第5話 理想の王子と甘い毒
その夜、王城の大広間で開かれた夜会は、異様な熱気に包まれていた。視線の中心にいるのは、私たちだ。群青の礼服を完璧に着こなしたアルフォードと、その隣で不敵に微笑む私。没落寸前の伯爵と、成り上がりの「鉄の子爵」。この奇妙な主従の誕生は、貴族たちの格好の噂の種だった。
「……見世物小屋の猿になった気分だ」
「慣れてください、アルフォード。貴方は今、社交界で最も『高い』商品だ。注目されるのは当然でしょう」
私が渡したシャンパングラスを受け取りながら、アルフォードが不機嫌そうに呟く。その横顔は、スポットライトを浴びて宝石のように輝いている。ああ、虫除けが大変そうだ。
その時、会場の空気がふ、と変わった。入り口から、一人の青年が静かに入場してくる。
燃えるような赤髪に、意思の強さを宿した琥珀色の瞳。ユリウス・アウルム。この国の第一王子であり――原作ゲームの主人公。そして、本来の歴史ならば、ここでアルフォードと運命的な出会いを果たし、やがて恋に落ちる相手だ。
(……来たか)
私は目を細めた。第一王子といっても、彼の立場は弱い。現国王クラヴィスは、己の権力を脅かすような聡明な息子を疎み、公務から遠ざけている。今日も彼は取り巻きもおらず、広間の隅で孤立していた。その孤独な姿が、高潔なアルフォードの同情心と共鳴するのだ。
ほら、始まった。アルフォードがユリウスの姿に気づき、ハッとしたように目を見開く。
「あれは、ユリウス殿下……。お一人なのか?」
「ええ。国王陛下に疎まれていると噂の」
「……挨拶に行かねば。臣下として、孤立されている王族を見て見ぬふりはできない」
アルフォードが足を踏み出す。ゲーム通りだ。このまま行けば、二人は会話を交わし、互いの「正義」に惹かれ合うだろう。
(させるかよ)
私は音もなく移動し、アルフォードの半歩前に滑り込んだ。
「お待ちください。私が案内します」
「シリル?」
「貴方はまだ、私の『名代』としての立場に慣れていない。粗相があっては困りますからね」
もっともらしい理屈で彼を制し、私はユリウスの元へと歩み寄った。アルフォードを背中に庇い、視線すら交錯させない絶妙な位置取りで。
「――ユリウス殿下。お初にお目にかかります」
私が声をかけると、ユリウスは驚いたように顔を上げた。
「……君は?」
「本日、子爵位を賜りましたシリル・ヴァレットと申します。以後、お見知り置きを」
「ああ、君か。父上が言っていた『鉄の子爵』というのは」
ユリウスの表情が曇る。成金の新興貴族に対し、警戒心を抱いているようだ。彼は私の背後にいるアルフォードに気づき、視線を向けた。
「そちらは……ヴィルトゥス伯爵だな?」
「は、はい。ご無沙汰しております、殿下」
アルフォードが一歩進み出て、礼をする。二人の目が合う。ユリウスの瞳に、わずかな光が宿るのが見えた。
「君のことは聞いている。かつて『王国の剣』と呼ばれた家の当主が、なぜこのような……」
「それは――」
アルフォードが口を開きかけた瞬間、私は二人の間に割って入った。
「ヴィルトゥス伯爵は、我が商会の『最高顧問』として、その手腕を振るっていただいております」
強引な割り込み。会話の腰を折る無礼な振る舞い。だが、私は構わず言葉を続けた。
「殿下。伯爵は今、私の事業になくてはならないパートナーです。……古い騎士の誇りよりも、実利を取る賢明な判断をなさいました」
「……実利、だと?」
「ええ。国を憂うだけでは、国は救えませんから」
ユリウスの眉がぴくりと跳ねる。理想家である彼にとって、最も痛い指摘だ。
「……君は、今の国政に不満があると?」
「不満など。ただ、『勿体ない』と思うだけです。……例えば、優秀な第一王子殿下が、こうして誰にも顧みられず、壁の花になっている現状などが」
周囲の空気が凍りつく。アルフォードが青ざめて私を見るが、私はユリウスから目を離さない。
「無礼だぞ、子爵」
「事実です。……殿下。少し、風に当たりませんか?面白いお話があります」
私はアルフォードに向き直り、冷たく命じた。
「アルフォード。君はここで飲み物の手配を。……殿下と二人で話したい」
「な……しかし」
「『命令』です」
低い声で告げると、アルフォードは悔しげに唇を噛み、一礼して下がった。彼とユリウスを引き剥がす。まずはこれが第一段階。
夜風が吹き抜けるバルコニー。人払いを済ませた空間で、私はユリウスと対峙していた。
「……単刀直入に言います。殿下。貴方は今のこの国を『間違っている』とお思いだ」
「……貴様に何がわかる」
「わかりますとも。陛下の暴政、元老院の腐敗。民は搾取され、国力は衰退の一途を辿っている。……貴方はそれを嘆きながら、しかし何もできない自分を恥じている」
図星を突かれ、ユリウスが唇を噛む。
「私に力がないのは事実だ。だが、正義はある」
「正義?……いいえ、殿下。力なき正義は、無能と同じです」
私は切り捨てた。ユリウスが激昂して掴みかかろうとするが、私はそれを言葉で制する。
「ですが、嘆く必要はありません。民は迷える羊です。彼らは自分たちでは道を選べない。だからこそ、正しい道を知る者が、時には鞭を使ってでも導いてやらねばならない」
私は甘く、熱っぽく囁いた。
「腐敗を切り捨て、血の味を知ってでも未来を切り拓く……。それこそが、今のこの国に必要な『真の王』の姿ではありませんか?」
「血の味を知る、王……」
ユリウスの瞳が揺れる。彼は独裁を嫌うが、「自らが罪を背負ってでも民を救う」という自己犠牲的な英雄像には抗えない。
「そのためには、綺麗な手だけではいられません。時には汚泥にまみれ、反対勢力を黙らせる『影』も必要になる」
私は彼の手を取り、うやうやしく跪いた。
「私が、その影になりましょう」
「……なんだと?」
「貴方は光の中を歩んでください。理想を語り、民の希望となってください。……その裏で必要な汚い金、裏工作、粛清。すべて私が請け負います」
ユリウスが息を呑む。「貴様、私のために手を汚すというのか?……何故だ。貴様に何の得がある」
「私もまた、この国の未来を憂う者ですから。……それに、賢き王の下でこそ、商売は繁盛するというもの」
嘘だ。だが、この「汚れ役を買って出る忠臣」という役割は、理想家の心に最も深く突き刺さる。
「……私は、お前を利用するだけかもしれんぞ」
「構いません。使い潰してください。それが王の責務です」
長い沈黙の後。ユリウスは、震える手で私の肩に触れた。
「……わかった。シリル・ヴァレット。君の覚悟、信じよう」
その瞳には、すでに狂信的な「使命感」が宿っていた。
「私は、民のために鬼になろう。……君という剣を持って、この腐った国を正してみせる」
「賢明なご判断です。――我が君」
ああ、チョロい。「民のため」という大義名分さえ与えれば、彼は喜んで私の操り人形になる。これで「正義の御旗」は手に入れた。あとはこの神輿を担ぎ上げ、適当に操ればいい。
会場に戻ると、アルフォードが心配そうに待っていた。私が戻るなり、彼は駆け寄ってくる。
「シリル!殿下に何を……無礼なことはしていないだろうな?」「まさか。有意義な商談でしたよ」
「……殿下は、素晴らしい方だ」
アルフォードが、遠くにいるユリウスを眩しそうに見つめて言った。
「あの方の目を見たか?あれは、真に国を思う者の目だ。……もし、あの方が王になれば、この国は変わるかもしれない」
その言葉を聞いた瞬間、私の胸の奥でドス黒い炎が爆ぜた。
憧憬。尊敬。私には決して向けられない、純粋なプラスの感情。たった一瞬の邂逅で、やはり君たちは惹かれ合う運命にあるというのか。
(……ふざけるな)
私はアルフォードの肩を抱き寄せ、強引に自分の方へ向かせた。指先に力が入り、彼が微かに顔を顰める。
「ええ、そうですね。彼はきっと『良い王』になるでしょう」
私は笑顔で、だが氷のような声で告げた。
「ですが、勘違いしないでくださいね。彼は、貴方の『主』にはなれません」
意味がわからず戸惑う彼に、私は耳元で囁く。
「貴方の運命を握るのも、貴方を生かすのも殺すのも、私だけだ」
「……っ、わかっている。契約だ」
「いいえ、契約以上の『真理』ですよ」
私は彼を解放し、シャンパンをあおった。ユリウス王子。利用してやる。骨の髄までしゃぶり尽くして、最後はボロ雑巾のように捨ててやる。私のアルフォードが、二度と君を見て「美しい」などと思わないように。
甘い毒は、もう回り始めている。




