暗黒地球
砂霧藻人は学生時代からの夢を叶え、宇宙飛行士になった。
初めて宇宙から地球を眺めた時には、感動に打ち震えたものだった。
地球がこれほどに美しいのならば、それを外部から知覚しない事は人生の損失だろうと考え、藻人は、使命感を強くしたものだ。可能な限り多くの人に、この景色を見て貰いたい、と。
そんな彼は、今までに、地球の周囲を何回飛行したか知れない。
彼は、宇宙船からロープを括り付けて、船外活動の一環で、月とその薄い大気の構成を観察していた。
実際に月に降り立った時には、月面の希少な鉱物や砂を採取し、その科学的データを地球に送信する等も行っていた。
藻人は、宝石には、魔力が宿ると聞いた事がある。それが、月面にあるものなら、なおさらだと。
地球と月との間には、数万年に渡る、魔術的なつながり、縁とも言うべきものが醸成されていて、地球人にとって月とは、異なる世界であり、つかず離れず、地球と太陽と対話し続ける存在だ。月は、太古より崇敬の対象であった……、そんな話を、学生時代、一般教養科目のどれかで聞いた、気がする。
もっとも、藻人自身は、そんな迷信めいたものには興味はなかったが、仮に現科学知の範囲外のものがあったとしたら、それを最初に発見するのはこの俺だ! といった野心には溢れていた。
なので、宇宙船の中には、彼が採取物を密かに確保する(極小の)エリアが存在した。
そんな、わずかな精神的自由で自己を保っている藻人であったが、ある時、月の影のデータを採取しているまさにその時、異星人に捕まってしまった。そこで彼の運命は決まった。
・・・・・
異星人は、彼らの船内に藻人を連れていき、観察した。
藻人はパニックに陥っていたが、同時に解放感にも浸っていた。彼はかねてから耐えていたのだった。日頃の理不尽に。
宇宙開発局のエースとして、マスコミに取り上げられ、もてはやされた時期もあったが、その日常は地味で、常に誰かからの指示に基づく行動を強いられるものだった。
地球を出発する前の訓練は、どれほどキツくても苦しいものではなかったが、
明朝に〇〇省への書類を提出するから、今夜中に作成しろ! とか
〇〇大臣の答弁で、宇宙関係の言及があるから、その準備をしろ、とか
調査と検証の成果をいつまでに出せ、その成果はこっちに100%渡せ、とか。
宇宙開発は、人間の理知の結晶なのではなかったのか? なんで地上の人間たちの利権に左右されなくてはならないんだ? などという暗い思いが、心に渦巻いている。
嫌だ、俺はこんな事をしたくて宇宙飛行士になった訳ではないのだ、
ああ、もう、何でもいいから、この生活を終わらせてくれ! 地球人を滅ぼしてくれ! と。
囚われの身となった藻人は、精神的に追い詰められていたというべきか、もともとの合理的理由があって、そうしたというべきか。彼は、自身の持つすべての情報を、異星人に渡した。
異星人は、この得体の知れない生物が、身振り手振りを交えながら話しかけてくるのを見て、困惑していた。
だが、地球という星に、数多いる人間という生物の内の一体だ、という事は理解していた。
藻人が眉間に皺を寄せ、地球人の歴史の動画を見せながら、熱弁をふるっている。
ズキューン! とか、ドカーン! とか、あばばばば とか言っている。
どうやら地球の歴史と、自身の置かれた境遇について、快く思っていないらしい。
こいつの差し出す情報は、ある程度信用できるかも知れない。
そう考えた異星人は、藻人の挙動や言葉、電子デバイスについて、AIによる解析をかけつつ、藻人自身に対する興味は失って、話を聞く素振りはしつつも、そのまま放置した。
・・・・・
藻人から得た諸情報の中には、人間たちが話す主な言語や、コンピュータ上のアルゴリズムが存在した。
特にコンピュータ言語は、アセンブラから機械語に至った後は、末端の電子デバイスへの操作命令に関わる辺りで、解析に困難を要したが、異星人たちはそこを全て AI に任せ、自身は思考停止していられる為、余裕であった。
そうして地球の軍事的規模、地理的な特徴をある程度把握した異星人は、武力による制圧が可能だとの判断を得た。次に行ったのが、地球人の文明のありかたについての調査だ。
なるほど、血で血を洗う抗争を、もう数千年も続けているらしい。
途中で、自然知の黎明、無知の知の自覚、都市と個人の契約、理性的批評主義、産業機械的原理と個別主体群の団結、アウフヘーベン、エピステーメー、構造主義そして構造主義の否定、あるいは、欲動装置の自覚、無調性的実在、禅的な在り方への回帰、など華々しい哲学の潮流がありはしたが、結局は空回りの堂々巡りで、行動原理は他者への支配と、群れの形成、動物的殺戮そのものだ、という点では変わりが無いようだ。
数千年かけて何も進歩しない動物……。地球上にはレアメタル、原油、ガス、多くの希少鉱物が眠っていて、動植物はこんなにも美しく繁栄してきたというのに……。
この地球という美しい星のリソースを、こういう存在に食わせておくのは勿体ないな、という結論に達した異星人は、直ちに、地球人を駆除すべきだとの結論に達した。
そうして、異星人による地球への侵略が開始されたのだった。
・・・・・
地球人は手強かった。異星人が当初見積もっていた駆除期間は、およそ1年という所だった。
最初の半年で主要な都市は殲滅し、その後2~3か月で周縁都市を徹底的に破壊、最後の3か月で、人間と人間以外との境界に最大限配慮し、人間を駆除し尽くす、という行程だ。
が、地球人は、あらゆる所に存在し、陰に隠れながら、核弾頭を何十発、何百発も撃ってきた。地球上では撃ち所がないが、宇宙生物に対してという事であれば、誰に気兼ねせずとも、撃ちまくれるという論理らしい。
そのうち、地球の各国間での連携が乱れ始め、やれ誤爆しただの、やれ遺憾だなどと、侵略と責任のなすりつけあいを始めるが、それでも継戦能力には影響はないようだ。
異星人にとっては駆除、地球人にとっては戦闘の期間は、およそ3年に渡ったが、ついに終結する時がきた。
最後に、ほらよ、お前の望んだ通りだぞ、と藻人が宇宙船から解放された時、東京には、ただひたすら荒野が広がっていたのだった。
地球人は単体生殖は出来ない、という事を異星人は知っている。藻人を開放したのは、何の感興もなく、評価すべきリスクもなく、ただただ無機質な判断に基づくものに過ぎなかった。
異星人は、地球が美しい星として回復するまで、およそ5百年程かかるかな、と目算を付け、タイマーをセットする。5百年後に、またこの星に来よう。そうして地球を去った。
・・・・・
異星人は、星々を漂流して回る。
商売のタネになりそうなものを見付けては、他の星に商品として売りつけたり、自然保護としての価値が見いだせる星ならば、星一つをまるまる、環境保護区として保全すべきだとのレポートを作成し、公表する。
自称善人たちが構成する環境保護団体は、経済合理性を度外視して、各種企業や政府外郭団体から寄付を募り、その資金力は豊富だ。そういった団体には特に入念に、レポートを送付する。
政治的にも経済的にも、異星人は、うまくやっていた。
星々を食い物にするビジネスは高く売れる。これはやめられない、と。
そうして、いつしか、5百年という歳月が流れた。
システムが「5百年経過しました」とのアラームを鳴動させる。
ああ、もうそんなに時間が経ったのか、と異星人たち。あれは、太陽系内に存在する地球という星だったか。随分と酷い害獣が暴れまわって、手を焼いたものだ。
まあ、そろそろ、それなりに商品価値のある星に生まれ変わった頃かな? 行ってみるか。そのように彼らは考え、彼らの船を地球に向けた。
・・・・・
再び地球に降り立った異星人たち。人間はいないな、よしよし・・・ と考え、地上に佇み、周囲を監視する。人間は絶滅させたにせよ、他の生物たち全てを殲滅した訳ではないので、念のため、武装をして地球上を歩いていく。
「ア゛ーッ」
なにやら変な音が聞こえる。いや、声か?
異星人たちがそこに注意を向けるが、静かで、なにも異変は見えない。おかしいぞ……?
と考え身構えていたその時、空からそいつは降ってきた!
「ア゛ー ア゛ーッ!」
瞬時に肉片にされる異星人たち!
そこにあったのは、直立二足歩行をし、全身に毛皮を生やし、手に斧を握る生き物たちだった。そして皆例外なく、額や頬に鉱石のようなものが埋まって、光を反射している。
人間? いや、人間とは違う、何者か……。
彼らは、地球に残された生物たちが異常進化した者たちなのだった。
集団を組み、天から飛来した生きた異物を、手ぐすねを引いて待ち受けていた!
ぎゃあああ! 撃て撃て!
背後、いや、右…… 速過ぎるぞッ!?
異星人たちの悲鳴が辺りに響く。
たった数百年の間に異常進化した生物たちの強襲にあって、異星人たちは次々に倒され、今や全滅しそうになっている。
撤収! 撤収だ! なんだこの星は!
私たちの常識ではこんな異常進化はあり得ないはずだぞ!!
そう言いながら命からがら宇宙船に乗り込む異星人たち。
地球から発進して、先程の恐怖の記憶を反芻する。
あの星は、商売にならないな……
軍に通報して、今一度制圧を依頼するしかないか……
そういって一息ついた頃。
宇宙船内に怒号が鳴り響く。
「うああああ! 奴らだ! せ、船長! 奴らが船に、乗り込んでいた、ようですっ……!」
乗員たちが逃げ惑っている。
特に異常な個体が、高度な知性をもって、手下を率いて、宇宙船に乗り込んでいたのだった。震えあがる異星人たち。
そうして、地球生物たちは、異星人を支配下に置き、彼らの祖国たる星へ共に行く。
・・・・・
異星人たちは、地球を出立し襲撃を受けた際に、こっそりと救援信号を送っていた。
調査に向かった地球という星に、得体の知れない知的生物が存在し、我々は囚われの身となっている。祖国へ帰還の航路を取っている。数ヵ月後には祖国へ到着するので、迎撃と我々の救助を願いたい! と。
祖国では、ふん、野蛮な生物にとらえられた船? 馬鹿だな。検疫でガードされて、塵の一つもこの星の中に辿り着けないよ? などと楽観的に受け止められていた。
そして、船が異星人の祖星へ辿り着き、検疫コロニーへ到着したその時。
地球からやってきた知的生命体の集団が、コロニーに駐在する軍人や職員たちを、一瞬で惨殺したのだった! もちろん、船に乗っていた異星人についても同様だ、用済みとばかりに。
「ア゛ーッ」
異星人たちの船に搭載された AI が、数ヵ月の期間を経て、地球生物たちの言葉を解析していた。
どうやら彼らはこう言っているようだ。
「かつて天より侵略があったとの記憶がある」
「太古からの会話が、引き裂かれた」
「我らには怒りがある。……いや、怒りしかない」
「侵略者よ。寝ぼけるのはもうやめろ。俺たちの王は、俺たち自身だ!!」
地球生物たちは、火を自在に操り、建造物を焼き尽くす。
森や地下に隠れていても、まるで千里眼のように、鋭敏に察知し、異星人を探し出す。
どこへでも現れ、強風を発生させ異星人の防御を圧倒し、剃刀のように切り刻む。
それは原初の魔法とでも言うべきものであった。
そうして、異星人の祖星は、地球由来の不明生物たちの強襲にあい、軍の動員も虚しく、徹底的に蹂躙されていったのだった。
・・・・・
5百年前、藻人の最後はどうであったか。
異星人により解放され、東京の街を歩く。至る所に硝煙の匂いが立ち込め、殺戮の跡が残されている。
同胞たちの死体がうずたかく積まれている。
もはや何を考える事もできない。俺は何をしてしまったのか?
いや、世界が俺たちにしてきた事を思い出せ! 一切、同情の余地は無いではないか!
泣くべきか? いや、違う。断じて否だ! 笑え! この現実を獲得できたことに笑え!
……藻人の思考は、もう正常ではなくなっていた。
人間たちの死体に群がる無数の生物たち。
それを見て笑いが止まらない藻人。
その両目からは涙がとめどなく溢れている。口からは歯を食いしばりすぎたか、血が流れている。
ただ、その時、理性と狂気のはざまで、ふと思い出した事がある。
太古より地球と太陽と一体となってそこに存在し続ける、月。その魔力こそは、我々の科学知の範囲を超えて存在するものではなかったか?
俺の宇宙船は、…… どうせガラクタだ、利用価値なし、とでも判断されたか、俺と一緒に捨てられて、そこにある。
そうだ、月で採取した石と砂が、そこにあるはずだ。
暗号で厳重にロックされた、俺の秘密の小部屋。部屋とも言えない極小スペースだがな……。あった、あったぞ。
カチリ。良かった。無事に開けられた。
この俺が、オカルト頼みか……。ふん。どこまでも笑える。
そこにあるのは、妖しく光る鉱物たちだ。
古来より崇敬の対象とされ、神格化さえされた月を由来とするもの。地球と太陽とのはざまにあって、ゆられながら、ただただ魔力を蓄え続けた石と砂。
藻人は両手に、石と砂を持ち、天に掲げた。
月よ、月の魔力よ、最後に願う、俺たち地球の生命たちに力を分け与えてくれ!
我ら数億年、数十億年に渡る契りに、すまないが、頼らせてくれ!
そして、地球の生命たちよ! 俺の思考と無念を、お前たちに託す! お前たちは、この狂った俺の精神を引き継いで狂え!!
果てしなく! お前たちには無限の可能性があるはずだ!
地球には、人間が長く君臨しすぎた。
次は、お前たちの中から、王を出せ! 狂った王をだ! あはははは!!
許す! 俺は、俺たちは許すぞ、お前たちの繁栄を!!
それが藻人が最後に発した言葉だった。
真昼の太陽の光を反射する月の石と砂を口に含み、がりがりと噛み砕き、飲み込む。
藻人の体内に、鉱物が隅々までいきわたる。
やがて藻人が力尽きた時、その体を、地球の無数の生命たちが食らった。
それは藻人自身と、月を由来とする魔力とを、残された生命たちが血肉とし、受け継いだ瞬間だった。
<END>




