第9章:茶色いパンと、招かれざる客
麦じいから譲り受けた古代小麦は、想像以上に手強かった。
まず、殻が硬い。村の共用水車小屋を借りて石臼で挽いたが、真っ白な粉にはならず、外皮が多く混ざった茶色い粉――全粒粉になった。
さらに、グルテンが弱いため、いつものように捏ねても生地が繋がりにくい。
「でも、香りは抜群だ」
僕は焼き上がったパンを見て頷いた。
今回焼いたのは、バゲットではない。丸くて大きな田舎風パン、『カンパーニュ』だ。
全粒粉の香ばしさと栄養価を生かし、水分を多めにして長時間発酵させることで、グルテンの弱さをカバーした。さらに、【白金酵母】の力で生地を持ち上げている。
表面は濃い茶色で、十字のクープがざっくりと開いている。見た目は武骨だが、その存在感は圧倒的だ。
「お待たせしました! 本日のパンは新作、『大地のカンパーニュ』です!」
開店と同時に、待っていた村人たちがどっと押し寄せた。
「なんだこの色? 黒パンに戻ったのか?」
「いや、匂いが全然違うぞ! 木の実みたいな良い匂いだ!」
スライスして渡すと、村人たちはその複雑で濃厚な味わいに驚嘆の声を上げた。白いパンのような軽さはないが、噛みしめるほどに滋味深い。腹持ちも良いはずだ。
その賑わいの中、列に並ばず、遠巻きに店を観察している二人組の男がいた。
目立たないように地味な旅装束をまとっているが、その鋭い眼光は一般客のものではない。
「……おい、報告と違うぞ」
男の一人が低く呟くのを、僕の【魔酵母】越しの聴覚(菌たちが音を伝えてくれることがあるのだ)が捉えた。
「小麦の供給を止めたはずだ。なのに、なぜパンが焼けている?」
「しかも、あのパン……ギルドの精製粉よりも質が良いように見える。香りがここまで届いてきやがる」
彼らはギルドの偵察員だ。
僕が干上がって店を畳むのを確認しに来たのだろうが、逆に繁盛している様子を見て動揺している。
男の一人が、意を決したように列に割り込んだ。
「おい、店主! そのパンを一つよこせ」
「並んでください」
ゴルドが立ちはだかるが、男は銀貨を放り投げた。
「釣りはいらん。……ふん、どうせ家畜の飼料用の麦でも使ってるんだろ?」
わざと大きな声で挑発する。周りの客が不安そうにざわめいた。
なるほど、風評被害を狙う作戦か。
僕は厨房から出て、男の目の前に焼きたてのカンパーニュを突きつけた。
「飼料用かどうか、あなたの舌で確かめてみればいい。……プロのパン職人なら、味の違いはわかるでしょう?」
男の顔色が変わる。僕が彼らの正体に気づいていると悟ったのだ。
引くに引けなくなった男は、パンを乱暴に千切り、口に放り込んだ。
――そして、絶句した。
全粒粉特有の穀物の甘み。酸味と旨味のバランス。何より、ギルドの管理する粉では決して出せない、野生味あふれる生命力の味。
「こ、これは……」
男の手が震える。
「スペルト麦……いや、もっと古い品種か? それをここまでふっくらと……馬鹿な、どんな技術を使えば……」
「美味いか、不味いか。どっちですか?」
僕が尋ねると、男は悔しそうに顔を歪め、しかしパンを吐き出すことはできず、ゴクリと飲み込んだ。
「……商会長に報告する。お前は、ただの野良パン屋ではないとな」
男たちは逃げるように去っていった。
その背中を見送りながら、僕は確信した。
これで完全に目を付けられた。
次は単なる嫌がらせでは済まないだろう。
「上等だ」
僕はエプロンの紐を締め直した。
美味しいパンの前では、どんな陰謀も無力だということを証明してやる。




