第16章:鉄壁の砦と、湯気の立つ炊き出し
数日の強行軍の末、僕たちは北の国境砦『鉄壁のガルド』に到着した。
高い城壁に囲まれたその場所は、外から見れば堅牢な要塞だった。だが、重い鉄扉が開かれ、中に入った僕たちが目にしたのは、地獄のような光景だった。
兵士たちが、回廊や広場の隅で力なく座り込んでいる。
鎧は泥まみれで、多くの者が頬がこけ、目は虚ろだ。負傷兵の手当ても十分にされていないのか、あちこちから苦しげな呻き声が聞こえる。
「……ひどい」
ニーナが口元を押さえる。
空気も澱んでいる。血と汗、そして排泄物の臭いが混じった悪臭。そして何より、「絶望」という名の重い空気が漂っていた。
「おい、補給部隊か……?」
一人の兵士がよろよろと近づいてきた。
「食い物は……あるのか?」
「ありますよ。今すぐ用意します」
僕は馬車を広場の中央に止めた。
悠長に準備をしている暇はない。即効性のあるエネルギーが必要だ。
「ニーナちゃん、薪だ! 窯を温めるぞ!」
僕は荷台に飛び乗り、あらかじめ仕込んでおいた生地を取り出した。
移動中の揺れを利用して発酵させておいた『高加水フォカッチャ』の生地だ。水分を極限まで含ませてあるため、喉が渇いている兵士でも食べやすい。
さらに、トッピングとして岩塩と、ローズマリーの代わりに、道中で採取した『薬草』を刻んで散らす。
「さあ、焼けろ!」
熱した石窯へ生地を投入する。
数分後。
じゅわぁ……!
オリーブオイルの焦げる音と共に、爽やかな薬草と小麦の香りが、澱んだ砦の空気を切り裂くように広がった。
「な、なんだこの匂いは?」
「いい匂いだ……夢か?」
死んだように眠っていた兵士たちが、一人、また一人と顔を上げる。
匂いの元へ、ゾンビのように人が集まり始めた。
「お待たせしました! 焼き立ての『回復フォカッチャ』だよ!」
僕とニーナは、焼き上がった巨大な平焼きパンを切り分け、兵士たちに配り始めた。
「熱いから気をつけて……」
注意する間もなく、兵士の一人がパンに貪りついた。
「ッ!!」
兵士の目が見開かれる。
「や、柔らかい……! 噛まなくてもいいくらいだ!」
「塩味が……身体に染みる……」
あちこちですすり泣く声が聞こえ始めた。
堅い保存食しか知らなかった彼らにとって、湯気の立つ柔らかいパンは、母の温もりにも似た救いだったのだろう。
さらに、混ぜ込んだ薬草の効果と、【白金酵母】の滋養強壮作用が、彼らの体に急速に活力を与えていく。
顔色が良くなり、虚ろだった目に光が戻る。
「うめえ……うめえよぉ……」
「生き返る……」
その光景を、城壁の上から見下ろす影があった。
銀色の鎧に身を包んだ、鋭い眼光の男。この砦の司令官、ガレス将軍だ。
「……パン屋風情が。戦場を炊き出し会場と勘違いしているのか」
将軍は不愉快そうに舌打ちをした。
「兵士に必要なのは一時の満腹感ではない。敵を殺す闘争心だ。あのような軟弱なものを食わせては、士気が緩むわ」
パンによる回復劇を認めようとしない頑固な将軍。
彼との対立は、避けては通れないようだった。




