第7章:忍び寄る影と、途絶えた小麦
その異変は、翌朝すぐに起こった。
いつものように夜明け前に起床し、仕込みに入ろうとした僕は、小麦粉の袋が空になっていることに気づいた。
「あれ? 今日はおかわり(追加発注分)が届くはずだよね?」
僕は首を傾げた。
いつもなら、この時間には村の雑貨屋であるハンスさんが、荷車いっぱいの小麦粉を裏口に届けてくれているはずなのだ。
「おいタクミ! ハンスの野郎が来ねえぞ! パンが焼けねえじゃないか!」
ゴルドが血相を変えて厨房に入ってきた。
嫌な予感がした。僕はエプロンのまま、裏口を飛び出した。
雑貨屋へ向かう途中、向こうから荷車を引かずに歩いてくるハンスさんの姿が見えた。彼は僕の姿を認めると、バツが悪そうに視線を逸らした。
「ハンスさん! 小麦粉はどうしたんですか? 待ってたんですよ」
「……すまない、タクミさん。もう、あんたには売れないんだ」
ハンスさんは蚊の鳴くような声で言った。
「売れない? 代金なら倍払ってもいい。あのパンは今や村の活力源なんですよ」
「金の問題じゃないんだ!」
ハンスさんが悲痛な叫びを上げた。
「今朝、王都の『パンギルド』から通達が来たんだよ。『邪道なパンを焼く店に卸すなら、今後一切、商会との取引を停止する』ってな……」
パンギルド。やはり彼らか。
「この村への塩や油の流通まで止めると脅されたら、俺にはどうしようもねえ。……本当にすまない」
ハンスさんは深々と頭を下げ、逃げるように去っていった。
立ち尽くす僕の背後で、事情を聞いていたゴルドが壁を蹴り飛ばした。
「ふざけやがって! あの野郎ども、美味いパンが作れないからって、卑怯な真似しやがる!」
「……タクミさん、どうしよう。パン、焼けなくなっちゃうの?」
ニーナが泣きそうな顔で僕を見上げる。
倉庫に残っている小麦粉は、あと一日分も焼けば尽きてしまう。
兵糧攻めだ。
彼らは、僕の技術ではなく、素材を断つことで店を潰しに来た。
僕は怒りで震える拳を握りしめ、そして――深呼吸をした。
「大丈夫だよ、ニーナちゃん」
「え?」
「小麦粉が買えないなら、作ればいい」
「つ、作るって……小麦を? 今から育てても間に合わないよ!」
「育てるんじゃない。……あるんだよ、心当たりが」
僕は村の南側に広がる、荒れ地の方角を見た。
以前、森へ行く途中で見かけたのだ。
手入れされず、雑草が生い茂る耕作放棄地。だが、僕のスキル【魔酵母】の視界には、その雑草の中に混じって、力強く輝く「黄金色のオーラ」が見えていた。
「ギルドが管理している流通ルートの小麦がダメなら、彼らが『価値がない』と捨て置いている麦を使えばいい。……行こう、ゴルドさん。農家のじいさんに話を聞きに行くぞ」
逆境こそ、パン職人の腕の見せ所だ。
ギルドの連中は知らないだろう。管理された綺麗な小麦よりも、野生に近い荒々しい小麦の方が、とてつもなく香り高いパンになることを。
僕たちは、村外れに住む偏屈な老農夫のもとへと走り出した。




