4、本当の私
「あの……旦那様。人形がこちらしかなかったのですが……」
人形を持っている侍女が申し訳なさそうに話す。彼女が手に持っているのは木彫りのクマだ。
誰かが手で掘ったのか……歪なところはあるけれど、温かみを感じる。モチーフは人形だろうか。本物の熊よりも可愛らしく、首あたりには宝石らしきものが埋め込まれている。
クマを見つめる公爵様の瞳も優しい。
「こちらは……あの子が作った木彫りのクマですか。旦那様のお役に立てるのであれば、あの子も喜ぶかと」
なんとこの木彫りのクマは、公爵様が援助している孤児院の子が作成したモノなのだという。
流石にそんなに大切な物は使えない……と伝えるが、公爵様は首を振った。
「確かに君のために作られたものではないかもしれない。だが、これを作った子は『誰かの役に立てば……!』と目を輝かせていた。今度君から伝えてあげるといい。木彫りのクマが役に立った、と」
クマを手に乗せられる。私は何度かクマと公爵様の顔を行き来したけれど、意を決してこの子を使わせてもらう事にした。私が首を縦に振れば、公爵様は目を細めて私を見つめる。側から見たら睨んでいるような視線ではあるけれど、私にはなんとなく温かさを感じられた。
木彫りのクマをテーブルの上へと置いた時――。
「ちょっと待ってくれ」
公爵様はハッと思い出したのか、私を止めてからヘンリーの持ってきた紙を机の上に乗せた。そして何かを唱える。幾何学模様の紙から魔力で作られた膜のようなものが周囲へと張り巡らされたような感じがする。
私は公爵様へと顔を向けた。
「これは盗聴を防ぐ魔法壁だ。今から君の行う事は、隠さないといけないだろう? 先程屋敷を全て確認させて、間者のような者はいなかったが……念には念をとも言うからな」
これが公爵領を継いだ者としての貫禄。
ホイートストン公爵とは大違い。見下している者と常に気を張っている者との違いかしら。あの方だったら、きっと何も考えずに流れのままだったろうから。
彼が頷いたので、私は首につけていた母の形見を外す。そして両手で形見を持ち、喉へと手を当ててから少しだけ私の魔力を込めると……。
「なっ!」
公爵様が驚きの声を上げた。正直、私も目を疑う。
私の喉にかかっていた魔法が母の形見の宝石に反応して浮き上がってきたのだ。その呪いはまるで鎖のような形をしていた。二本ある鎖は、ふたつの呪いを掛けられていた証拠だろう。
私は右手に浮かんでいる鎖を木彫りのクマへと触れさせる。すると、呪いはクマが対象だと判断したのか、静かに消えていく。
その儀式を終えても、誰一人口を開かない。公爵様も、ヘンリーも、私でさえもクマを見つめていた。
「終わったの……か……?」
公爵様が声を出した事で、ヘンリーも我に返ったらしい。二人は同時に私へと視線を送ってきた。きっと二人のことだ。私が呪いから解放されたのかどうか、を気にかけてくれているのだろう。
うん、喉が軽い。
声を出そうとして、変な突っかかりもない。
問題なく、呪いをクマに移せたのではないかしら。そう安堵したのと同時に、私の手の中にあった母の形見の宝石がパリン、と音を立てて割れた。まるで役目を果たしたかのように……。
私は割れた宝石をじっと見つめていた。
そう言えば、何故お母様はこの首飾りを渡したのかしら。
『絶対、取られてはだめよ? その時が来たら使いなさい』
お母様に物心ついた頃からそう言われ続けていたの。
無邪気だった私は尋ねたわ。『その時ってどんな時なの?』って。
『その時が来れば……分かるわ』って言っていたけれど、まさか本当にその時が来るとは思わなかったもの。
まさか、お母様はこの事を知っていた……?
でも、そんな事一言も言っていなかった気がするのだけれど……。
考えてみたけれども、堂々巡りになるだけだ。
むしろここは帝国でお母様の母国。ここでお母様の事について訊ねれば、分かるかもしれない。
そう思って私は公爵様とヘンリーに顔を向けたのだけれど……。
二人は私をじっと見つめている。ヘンリーは口を半開きにしたまま、まばたきすら忘れているようだ。
公爵様の視線は、信じられないものを見ているかように私の髪を追っている。
どうしたのかしら……と首を傾げると、自身の髪の毛が視界に入ってくる。その髪色は見慣れていたホイートストン公爵と同じブロンド……ではなかった。
母と同じ夜空を編んだような黒色――。
私は慌てて暖炉の上に飾られた鏡で自分の姿を確認する。
するとそこには、見惚れるほどの艶やかな黒色の髪を靡かせている少女。
深い夜の帳を閉じ込めたような美しさ――その色は私の母の髪と同じだった。




