第21章:黒い倉庫と、死を呼ぶ胞子
翌朝、厨房に入ったニーナの悲鳴で、僕は飛び起きた。
「タクミさん! 大変! 小麦粉が……!」
慌てて倉庫へ駆けつけると、そこには信じられない光景が広がっていた。
昨日まで積み上げられていた小麦粉の麻袋が、全てどす黒く変色している。袋からは黒い粉が漏れ出し、鼻を刺すような強烈な腐臭が充満していた。
「なんだこれは……カビか?」
僕は手で口を覆いながら近づいた。
【魔酵母】のスキルを発動し、視界を切り替える。
ぞっとした。
そこには、無数の赤黒い粒子が蠢いていた。それらは小麦粉の栄養を貪り尽くすだけでなく、空気中の水分すら吸収し、爆発的な速度で増殖を続けている。
「くそっ、昨日の夜までは何ともなかったのに!」
たった一晩で、砦の備蓄食料の半分がダメになったことになる。
さらに最悪なことが起きた。
「うぐぁっ……!」
倉庫の見張りをしていた兵士が、突然苦しみだして倒れたのだ。
「おい、しっかりしろ!」
駆け寄ると、兵士の顔には黒い斑点が浮かび上がり、高熱でうなされている。
『コイツハ、エサダ!』『モット、クワセロ!』
兵士の体内で、あの赤黒い菌たちが嘲笑う声が聞こえた。
「人間に感染するのか……!」
これは食中毒なんてレベルじゃない。生物兵器だ。
「皆、離れろ! この胞子を吸い込むな!」
僕は叫んだ。
だが、このままでは砦中の人間が感染し、全滅してしまう。
「タクミさん、どうしよう!? 治せるの!?」
ニーナが泣きそうな顔で聞く。
僕は歯を食いしばった。
僕の【魔酵母】は、基本的に「発酵」を促す力だ。殺菌や治療は専門外……いや、待てよ。
菌には菌をぶつける。
『拮抗作用』だ。
強力な善玉菌を送り込み、生存競争で悪玉菌を駆逐させる。これしかない。
「ニーナちゃん、僕の荷物から『白金酵母』の瓶と、あと酒場で一番強い蒸留酒を持ってきてくれ!」
「わかった!」
僕は倒れた兵士の胸に手を当てた。
「頼むぞ、みんな。あいつらを追い出してくれ!」
僕の魔力と共に、光り輝く【白金酵母】たちを兵士の体内へ送り込む。
ミクロの世界での戦争が始まった。
赤黒い『魔カビ』に対し、黄金色の『白金酵母』が突撃する。
『ヤッチマエ!』『ココハ、ボクラノ、ナワバリダ!』
酵母たちはアルコールと炭酸ガスを武器に、カビたちを包囲し、分解していく。
兵士の顔から、少しずつ黒い斑点が消えていく。
「はぁ……はぁ……」
数十分後、兵士の呼吸は落ち着いた。
なんとか一人は救えた。だが、倉庫の小麦粉は全滅。そして砦内にはまだ見えない胞子が漂っているかもしれない。
その時、倉庫の入り口に、フードを深く被った小柄な人影が現れた。
「へぇ……ボクの『死の黒カビ』を浄化するなんて。面白い人間もいるもんだね」
子供のような、しかし冷酷な響きを持つ声。
「誰だ!」
振り返ると、その人物はニヤリと笑った。フードの下から覗く瞳は、カビと同じ赤黒い色をしていた。
「ボクは『腐敗の王』の配下、菌使いのマイコ。……ねえパン屋さん、どっちの菌が強いか、ボクと遊ぼうよ?」
ついに姿を現した黒幕。
最強のパン屋と、最凶の菌使いの戦いが、幕を開けようとしていた。




