第19章:勝利の美酒と、腐敗の予兆
敵軍の撤退を確認すると、砦中が歓喜に包まれた。
「やったぞ! 守り切った!」
「あのパン屋、すげえぞ! オークをパン詰めにしちまった!」
兵士たちが僕とニーナを取り囲み、胴上げが始まりそうな勢いだ。
「……フン」
ガレス将軍が人垣を割って歩いてきた。
彼は僕の前で立ち止まり、じっと顔を見つめた後、不器用に口を開いた。
「……礼を言う。貴様の機転がなければ、門は破られていただろう」
「兵士たちが頑張ったからですよ」
「謙遜するな。……前言を撤回する。貴様はただのパン屋ではない。『戦うパン屋』として、この砦への滞在を許可しよう」
将軍なりの最大のデレだ。
「さあ、勝利の宴だ! 倉庫の酒を開けろ! そしてパン屋、貴様の『本気のパン』とやらを食わせてみろ!」
その夜、砦の広場では盛大な宴会が開かれた。
僕は約束通り、腕によりをかけてパンを焼いた。
肉汁溢れるソーセージを挟んだ『ホットドッグ』。チーズをたっぷり練り込んだ『チーズフランス』。そして、疲れた体に染み渡る甘い『シナモンロール』。
兵士も、将軍も、みんな子供のような笑顔でパンを頬張っている。
「やっぱり、パンは人を幸せにするためにあるんだな」
ニーナが嬉しそうに呟く。
僕も同じ気持ちだった。平和な光景だ。
――しかし。
ふと、僕のスキル【魔酵母】が、奇妙な反応を捉えた。
『キモチワルイ……』『コワイ……』『ニゲロ……』
周囲を漂う僕の酵母たちが、何かに怯えている。
風に乗って、北の戦場跡――敵が撤退した方角から、異質な「気配」が流れてきていた。
「なんだ、これ?」
僕は宴の輪を抜け出し、城壁の上へと向かった。
夜風に混じって、微かに漂ってくる匂い。
それは、小麦の香りでも、森の香りでもない。
カビ臭いような、酸っぱいような、不快な腐敗臭。
目を凝らすと、闇の向こうで、赤黒い光の粒が揺らめいているのが見えた。
「あれは……菌?」
だが、僕が知っている友好的な酵母や乳酸菌とは違う。攻撃的で、周囲の生命力を貪るような邪悪な波長。
「まさか……敵軍にも、菌を操る者がいるのか?」
今日の撤退は、ただの力負けではないかもしれない。
あの不気味な赤黒い光が、次の戦いでは牙を剥いて襲いかかってくる予感がした。
宴の陽気な笑い声の裏で、僕は背筋に冷たいものが走るのを感じていた。




