第10章:白き封蝋と、決闘の報せ
その日の午後、村の空気は一変した。
砂煙を上げてやってきたのは、ベルン商会長のような商人の馬車ではない。
王家の紋章に似た、しかし中心に「麦の穂と盾」が描かれた紋章を掲げた、重厚な黒塗りの馬車だった。
パンギルド本部の使者だ。
宿屋の前に馬車が止まると、御者がうやうやしく扉を開けた。降りてきたのは、片眼鏡をかけた神経質そうな男。彼はまるで汚いものを踏むかのように爪先立ちで地面に降りると、巻物を広げた。
「パン職人、ムギクラ・タクミはいるか!」
よく通る高い声が響く。村人たちが遠巻きに見守る中、僕は小麦粉で汚れた手を拭きながら前に出た。
「僕ですが」
「私は王都パンギルド本部、法務官のセバスチャンである。貴殿に対し、ギルドマスターより直々の通達を持参した」
男は僕を見下ろし、芝居がかった口調で宣言した。
「貴殿は、ギルドの認可なき小麦を使用し、かつ『発酵』なる怪しげな術を用いて、市民に健康被害をもたらす恐れのあるパンを販売している。これは重篤な規約違反である!」
「健康被害? 誰も腹なんて壊してませんよ。むしろみんな元気になってる」
僕が反論すると、セバスチャンは鼻で笑った。
「民草の味覚など当てにならん。よって、公の場でその実力を査定する。――これは『パン聖別決闘』の挑戦状だ!」
ざわり、と村人たちがどよめいた。
「一週間後、この村の広場にて、ギルドが誇る筆頭パン職人、ジャン=リュックとパン作りで勝負せよ。テーマは『至高の食パン』」
ジャン=リュック。その名は聞いたことがあった。王都で「黄金の手」と呼ばれ、王族の朝食を一手に引き受ける天才職人だ。
「条件は以下の通りだ。貴殿が負ければ、今後一切のパン作りを禁じ、その腕を切り落とす……というのは野蛮ゆえ、その『酵母』なる秘術をギルドに全て譲渡し、村から追放とする」
「なっ……ふざけんな!」
ゴルドが怒鳴り声を上げるが、セバスチャンは無視して続けた。
「逆に貴殿が勝てば、ギルドは貴殿に対し『マイスター』の称号を与え、あらゆる営業妨害を停止し、自由な商売を保証しよう」
究極の二択だ。
勝てば自由。負ければ全てを失う。
「逃げることも可能だが……その場合、この村への物資供給がどうなるか、わかっているね?」
卑怯な脅しだ。だが、僕の答えは決まっていた。
「受けますよ」
僕は男の目を真っ直ぐに見据えた。
「ただし、僕が勝ったらもう一つ条件を追加してください。ギルドの職人たちにも、僕のパン作りを公開し、学ばせること。美味しいパンを独り占めするのは、職人の流儀じゃないんでね」
セバスチャンは呆気にとられた顔をしたが、すぐに冷ややかな笑みを浮かべた。
「……愚か者が。ジャン=リュックの作るパンは『白き宝石』と呼ばれる芸術品。泥のような古代麦を使う貴様に勝ち目など万に一つもないわ」
挑戦状が叩きつけられた。
決戦は一週間後。
相手は王都最強の職人。そしてお題は、ごまかしの効かない「食パン」。
ギルドの考える「至高の白」に対し、僕と【魔酵母】がどう挑むか。
負けられない戦いが始まった。




