第2章
石山悦子は、慢性腎不全のため透析が欠かせなかった。
週3日、一回4時間の治療のせいで、日常生活の自由裁量度が極端に落ちていた。
“主人も、もうすぐ逝く。何としても元気にならねば・・。”
焦りはつのる一方だった。
だが、ようやく“多少のリスクをおかしてでも、移植を考えよう”と決意を固め、間もなく医師と共に訪中する予定をとりつけるところまでこぎつけた。
中国のコ−ディネ−タ−からOKの連絡が入り次第、出発できるように、現在は入院して体調管理に万全を期している。
死刑囚が臓器提供者の大半を占めると知って、一瞬、たじろいだ悦子だったが、すぐに気を取り直して、臓器を買える時代の到来と自分の豊かな境遇に、心から感謝したのだった。
悦子の母は、父の死後、保険の外交員をしながら、悦子を短大まで進学させてくれたが、長く肝臓を患った挙句、若くして亡くなった。
お金と力がないがために治療の選択余地は限られ、最小限度のおざなりな治療のベルトコンベア−に乗せられたまま、帰らぬ人となった。
悦子は、前の夫と8年前に死別している。
中堅商社の社長であった前夫とは20歳も年が離れていた上、前妻との間に男の子もおり、それなりに苦労もしたが、夫が亡くなった時には、一生遊んで暮らせて、それでもお釣りのくる位の財産が残った。
それに、“退屈しのぎ”と称して、料亭・セレクトショップ・・と、興味のおもむくままに事業提案をすると、夫は、二つ返事で資金を出してくれた。
もともと、ハングリ−精神が旺盛で機転の利く悦子は、与えられたチャンスを大事に育て、開花させていった。
夫亡き後、実業界の親睦パ−ティで出合った隆介とは、すぐに意気投合した。
隆介は、大手商社を脱サラ後、衆議院議員の秘書を経て、市議会議員3期目。油が乗り切っている時期だった。
次のステップは県議会議員・・・と、一段高い目標が視野に入ってきた時、ふたりは入籍した。
悦子は、隆介の中に“貪欲さと孤独”という、自分と同じ匂いを嗅いでいた。
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香川順子は、石山隆介の秘書と名乗る中井の訪問に驚いていた。
隆介とは7年前に別れて以来、もう2度と会うこともないだろうと思っていたのに「一度だけでいいから、是非会って欲しい」と言ってきたからだ。
中井の説明で、事の成り行きの大筋は理解できたが、重い病気を患っているとはいえ、隆介に対しては、人生を翻弄されたという被害者意識が未だにくすぶっている。
隆介と2度出会い、2度捨てられた苦い記憶が、生々しく蘇ってくる。