第22章:腐りゆく砦と、決死の脱出
「遊ぼうよ!」
マイコが無邪気に手を振ると、倉庫内の黒カビが一斉に膨れ上がり、鞭のような触手となって襲いかかってきた。
「うわっ!?」
僕はとっさに近くにあった空樽を盾にした。
バヂュッ!
触手が触れた瞬間、頑丈な木の樽が音を立てて腐り落ち、灰のように崩れ去った。
「なんて分解能力だ……!」
有機物なら何でも一瞬で腐らせるのか。もし肌に触れたら即死だ。
「どうしたの? 逃げてばかりじゃつまらないよ。キミのその美味しそうな酵母も、ボクのカビのエサにしてあげる!」
マイコの周囲から、赤黒い胞子の霧が噴き出す。
霧は生き物のように広がり、出口を塞ごうとする。
「タクミさん!」
ニーナが悲鳴を上げる。
このままでは包囲される。小麦粉も全滅した今、戦う武器(パン生地)もない。
――いや、ある。
僕は腰に下げていた水袋――高濃度の蒸留酒が入っている――を握りしめた。
そして、【魔酵母】たちに呼びかける。
「みんな、最後の力を貸してくれ! 限界まで呼吸だ!」
僕は水袋を空中に放り投げ、ニーナが持っていた松明をそこへ投げ込んだ。
「【魔酵母】――アルコール・バースト!!」
酵母たちが酒の揮発を一気に促進させる。
ボォォォォォンッ!!
青白い炎の爆発が倉庫内を埋め尽くした。
熱消毒だ。カビは熱に弱い。
「熱っ!? なにすんのさ!」
マイコが顔を覆って怯む。黒い霧が一瞬だけ晴れた。
「今だ、走れ!」
僕はニーナの手を引き、倉庫を飛び出した。
外では異変に気づいたガレス将軍と兵士たちが集まっていた。
「何事だパン屋! 倉庫が燃えているぞ!」
「説明している暇はありません! 砦を捨てて逃げてください!」
「何を言う! 敵前逃亡など……」
「敵は人間じゃない! このままだと全員腐って死にますよ!」
その言葉を証明するように、倉庫の窓から溢れ出した黒い煙が、近くの監視塔を飲み込んだ。石造りの塔が、まるで砂糖細工のように脆く崩れ落ちていく。
「な……なんだあれは……」
将軍も言葉を失った。
「……総員、撤退だ! 南門から脱出せよ!」
***
命からがら砦を脱出した僕たちは、南の森の中で息を整えていた。
砦の方は、黒いドームのような霧に完全に覆われてしまっている。あそこはもう、死の領域だ。
「負けた……」
僕は地面を叩いた。
パンを作る場所も、材料も、守るべき場所も奪われた。
僕の【白金酵母】でも、あの黒カビの圧倒的な量と悪意には勝てなかった。
「……諦めないで、タクミさん」
ニーナが僕の肩に手を置いた。その手には、奇跡的に持ち出せた一掴みの『古代小麦の種籾』が握られていた。
「まだ、種はあるよ」
その時、森の奥から声がした。
「そのカビに対抗するには、今のままでは無理だ」
現れたのは、エルフのシルヴァンだった。
「奴らの菌は『魔界』のもの。対抗するには、この地上の生命力を凝縮した『聖なる麦』の力が必要だ」
「聖なる麦?」
「伝説にある『太陽の穂』。世界のどこかに眠るその麦を使えば、あらゆる邪気を払う究極のパン――『聖パン』が焼けるという」
究極のパン。
それは単なる食料ではなく、世界を浄化する希望。
「探しましょう、タクミさん! その麦を見つけて、あいつをやっつけて、また美味しいパンを焼こうよ!」
ニーナの笑顔に、消えかけていた僕の職人魂に再び火が灯った。
「ああ……そうだね。パン屋はへこたれない。世界中を発酵させてでも、必ず見つけてみせる」
砦での敗北は、新たな冒険の始まりだった。
目指すは伝説の『太陽の穂』。
こうして物語は、**【第3部:世界を救う麦を求めて】**へと進んでいくのだった。
(第2部 完)




