第28章:操られた王と、目覚めの香り
「陛下! その男はあなたを騙しています! 菌は敵じゃない!」
僕が叫んでも、玉座に座るドワーフ王・マグニは反応しない。目は濁り、口からはよだれを垂らしている。
「無駄だよ。陛下の脳内には、ボクの可愛い『操りキノコ』の菌糸がびっしり張り巡らされているからね」
側近の男がクスクスと笑った。
男はフードを脱いだ。頭には奇妙な斑点のあるキノコの帽子を被っている。
「ボクは『菌使い』アスペル。マイコの兄さ。……さあ陛下、その汚らわしいパン屋を排除してください」
アスペルが指を鳴らすと、王がうなり声を上げて立ち上がった。
手には巨大な戦斧。
「ウゥ……コロ……ス……!」
ドワーフ王の剛力が炸裂する。床の大理石が砕け散り、破片が飛んでくる。
「くっ、速い!」
シルヴァンが矢を放つが、王の鎧に弾かれる。王を傷つけるわけにはいかないから、本気で攻撃できない。
「どうするタクミ! このままじゃジリ貧だぞ!」
「わかってる! 王様の鼻を目覚めさせるんだ!」
僕は抱えていたビアブレッドを半分に引き裂いた。
湯気と共に、強烈なビールとチーズの香りが広がる。だが、広い王宮内では拡散してしまう。
「シルヴァン! 風魔法でこの匂いを王様の顔面に集中させてくれ!」
「なるほど、嗅覚への一点突破か!」
シルヴァンが呪文を唱える。風の渦が生まれ、パンの香りを巻き込んで王へと突進する。
「【魔酵母】――アロマ・バースト!!」
僕はさらに魔力を込め、香りの成分を百倍に増幅させた。
ドワーフにとって、それは魂を揺さぶる「故郷の匂い」であり、「生きる喜びの匂い」だ。
――ズォォォォン!!
香りの塊が王の顔面を直撃した。
王の動きがピタリと止まる。
「……む……?」
王の鼻がヒクヒクと動いた。
「……この匂いは……黒ビール……それに、熟成チーズ……?」
王の瞳から、濁った光が消えていく。
脳内で暴れていたキノコの菌糸が、王の強烈な「食欲」という本能の前に萎縮し始めたのだ。
「陛下! これを!」
僕は隙を見て走り込み、王の口元へパンを押し込んだ。
王は無意識にそれを噛みちぎった。
モグ、モグ……。
「……美味い!!」
王が叫んだ。その声は雷のように広間に響き渡った。
「なんだこの芳醇な味は! ワシは……ワシはこんな美味いものを禁じていたのか!?」
王の目から涙が噴き出し、同時に耳や鼻の穴から、干からびたキノコがポロポロと落ちてきた。洗脳が解けたのだ。
「なっ、バカな!? ボクの菌糸が……食欲ごときに負けるなんて!」
アスペルが狼狽する。
正気を取り戻した王は、鬼のような形相でアスペルを睨みつけた。
「貴様……よくもワシの国で、酒とパンを奪ってくれたなァ!!」
ドワーフ王の怒りの鉄拳が、アスペルを吹き飛ばした。
「ぐはぁっ!?」
アスペルは壁に激突し、煙のように消え失せた。
「お、覚えてろよ! 次はこうはいかないからな!」
捨て台詞を残し、気配が消える。
王宮に静寂が戻った。
王は、食べかけのパンを愛おしそうに見つめ、そして僕たちに向き直った。
「……礼を言う、人間よ。危うく国を滅ぼすところであった」
こうして、ドワーフの国に再び「発酵の灯」が戻ったのだった。




