15.炊きたてのご飯と、秘密の覗き込み
立川の朝は、ヨコタの金属質な静寂とは全く違う、生命の音と匂いで始まりました。
パチパチとはじける薪の音と、お米が炊き上がる甘い蒸気。そして、出汁と味噌が混ざり合う、どこか懐かしく温かい匂い。 ピコがゆっくりと目を開けると、すぐ目の前にフウカの大きな瞳がありました。
「あ、起きた! おはよう、ピコ!」
フウカは、ピコの顔を覗き込んだままニコニコと笑っています。その距離の近さに、ピコは心臓が跳ねるのを感じました。
「おはよう、フウカ。……どうしたの?」 「うふふ、なんだか昨日のことが夢なんじゃないかって気になっちゃって。確かめにきちゃった。ピコがちゃんといて、よかった!」
そう言ってはにかむフウカの横で、姉のミオが「朝から熱心ねぇ」と言いたげにニヤニヤしながら二人を眺めていました。
「いただきまーす!」の儀式
食卓に並んだのは、ツヤツヤに光る白いご飯と、ワカメとお豆腐のお味噌汁、そして少しの漬物。家族全員が手を合わせ、声を揃えました。
「「「いただきまーす!!」」」
突然の合唱にピコが目を丸くして固まっていると、胸元のチェンが静かに解説を始めました。
『ピコ、これは日本の古い習慣です。「私はあなたの命をいただきます」という、食材への感謝を込めた祈りの言葉です。あなたも真似してみてください。』
ピコはチェンに教わった通り、不器用ながらに手を合わせ、「I-TA-DA-KI-MA-SU」と口にしました。 その瞬間、スイさんが嬉しそうに目を細め、フウカが自分のことのように誇らしげに笑いました。
土の匂いと、失われた「ロボット」の話
食後、ピコはフウカとミオに連れられて、風車のふもとにある畑へ向かいました。 今日の仕事は「雑草抜き」。ピコにとっては、人生で初めての「土に触れる仕事」です。
「こうやって、根っこからグイって抜くんだよ」
フウカに教わりながら、ピコはおずおずと地面に指を入れました。 ひんやりとしていて、湿っていて、鼻をつくような濃い土の匂い。ヨコタの基地の清潔な廊下には、決してなかった匂いでした。
「……ピコ君、もしかして畑仕事ってしたことないの?」 「うん。ヨコタでは……いつもはロボットがやってくれるんだ」
「ロボット?」
フウカが不思議そうに首をかしげました。その言葉に、近くでクワを振るっていたスイさんとゲンさんも手を止めました。
「ロボット……? まるで何百年も前の昔話みたいね」 スイさんが驚いたように呟きます。
「まだ動いているものが残っていたなんてな。さすがは『誰も近寄らない青い光の村』だ。俺たちの先祖の間じゃ、あそこは呪われた場所だって言われていたくらいだが……そんなハイカラなものがまだ生きていたのか」
ゲンの言葉に、ピコは少しだけ寂しそうな顔をしました。 ヨコタにあるのは、テラじいちゃんが必死にメンテナンスしている古い自動農機具。けれどそこには、今ピコの爪の間に入り込んでいるような「生きた土」の感触はありませんでした。
混ざり合う時間
「でも、ピコの手、もう真っ黒だよ! ほら、私とお揃い!」
フウカが自分の泥だらけの手をピコに見せて笑いました。 ピコは、自分の手が汚れていることが、なぜだかとても誇らしく感じられました。
「It's... earthy.(土の匂いがするね。)」 「ピコ、何て言ったの?」 「ええと……チェン、訳して」
『「命の匂いがする」と言っています、フウカ。』
チェンの粋な翻訳に、フウカは一瞬ポカンとした後、「ピコって、ときどき詩人さんみたい!」と楽しそうに笑い、また泥を跳ねさせながら雑草を抜き始めました。




