第9話 断罪の前夜
「処刑だ!明日の正午、広場で公開処刑にしてやる!」
王の執務室に、クラヴィス王のヒステリックな叫び声が響いた。先日の魔獣騒ぎで、王室近衛騎士団は威信を失墜した。対照的に、民衆はヴィルトゥス伯爵を英雄と讃え、彼に武器を提供したヴァレット商会への同情論が高まっている。王のプライドはずたずただ。こうなれば、無理やりにでもシリルを断罪し、恐怖で民を黙らせるしかない。
「罪状など何でもいい!密通、横領、不敬罪……ありったけ並べ立てて、あの小賢しい商人の首を刎ねろ!鉱山も、商会の財産も、すべて没収してやる!」
狂気に満ちた王の目は、血走っていた。側近たちは青ざめながらも、御意と頭を下げるしかない。だが、これからの筋書きも、シリルの手のひらの上にあることを、彼らは全く気づいていなかった。
その夜、王城の地下牢。重い鉄扉が軋んだ音を立てて開き、フードを目深に被った人物が入ってきた。看守はすでに買収されている。松明の揺らめく光の中に浮かび上がったのは、苦悩に顔を歪めたユリウス王子の姿だった。
「……シリル。無事か」
「おや、殿下。このような汚い場所に、王族自ら足を運ばれるとは」
私は鉄格子の向こうから、わざと弱々しく微笑んでみせた。頬はやつれ、服は薄汚れているが、それは演出だ。食事は看守経由で最高級のものを差し入れさせていたので、体調はすこぶる良い。
「明日、父上が君を処刑すると決めた。……止められなかった。すまない」
ユリウスが格子を掴み、悔しげに声を震わせる。
「君は無実だ。あの魔獣騒ぎも、君の商会が流通を止めたせいで混乱が起きたというが……元はと言えば、父上が君を不当に拘束したからだ。君は被害者だ」
「……勿体ないお言葉です」
私はゆっくりと首を横に振った。
「ですが、もう良いのです。私が死ぬことで、陛下の気が済むのなら」「馬鹿なことを言うな!君には才がある。この国に必要な人材だ!」
「才があっても、狂王の下では毒にしかなりません」
私は立ち上がり、格子越しにユリウスの手をそっと握った。冷え切った王子の手に、私の体温を伝える。
「殿下。……残念ながら、陛下はもう『王』ではありません。ただの強欲な怪物です」
「っ……」
「国庫は浪費され、軍は弱体化し、民は飢えている。今回、私が処刑されれば、次はヴィルトゥス伯爵が狙われるでしょう。……そして最後は、貴方だ」
ユリウスが息を呑む。図星だ。彼自身、父からの殺意に近い疎外感をずっと感じていたはずだ。
「このままでは、国は滅びます。……誰かが、終わらせなくてはならない」
私は懐から、一枚の羊皮紙を取り出した。もちろん、精巧に偽造した文書だ。
「これをご覧ください。陛下が隣国と交わそうとしていた密約の写しです。……『鉱山の利権と引き換えに、国境の砦を明け渡す』と」
「な、なんだと……!?売国ではないか!」
ユリウスが目を見開く。正義感の強い彼にとって、これは決定打となる猛毒だ。
「私はこれを告発しようとして、口封じのために捕らえられたのです」
「そうだったのか……。父上は、そこまで……」
「殿下。……いいえ、次期国王陛下」
私は格子の隙間から手を伸ばし、彼の頬に触れた。まるで聖職者が信徒を導くように、優しく、厳かに。
「貴方が立つしかないのです。この腐りきった鎖を断ち切り、国を救えるのは、正しき血を引く貴方だけだ」
「私に……父を、討てと言うのか」
「『親殺し』ではありません。『国直しの英雄』になるのです」
ユリウスの瞳が揺れる。恐怖と、使命感と、野心。それらが混ざり合い、やがて一つの炎となって宿る。彼は私の手を取り、強く握り返した。
「……君の言う通りだ。父上は狂っている。これ以上、この国を私物化させるわけにはいかない」
「ご決断、恐悦至極に存じます」
「シリル。君の命は私が救う。……いや、君という『剣』を、私が使いこなしてみせる」
ユリウスは顔を上げた。そこにはもう、迷える王子の姿はない。狂信的な正義に酔った、操りやすい革命家の顔があった。
「明日の正午。処刑執行の時が、革命の狼煙を上げる。……元老院の有力者には話を通せるか?」
「ええ、手配しましょう。彼らもまた、陛下の暴政に怯えておりましたから」
すでに手は回している。元老院のメンバーは、実際には私の金に目が眩んだだけだ。だが、今のユリウスには「同志」に見えるだろう。
「頼んだぞ、我が盟友よ」
ユリウスは力強く頷き、踵を返した。その背中を見送りながら、私は口元を吊り上げた。おめでとう、ユリウス王子。貴方はたった今、王への階段を登り始めた。その階段の先にある玉座が、私とアルフォードによって操作される「飾り物」に過ぎないとも知らずに。
夜明け前。私は鉄格子の隙間から差し込む月明かりを見つめていた。計画は完璧だ。明日の正午、広場には何千という民衆が集まるだろう。そこで行われるのは、悪徳商人の処刑ではない。一人の英雄の誕生と、一人の愚王の破滅。そして、その脚本を書いた黒幕が完全勝利する演劇だ。
「……アルフォード」
懐から、彼のために作った指輪と同じ石の欠片を取り出す。君は今、明日の処刑を止めるために必死で剣を磨いているだろうか。それとも、絶望に打ちひしがれているだろうか。どちらでもいい。明日の昼、君の目の前で、私は「死の淵から蘇り、国を救った忠臣」として帰還する。その時、君が見せる安堵の表情だけが、私への報酬だ。
東の空が白み始める。断罪の時が、来た。




