破れたタンバリン2
「生まれたての朝日とォ、儚き日暮れとォ」
達三は調子っぱずれな古い歌を口ずさんだ。ここは昭和の時代に建てられた、おんぼろ民家にあるボランティアの活動拠点「こもれび」だ。
何年も前から彼はこのボランティアにお世話になっている。スタッフの春子とはすっかり顔なじみだ。
「達三さん、何かうれしいことでもあったの」
部屋のまん中にあるテーブルの脇で、茶を飲みながら歌う達三に春子は声をかけた。
「どうして分かった」と達三はすこし驚いてみせる。
「その歌が出るときはご機嫌な証拠だもの」
「氷室さんが今日、ここで息子に会うんだってよ」
「あら」
「帰れるってなぁ、いいもんだよな」
達三は茶碗をテーブルに置く。
「そう。うまくいくといいわねえ」
春子は顔をほころばせた。
噂が人を呼んだか、氷室が部屋に入ってきた。物憂げな表情を浮かべ、足取りもどこかぎこちない動きでテーブル脇の椅子に座る。
「氷室さん、お茶を飲む?」
春子が尋ねると、氷室はかすかにうなずいた。
春子は急須からコポコポと緑色の茶を注ぎ、そっと差し出す。
氷室は片手で受け取ると、黙って口にした。
「それで? いつ来るんだ」
達三がうきうきとした様子で問う。
「・・・・・・もうすぐ」
氷室は頭を抱え、塞ぎこんだ。
「恐いのかい」
「違う。・・・・・・何を話せば良いのか分からないんだ」
氷室は歪んだ笑みをみせた。
「大丈夫よ。きっとうまくいくわ」
春子は彼を諭すように言う。
「話せなかったら、無理に話さなくても良いじゃない。息子さんが来てくれるだけでありがたいことなんだから」
「迷惑かけた、すまねえって言やぁいいじゃねえか。ちっとも難しいこたぁねえ」
達三の言葉に、氷室はうつむいた。
ピンポーン、と玄関のインターホンが鳴った。
春子が様子を伺いに行き、そして背の高い若い男を連れて戻ってきた。
男は氷室を一瞥した。
「こちら太一さん。氷室さんの息子さん」
春子が皆に紹介する。
「こりゃ、どうも」と達三は軽く会釈した。
氷室は固まったままだ。息子を見ようともせず、視線を床のほうに彷徨わせた。
「わたしたち、外しましょうか」
春子が太一にそっと聞いた。
「いえ」
じっと、氷室を睨みつけたまま、強い調子で太一は答える。
二人は沈黙していた。
太一の椅子に座る音がやけに大きく響く。
どちらも先に話しかけようとする気配は無い。
達三が八杯目の茶を飲みかけたとき、太一は再び立ち上がった。
「クソ親父」
吐き捨てるように太一は呟いた。そして長い深呼吸をすると、告げた。
「帰るぞ・・・・・・一緒に」
氷室は顔を上げた。複雑な、しかしどこかさっぱりした表情の太一がそこにいた。
「・・・・・・ぶん殴ろうとも、どれだけ悪口を言ったって足りないとも思った。だけど親父が生きていてくれて、顔を見たらほっとした」
太一が笑う。
「良かったじゃねえか!」と、達三が大きな身振りで拍手した。春子もうれしそうだ。
「た」と、氷室は声を発した。震えている。
「太一」
息子の名をようやく口に出す。
そして、無言で頭を下げた。
振り返って挨拶し、共に去っていく氷室と太一を、春子と達三は笑顔で見送り部屋に戻ってきた。
「そういやぁ、春子さんの息子さんもあの位かな」
「そうねえ。もし、生きていたらね」
ふと寂しげな微笑を二人は交わした。春子は近年、息子を亡くしてからボランティアを始めたのだった。
「達三さんは、帰らないの」
「俺ぁもう身寄りはないさ。頼るところはここくらいだ」
達三は肩をすくめる。
「茶が飲めるのはありがてぇことだな。ごちそうさん」
手を合わせて春子に礼を言うと、達三は椅子から立ち上がった。カタカタと木枯らしに揺れる引き戸を開けて外に出てゆく。
調子外れの歌が、また、遠くから聞こえてきた。
※達三が歌っている「生まれたての朝日とォ、儚き日暮れとォ」という歌詞は創作したものです。
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