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赤ノ断罪 四

最初はぼんやりとした違和感だった。

違和感は既視感に変わりやがて確信となる。

確信は後悔の淵に沈み絶望に落ちる。

足元に転がる色とりどりの果物に愕然となり。

繁華街の中心にそびえる時計塔の残骸に呆然となり。

果物の屋台に埋もれる彼女、未だ意識が戻っていないメイルの姿に慄然とする。


そう、ここは奴と対峙した一番最初の場所。

俺を庇って気絶したメイルを守るために『赤ノ断罪』を決して近づけてはいけない場所。近づいてはいけない場所。

この場所に俺は事もあろうに誘導されていた。

追い込まれていた。


ちょっと待て。


「前方に高次エネルギー反応が形成されつつあります」


ちょっと待て。


「竜脈パターンより先ほどのような大規模攻撃の可能性が大です」


待ってくれ。


「今すぐこの場より退避することを推奨します」


頼む、待ってくれ。


「警告します、直ちに退避して下さい」


「待てっていってんだろぉぉぉぉおおおおッッッッッッッッッッッッッッッッッ!!!!」


俺は大声で力の限りに叫ぶ。

悔しさのあまりに叫ぶ。

悔恨の極みで叫ぶ。

己の無能さに叫ぶ。

己の浅はかさに叫ぶ。


何が無理は禁物、だ。

まんまとこの場におびき寄せられやがって。

何たる無能、何たる無策、何たる無様。

これが罰なら死罪一等 を任じられるに値する程の許しがたい愚劣さだ。


<千ノ落涙> 『天ニ向カイシ咆哮、其ハ万物ノ霊脈**大イナル慈悲ヲ以ッ*一雫ノ救イ***、其**罪為』


視覚情報ウィンドウに緊急告知エマージェンシー・テロップが表示される。

同時に耳障りな不協和音を奏でる警告音が鳴り響く。

俺はそれに構わずに気絶しているメイルの身体を崩れた果物屋台の下から引っ張り出そうとする。

『赤ノ断罪』、その名に違わぬ呪われた血塗れの姿がのそりと蠢く。


「危険です。最早一刻の猶予もありません。今すぐにこの場より退避してください」


「何故だッ、なんでだッ、クソッ、クソクソクソッッ!!」


気が狂ったように色鮮やかな果実を蹴散らした俺の目に木銅精鉄(ヴァーム・クリア)製のがっちりした屋台の支柱が目に入る。

折り重なり崩れた支柱は複雑に絡み合いメイルの足を挟み込んでいた。

大の大人が数人がかりで持ち上げ、組み上げたその支柱の重さはとても俺一人が何とか出来る代物ではない。

幸いにして支柱の隙間にうまくハマり込んでいるようで足自体は潰れてはいない。

が、いくら引っ張ってもメイルの足は抜け出る気配すら見せない程に支柱の隙間に絶妙に咥えられていた。

どうする?

一瞬夢幻採掘アンリミテッド・マインの力で支柱を消してしまおうかと思ったがすぐ、思い直す。

下手をするとバランスを崩して足そのものが圧搾機に潰された肉塊に変わりかねない。


原罪の(アギト)が天を向きその麗しの竜喉を衆下に晒す。


「現在、霊解質の異常律動がアークガルド全域にて観測されています。

地上、空中、上空は言うに及ばす、地下を流れる光脈、霊脈などの地脈数値にも異常が現れています。

直ちに影響があるレベルの水準です。

危険です。非常に危険です。

今すぐこの場より退避して下さい。

退避可能時間は約2秒と推定されます。

繰り返します。

今すぐこの場より退避して下さい。

退避可能時間は約2秒と推定されます」


どうする?どうするどうする?どうしたらいい?

混乱する頭。

心を不安にさせる警告音。

そして眼前で繰り広げられる超越者の断罪。

俺は金では買えない、けっして贖えない、なによりも貴重なこの2秒を無駄にした。無為にしてしまった。無益に過ごしてしまった。



時来たれり―――



世界は密やかなる静寂に包まれた。

未だ燃え残る炎が爆ぜる音、黒焦げになった建造物が崩れ落ちる音、人々の消火活動や救助活動が発する音、熱風に煽られ流たれる風切音が掻き消される。

先ほどまで耳元でがなりたてていたシステム内部の発する警告音すらもが沈黙する。


全てが凍りつき、安息の空間、安寧の安らぎに身を任せる世界の中で今、取り返しの付かない奇跡が顕現する。


全ての音を喰らい絶対の静寂者と化した赤の断罪者が咆哮する。

だが、それは声なき咆哮。あり得べかざる咆哮。あってはならない咆哮。

真紅の口蓋を晒さず、原罪の(アギト)はぴたりと閉じ、恐るべき竜牙霊峰すらも一部の隙もなく噛みあわせているのだ。

口を閉ざしてどうして咆哮ができようか?

そんな事は不可能だ。


……不可能を可能にするのが奇跡ならば今眼前に起きているこの光景はなんと評したらいいのだろう?


見よ、麗しく赤濡れる彼奴の喉元を、竜喉にて世界の摂理を壊し咀嚼する呪われた『忌跡』を。


見よ、超越種(オーバーロード)が放つ竜の咆哮(ドラゴンブレス)がこの世の理を呑み込み祝福する『忌跡』を。


見よ、線が千と成り全を為した末に辿り着く全てを超越した境界線上の『忌跡』を。


真紅の凶竜の喉元に漆黒の点が穿たれる。

続いて闇よりも昏い色に沈むその切っ先が『向こう側』からぐいと押し込まれ『こちら側』に深く刺し貫かれる。

そして、そのまま刃は横に滑り点を切り裂く。

漆黒に穿たれた点は黒キ一文字と成り果てる。

世界の『向こう側』からこの怪異を彩った『妖刀 音切丸』は音もなく『向こう側』に還っていく。

無論それはこの『忌跡』が終わったことを指し示しているのでは無く『全てはこれから始まる』という事を暗示しているのだ。


密やかに、音もなく、滑るように喉笛を切り裂かれた真紅の巨躯が悦びに打ち震える。


音無しの咆哮は天を穿ち。

線は千に変わり円を成す。

赤き血涙がこの世の全てを洗い流す。

この場に存在する全ての命の灯火に安らかなる永劫の眠りを与えん。


「信じ…………られません」


対話型インターフェースであるまいんが絶句した。

これは二重三重に思考アルゴリズムに余裕をもたせている彼女に思考欠落が存在するほどに衝撃を受けた事を意味する。

無理もない。

俺自身も眼前で、いや眼天で起こっている事態に己の目を、正気を疑っている。


晴天が紅蓮の炎から生み出された黒煙に汚されている。

その白でも黒でもない灰色のキャンパスに淫靡なる赤濡れた笑みが広がる。

全てを誘うようにそのクレヴァスが密やかにその唇を押し広げる。

見てはならない、見てはいけない、その隠された、隠さざるを得ない、ありのままの姿を。

全てをあざ笑うかのように衆目に晒してしまう。晒してしまった。晒し上げてしまったのだ。

否、晒したのではない、見せたのではない、『見た』のだ。

彼の者自身が見られているのではない。

彼の者自身が見ているのだ。

何を?

それは勿論―――

ゆっくりと、宙天に開かれたその(まなこ)が形を結び眼下を睥睨する。

波がさざめくように次々と瞼が開かれその慈愛に満ちた瞳孔が一斉にこちらを見つめる。

その数実に九九九と一。

今や俺は千の瞳を虜にした千両役者って寸法だ。

笑えねぇし見栄も切れねぇ奈落の舞台の奥底で俺は主役を張らされている。


「残念です。

事ここに至っては逃げ出すことは不可能となりました」


まいんが沈痛な面持ちで語りかけてくる。

絶対の静寂空間の中で声は聞こえないが、思考接続のお陰で言いたいことは明瞭に伝わってくる。


「ごめんな、期待に添えなくって」


「いえ、私の認識不足です。

まさか悪夢(ナイトメア)級の超越種(オーバーロード)『赤ノ断罪』の強さがこれほどとは。

この戦闘が終わったら各種データベースのリ・ビルドに着手しなければいけませんね」


おいおい、戦闘が終わったらって……ああ、そうか俺が殺されてもまいんは無事だって事か。

それは、この絶望的な状況の中で唯一のいいニュースだな。


「何を言っているんですか?

先ほど申し上げました様に、私は貴方のシステムメニューに接続されているのですよ?

わかりやすく言うならば貴方の命と私の命は接続されている状態です。

貴方が死亡したら貴方のシステムと共に私も消滅、死亡するでしょう。

この点においてはそこの『メイル』さんと私は貴方に対して同じ関係性を維持していると言えるでしょう」


「え?、いや何を言って……」


「時間がありません。

いいですか?よく聞いて下さい。

超越者に対峙するにはこちらも超越者にならなければなりません。

アストラル式超過起動(オーバークロック)超越至獄の一、幽幻光跡(アストラル・ロック)をお使い下さい」


ここでまいんは柳眉を潜め、唇を噛み締める。


「但し、これはあくまでも禁じ手。下手、下策の類です。

自らの命を天秤に賭けて、自殺よりもまだマシと言えるほどの代物であるとお考え下さい」


……………………


「ですが、それ故に、それ故にこそ『こうかはぐんばつ』です」


にっこりと笑う『まいん』、しかしその目尻には微かに光るものが濡れる。


「さあ、残された時間はあまりにも短いです。

貴方とメイルさんがいる場所だけを強く意識して下さい。

二人がいる場所のみを絶対防衛圏として設定すればバーストゲージの消耗は最小限に押さえることができ、身体の負担も軽減されると推定されます。

無事に<千ノ落涙>を凌げたとしても、後の戦いを考えると思考加速(センス・バースト)の源であるバーストゲージはできるだけ残しておいたほうがいいでしょう」


虚空に描かれる流線形のカーヴ。

その弧が下三日月に姿を変え赤濡れた瞼をゆるりと閉じる。


月が触に食われ暗黒に回帰する。

怪奇なる月蝕の如く姿無き姿が宙に沈み込む。


そして―――、一雫の救いが地に堕ちる。

色鮮やかな血涙に姿を変えて。


堕天した奇跡は奇跡などでは無い。

それは奇跡に非ず忌むべき『モノ』と成り果てた。

奇跡を騙った『忌跡』、『忌跡』を産み堕としてしまった奇跡。

その許されざる救いは忌むべき存在その『モノ』の残り滓、残滓となり、この世界に傷跡を残す。

忌むべき傷跡からは永遠に咲き誇る生命の花々が『裂き』乱れる。


何を糧に?

何の為に?

何が故に?


静寂が支配する絶音の舞台の上に歓喜の声が、悦びの声が、絶頂の声が響き応える。


救いを求める手に。

助けを求める目に。

許しを求める口に。


慈愛の涙が下賜された。

血の涙を賜った僥倖なる幸人は歓喜の絶叫を張り上げる。

絶叫はやがて色づき絶頂と成り果てる。


幸人に取り憑いた純白なる花々は人型を切り裂きやがて鮮血の花園にて『裂き』誇る。


奇跡は人を救うもの也。

忌跡は人を巣喰うモノ也。

之人は巣喰い花死と呼ぶ喪之也。


目の前で鮮血の花園が紅蓮の花園に姿を変えながら式は粛々と進行される。

だが俺は、喪中なんて真っ平御免だ。


夢幻採掘アンリミテッド・マインッッッ!!」


人に巣喰った送り花を一撃にて葬送する。

仮想世界で火葬なんてたちの悪い冗談にも程があるぜ。

俺はすぐさま拾い集めた回復薬を巣喰われ人に叩きつけその命を救う。

切り刻まれた全身が、焼け爛れた全身が緑色の回復エフェクトに包まれて急速に形を、血の気を取り戻す。

残念ながら手持ちのポーション類では断ち切られた片腕は直せないが、然るべき医療施設で適切な治療を受ければそれも復元出来るだろう。

俺はその意識を無くした少女のほっそりとした身体を抱え上げ、物陰にて心配そうに見つめるその家族らしき人たちに引き渡す。

何度も頭を下げながら少女を背負い走り去る人々の姿を背に俺はまいんに問いかける


「俺ら二人だけを絶対防衛圏にするって言ったな?」


「言いたいことはわかります。

ですがこの場合。

『全てを救う事』は『全てを殺す事』と同義です」


「だから見捨てろって事か」


「バーストゲージを全て使いきってしまったらどうなります?

思考加速(センス・バースト)の加速無しには一撃すらも凌ぐことは不可能です。

そして、貴方が一撃のもとに殺された後はこの場の全ての人間は殺されます、そこのメイルさんも含めて。

どうか、理性的に、『最適解』を選択して下さい。

そもそも、全ての攻撃を防ぎきるまでバーストゲージが持つとは限りません。

途中でバーストゲージが無くなってしまったら……いやそれ以前に貴方の身体が持つかどうかもわかりません。

いいですか?

先程も申し上げたようにこれは分の悪い賭け、それもとびきり悪い賭けなんです」


「違うんだ、俺が言いたいのは……」


まいんがいつになく強い口調で俺の言葉を遮る。


「違いませんッ。

この場にいる者は皆、自らの力で、己の身を守る責務があります。

それこそがこの世界における絶対にして唯一の義務であり権利であると考えます。

貴方は貴方の力で貴方自身を守るので精一杯なんです。

これは能力保持者(スキルホルダー)特例協約 第零条第零項『緊急回避』に該当します。

いいですか?

このケースでは貴方は決して罰せられません。

貴方は彼らを救助する義務は無いんですッ」


必死に俺を説得する彼女、まいんの言葉を俺は殆ど聞いていなかった。

耳に入っていなかった。

代わりにひとりでに口が開き言葉を紡ぐ。


「……幼い頃、俺は父や母に連れられて虫取りに行ったんだ」


「な……にを言っているんですか?」


「自分では虫が取れない俺に父や母はトンボを渡してくれた。

渡される度に俺はぶちん、ぶちんとトンボの頭を千切っていたらしい。

俺の足元には頭が千切られた、羽を毟り取られたトンボの残骸がぴくぴくと無数に横たわっていた」


薄い膜が張られるように―――


「小学校低学年の頃だったかな、俺はセミのお尻から木の枝を差して頭まで突き刺していた。

何のために?

はっきりとは覚えていないが多分、口と肛門は繋がっていると授業で教わったからそれを確かめるために試みたんだろうな。


昏い、澱の様なものがこびりつく―――


「カエルの解剖。蟻の巣。蓑虫。ヤドカリ。魚。

なんでだろうな。なんでこんな事をしたんだろうな」


其れは密度を増し、粘度を高め、積み重なる―――


「自転車で走っていた時に道路の向こう側からぴょんぴょんと跳ねるものが近づいてきた。

それは黒くて、赤いものを撒き散らしていた。

猫、だったと思う。

おそらく車に跳ねられて苦しがっていたか、もしくは既に絶命した後に寸前の命令を筋肉組織がリピートしていたんじゃないかな。

それを、俺は、面白いと、笑って、何も、せずに、通り、過、ぎ、た。

助ける事も、哀れに思うことも、何もせずに、何もしようとせずに、通り、過ぎて、し、ま、っ、た」


決して離れず、決して消えずに、見つめている―――


「いつからか、いつからか知らないが俺は何も殺せなくなっていた。

蚊もハエもゴキブリも、釣りの餌のゴカイすらも突き刺せない。

だが、肉も野菜も美味しく頂いているんだぜ?

何たる矛盾、何たる偽善。馬鹿じゃねーの。

ただただ、自分の手を汚したくない卑怯者の弱虫に過ぎない」


何も云わずに、何も聞かずに―――


「勿論、ゲームの中じゃ殺しまくりだぜ。

モニタの向こうのその中じゃ動物どころかFPSで相手のプレイヤーすらも殺しまくりだぜ?」


見つめている―――


「……だが、この仮想現実の世界では駄目だった。

少なくとも俺に対してなついてくれる動物を殺すことは出来なかった。

なぁ、教えてくれよ?

虫の死や猫の死ですらこの胸の奥底にこんなにも『巣喰って』いるのに、今ここで皆を見捨ててしまったら俺はどうなってしまうんだ?

一人ですら二人ですら気が狂ってしまうのにこんなに大勢の、しかも俺を助けてくれた人々。

逃げようと思えば逃げられたのに俺の為に様々な支援をしてくれた人々。

俺を命懸けで助けてくれた人々。

俺はそれに耐えられない。

俺は全てを喰われてしまう」


まいんが悲しげに目を伏せる。


「残念です。

後、十分、いや五分あればカウンセリングで応急処置を施せたのですが……」


「俺は俺の為に俺を救わなければならない。

皆の為に皆を助けるんじゃない。

俺は俺を救うために皆を、この場のすべての人々を救わなければならないんだッ」


天空より舞い落ちる紅玉の如き千流の調べ。

調べは奏でる。奏で続ける。

救いと巣喰いの狭間にて掬い続ける一人の男の物語を。


この場にいる全ての人の頭上に赤き巣喰いがもたらされた。

それは音もなく、しずしずと、一直線に慈愛の掌を広げ抱擁する。

無数の赤き血涙が今、流された。


俺は、全てを見上げ、見上げ続ける。

見えない者も見つめ続ける。

強く、強く思い続ける。

そして、アークガルド全域を絶対防衛圏として設定する―――


全ての人の頭上を守り。

全ての命の灯火を守り。

全ての光の軌跡を守る。


「超過・・・起動ッッッッッッッッッ!!!!」

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