第6章
悦子は、中井を見ていて可笑しかった。
中井は、隆介が病気になってからというもの、どんどん厚顔無恥になっていった。
隆介が元気だった頃は、悦子にも慇懃な物腰で接していたのが、次第にぞんざいになり、最近では、露骨に言い寄ってきたりする。
「先生の跡を僕が継いで奥さんと組めば、行く手に敵なしですよ」などと不埒なことを平気で口にする。
一口に秘書といっても、打てば響くような頭脳明晰な若手から、中井のように愚鈍なくせに自信過剰で鼻持ちならない輩まで、ピンキリなのだ。
中井は、隆介よりも10歳年下で、大学の後輩という安心感も手伝って、10年以上も主従関係が続いている。
中井は、隆介に言わせれば「駄馬以下の男」だったが、そんな男にも野心はあった。
でも、隆介と言う強烈な個性の一冊しか読まなかった中井は、単純に隆介をバイブル視しただけで、隆介がどれほど自分と次元の違う思考回路をもった、非凡な男なのかわかっていなかった。
この世で、一番恐ろしいのは、こういった身の程知らずの無知なのだ。
さて、悦子が落ちないので失望の色を隠せない中井だったが、間もなく次なる獲物を見つけてきたようだった。
隆介が以前付き合っていた順子とかいうシングルマザーらしいが、一体どう料理しようというのだろう?
悦子は、自分の身体がドナー待ちなどという大変な時期でもあり、ここは黙って静観を決め込むことにした。
・・・・・
順子は、隆介の見舞いに行くことに同意したものの、中井のさらなる提案には仰天した。
息子の昇平は、今年6歳。小学校に行く年になった。
泰俊の子だ。認知もしてもらっている。
実は、泰俊と7年前に別れる前後、隆介と付き合っていた時期が少しだけあった。
お互い、伴侶と別れたり、うまくいってなかったりして寂しかったのだ。
そして、傷口を舐めあうようにして痛手を癒しながら、順子はもう一度、隆介とやり直したいと願うようになっていった。
だが、やがて隆介は、一方的に「悦子と一緒になる」と言って去っていき、順子は再び一人取り残された。
・・・と思った。しかし、本当はそんな弱音を吐いている場合ではなかったのだ。
順子のお腹には既に新しい命が息づいており、感傷に浸ったり躊躇している暇はなかった。
誰にも告げず実家に戻り、母の親戚の家で男児を出産した。
「昇平ちゃんが遺産をもらえたら、随分と生活も楽になりますよ。韓さんからの養育費だけじゃ、これからの教育費が足りないでしょう? 僕も順子さんを守りたい。 先生に裏切られて悲しむあなたをずっと見てきました。 先生は、順子さんに謝罪するべきです。 DNA鑑定が必要というのなら、その書類は僕が用意できます。 とにかく、昇平ちゃんが先生の忘れ形見だと、順子さんから先生に言ってみて下さい」
それって、犯罪じゃないの? 詐欺? うまくいく訳ないわ・・。
順子の心は、背徳の後ろめたさに震えた。
・・でも、私は、隆介を愛しても尽くしても突き放されてきた。
2度も捨てられて、これでもか・・って言うほど惨めだった。
謝罪してもらう権利くらいはある筈よ。・・・・
最後に順子を決意させたのは、今なお燃え残る隆介への愛憎だった。