ込みから逃されており一見普通に寝ているように見える。

落ち着いた紺色の上着にクリーム色のベスト、首元にはネクタイが覗く。


「よく、お似合いです」


自らが整えた拓也の制服を見て彼女が嬉しそうに微笑む。


彼女も同じ常磐高の制服を身に着けていた。

純白のシャツの上にクリーム色のニットベストを身に着けている。

ベストの首元にはえんじ色の二本ライン、左胸には赤と金の校章を模したワッペンをアクセントとしておしゃれにあしらっている。

紺色の短めのスカートはプリーツが可愛らしく彩っており、裾から伸びる真っ白の肌と合わせてとても絵になっていた。

ベストの丈がちょっと長めなのを腰のあたりでゆるくたるみを持たせて自分なりにアレンジしながら彼女は制服を可愛く着こなしていた。


「今年から私もおなじ制服ですよ。ふふっ、お揃いですね」


そして花のように微笑って拓也に背中も見せるようにその場で軽く一回転をする。

ただ、それだけでこの部屋の明るさが数割ほども増した様な錯覚を受ける。

初々しい花弁が花開くかの様にスカートの裾がふわりと舞い広がり、月夜に照らされる白雪の様な瑞々しい太ももがあらわになる。

だがそれは不思議とちっともいやらしくなく、むしろ健康的な印象を見る者が存在しないこの部屋に与えた。


拓也が通っている常磐高は国内でも屈指の名門校であり入学には最難関の試験に受からなければならない。

司法試験の方がまだ簡単だと揶揄されるような試験を拓也はクリアして常磐高に入学した。

対して彼女が先月まで通っていたのは少中高一貫の聖心白百合学園の中等部であった。こちらもまた国内有数のお嬢様学校として堂々たる歴史と気品に満ち溢れていた。

しかし、拓也が昨年常磐高に受かったのを見て密かに決心してしまったのである。

理由は二つ。

常磐高は全寮制であり拓也と離れて暮らすのが耐えられなかったのが一つ目の理由。

そして常磐高の制服がひどく気に入ってしまったのが二つ目の理由であった。

もっとも、転入を決心してからの彼女の道のりは平坦ではなかった。

ソードアンドマジックによる大規模災害に拓也が巻き込まれてしまった事件、そしてそれに付随する様々な環境の激変、常磐高が誇る最難関の試験、聖心白百合学園による引き止め、親の形をした二人の許しがたい態度。

およそ恵まれているとは言いがたい環境の中で彼女は全ての問題を正面から取り組み、そして打ち破り見事に常磐高に入学を果たした。

彼女は必死だった。拓也と同じ高校に通いたい一心で。


石金拓也(いしがねたくや)は本日、四月一日付けで常磐高等学校の二学年に進級した。

彼は丁度一年前の常磐高の入学式の後にそれぞれの教室での簡単な説明と自己紹介をした後に家に帰りソードアンドマジックをプレイしてそのまま囚われた。

彼のような立場の者は全国に大勢発生した。

この進級措置には賛否両論があるだろう。

だが、永田町で三文小芝居が開催された。

特例的な処置を得る為の政治屋のお涙頂戴のパフォーマンス。勿論その足元には剣の(シルエット)が長く伸びていた。


「前途ある若者の未来を私達大人が奪っていいものでしょうか? いや、私達大人が彼らのような若者を守って行かなければならない。

それが大人として、いや一人の人間としての最低限の義務ではないでしょうか?」


事の本質を全く無視した無残な感情論、確かに留年というのはその人の将来に大きな傷を付ける。その傷は将来致命傷になるかも知れない。

だが、一年間寝ていた者を進級させるのも諸手を上げて賛成、と言う訳に行かない事は子供でもわかるはずだ。

永田町の三文小芝居は満場一致の拍手で迎えられた。やれやれ。


寝ている拓也にそっと身を寄せる彼女。

拓也の伸びている腕に艶やかな髪で彩られた頭がそっと乗せられる。まるで腕枕をしてもらっている様に。

両手を合わせ拓也の方を向きながら身体を丸めてベッドに横になる姿は添い寝というよりは胎児のような印象を受ける。

その身が拓也の方に更に寄せられる。

その蒼く澄んだ瞳と金色(こんじき)に煌めく瞳が拓也の軽く開いた唇に釘付けになる。

そして、その唇にそっと自らの唇を寄せていく。

瞼が閉じられ、長くて形の良い睫毛が伏せられた。

両者の唇が触れる寸前で動きが止まる。閉じた睫毛が微かに震える。

しばしの逡巡の後に彼女は身を起こす。

そして立ち上がり拓也に向き直る。


ベッドの脇に備え付けられている大型のディスプレイに指を伸ばしタッチをして自動介護システムを機動する。

するとベッドに何箇所も切れ込みが入り拓也の身体がベッドの中に、自動介護ボックスの中に格納された。

拓也の頭部だけが表に出ておりそれ以外の身体はまるで壁の中に塗りつぶされている様な状態になった。

システムに目を走らせ異常が無い事を蒼色と金色の瞳が確認する。

勿論、過去半年以上もの間に十二分に十二分を重ねた運用テストをしており安全性は折り紙つきだと彼女は判断している。

そして、生命維持装置や身体の各部所のマッサージ機能、ストレッチ機能、清浄機能などのひと通りの基本動作を確認し終えてから彼女は拓也に話しかける。


「私はこれから赤野博士の元に参ります」


彼女は寝ている拓也の顔を静かに見つめる。

そのまま静かな時が流れる。

そして、名残惜しそうに拓也からその瞳を離して扉を開けてこの部屋から出ていく。

彼女は振り返り、再度拓也の目を見つめながら呟いた。その瞳には非常に強い決意が見て取れる。


「必ず救い出して差し上げます。待っててくださいね」


最後の方は声がかすれ気味になり聞こえなかったがその唇は確かにこう動いた。


兄さま、と。


三日後、横浜市立常磐高等学校では生徒会総選挙の公示日を迎えた。

石金麗花(いしがねれいか)は自身の所属クラスである一年一組の生徒会長選挙人兼クラス委員長になるべく立候補の届出を行った。

そして、その日の夜から常磐高の学生寮ではある悪夢の噂が流れるようになる。

おぞましき、忌まわしき、口にするのも憚られる醜悪で非道で淫虐な悪夢の噂が。

可愛いは正義。所詮正義とはその程度のものでしか無い。

――――剣野真帆

〇七ニ一號案件 第三回口頭弁論より 被告側参考人として。


これでこの話は完結です。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

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