第1章:石のようなパンと、最初の一歩
むっとするような藁の匂いで目が覚めた。
体を起こすと、そこは薄暗い小屋の中だった。隙間風が吹き込む木造のボロ家。窓の外からは、鶏の鳴き声と、何やら中世ヨーロッパ風の活気が聞こえてくる。
「本当に、転生したのか……」
自分の手を見る。少し若返っているが、職人として鍛えた節くれだった指はそのままだ。
ふと、枕元に置かれていた皿に目が止まった。
そこには、黒くて平べったい、何かの塊が置かれている。
「……なんだこれ? レンガ?」
手に取ってみる。ずしりと重い。
匂いを嗅ぐ。微かに酸っぱいような、焦げたような匂い。そして、わずかに小麦の香り。
「まさか、パンか?」
試しに端をかじってみる。
ガリッ。
歯が折れるかと思った。口の中に広がるのは、粉っぽさと雑味、そしてボソボソとした食感。発酵の気配は微塵もない。ただ小麦粉と水を練って、熱した石の上で焼いただけのものだ。
「……ひどい。これをパンと呼ぶなんて、小麦に対する冒涜だ」
パン職人としての魂が、静かに、しかし激しく燃え上がった。
その時、視界に不思議な文字が浮かんだ。
【スキル『魔酵母』が発動しました】
文字が消えると、世界が変わった。
空気中を漂う、無数の小さな光の粒が見える。
青い光、赤い光、黄色い光。それらはキラキラと舞いながら、僕の周りを漂っている。
「これが……菌? 酵母なのか?」
僕は窓を開け、深呼吸をした。
森の近く特有の湿った空気。そこには、果実のような甘い香りをまとった黄色い光の粒――天然酵母の原石たちが溢れていた。
「おい、お前たち」
僕は手のひらを差し出し、光の粒に話しかけた。
「お腹、空いてないか?」
光の粒たちが、わっと僕の手に集まってくる。言葉が通じている感覚がある。
僕は小屋の隅にあった小麦粉の袋(品質は悪いが、全粒粉のようだ)と、水瓶の水を確認した。
砂糖はない。塩は……粗悪だが少しある。
十分だ。
「よし。まずは種起こしからだ。異世界の人間たちに教えてやるよ。パンっていうのは、もっと優しくて、温かくて、幸せな食べ物なんだってことを」
僕は袖をまくり上げた。
小屋の外では、腹を空かせたような少女の声が聞こえていた。
これが、後に伝説となる「異世界パン屋」の、最初の一日だった。




