第4話 鉄の子爵(アイアン・ヴァレット)
「――動きすぎです、伯爵。数値がズレる」
ヴァレット商会の奥にある貴賓室。私は、直立不動で硬直するアルフォードの背後に回り、その背中にメジャーを這わせていた。
「……使用人にやらせればいいだろう。なぜ、貴様が測る」
「私の『代理人』が、サイズの合わないボロ布を纏っていては困りますからね。それに、他人に貴方の肌を触らせる趣味はありません」
私は彼の耳元で囁き、わざとゆっくりとメジャーを締め上げた。アルフォードの肩がビクリと跳ねる。悔しげに唇を噛み、赤くなった顔を背けるその姿は、嗜虐心を煽るほどに艶めかしい。
私は事務的な手つきを装いながら、彼という素材を堪能していた。かつて騎士として鍛え上げられた筋肉は、長年の貧困生活で削げ落ち、今は痛々しいほど細い。だが、その骨格の美しさは損なわれていない。私が与える食事で肉をつけ、私が選んだ服で飾り、私が磨き上げれば、彼はかつて以上の輝きを放つだろう。
(痩せすぎだ。……だが、悪くない)
この身体は今、私の管理下にある。ボロボロの名剣を研ぎ澄ますような喜びに、背筋がゾクリと震えた。
「……ッ、まだ終わらないのか」
「もう少しです。次は首回りを」
私は彼の正面に回り込み、細い首にメジャーを巻き付けた。白く、無防備な喉仏。少し力を込めれば簡単に折れてしまいそうな生命の急所。そこには、見えない首輪(契約)が確かに存在している。
「……良いサイズだ。これなら、どんな首飾りも似合うでしょう」
「ふざけるな。私は貴様のペットではない」
「ええ、違いますとも。貴方は私の『共犯者』だ」
私はメジャーを回収し、満足げに頷いた。
「さあ、着替えてください。王城が待っています」
王城の謁見の間は、張り詰めた空気に包まれていた。玉座に座るのは、現国王クラヴィス。改革派を自称し、強引な手腕で国を牽引する野心家だ。
「――ヴィルトゥス伯爵。面を上げよ」
傲慢な声が響く。まず顔を上げたのは、最前列で跪いていたアルフォードだ。群青の礼服を纏った彼は、没落を感じさせない気品で口を開いた。
「陛下におかれましては、ご機嫌麗しく。本日は、我が領地の事業に関しまして、陛下に献上すべき『石』が見つかりましたゆえ、開発を主導した者を伴い参上いたしました」
「ほう。あのヴィルトゥス家が、余に献上できるものなど持っていたか?……して、後ろに控える者は何者だ」
王の鋭い視線が、一歩下がって控えていた私に向けられる。アルフォードが一瞬、言い淀むような間を置いてから告げた。
「……現在、我が家の財政顧問を務めております、ヴァレット商会のシリルと申します」
「ヴァレット……だと?ああ、覚えがあるぞ」
王が不快げに鼻を鳴らした。
「先日の先物取引で、我が王立銀行の裏をかいて莫大な利益を上げた『小賢しいドブネズミ』か。いけしゃあしゃあと余の前に顔を出せたものだな」
強烈な敵意。だが、私は平然と頭を垂れたまま答える。
「お見知り置きいただき、恐悦至極に存じます。陛下のご威光があればこその商いでございました」
「ふん、口の減らぬ男だ。……よい、許す。申してみよ」
私はゆっくりと顔を上げ、持参した木箱の蓋を開けた。瞬間、謁見の間が青白い燐光に包まれる。
「な……ッ!?」
「こ、これは……魔鉱石か!?」
どよめきが広がる中、王が身を乗り出した。箱の中に鎮座しているのは、大人の拳ほどもある巨大な原石。しかも、これほどの高純度のものは国宝級だ。
「北の廃坑より産出いたしました。私の独自の技術により、深層に新たな鉱脈を発見いたしました」
王の目が、欲望にギラリと光った。軍事転用も可能な戦略資源。これを独占できる意味を、この男が理解できないはずがない。同時に、その瞳には危険な色が宿った。これほどの資源を、どこの国へ逃げるかもわからぬ商人に握らせておくことのリスクを計算したのだ。
「……なるほど。見事だ」
王はゆっくりと立ち上がり、ニヤリと笑った。それは獲物を絡め取る蜘蛛の笑みだった。
「シリル・ヴァレット。その功績、賞賛に値する。……よって、其の方に『子爵』の位を授ける」
周囲がざわめく。平民への異例の叙爵。だが、それが褒美ではないことは明白だった。
「その代わり――貴様はもはや、利を求めて国を渡り歩く自由な商人ではない。王国の土地と民に縛られる『貴族』だ。余の家臣として、その鉱山から産出される魔鉱石は、全て王家が管理する軍へ『適正価格』で納品せよ」
やはり、そう来たか。爵位という餌で私を貴族社会に組み込み、「家臣の義務」という鎖で縛り付ける。そうすれば、私が他国へ亡命することも、石を他国へ売ることも「反逆罪」として処罰できるからだ。
「……」
アルフォードが不安げに私を見る。この条件を飲めば、商会は王家の財布代わりにされる。断れば、不敬罪で鉱山ごと没収される。
だが、私は深く頭を垂れた。
「――ありがたき幸せ。謹んでお受けいたします」
王は満足げに頷いた。私を屈服させたと思い込んだのだ。
「よい心がけだ。『鉄の子爵』と呼ぶがよい!その鉄の首輪が外れぬよう、精々忠義に励め」
嘲笑交じりの二つ名。私は片膝をつき、最上級の礼を取りながら、誰にも見えぬよう口の端を吊り上げた。
(せいぜい喜ぶがいい、裸の王様)
王家に納品するのは、表面の不純物が多い「クズ石」だけだ。本命である最高純度の魔鉱石は、帳簿を操作して裏ルートへ流す。その莫大な利益は、全てアルフォード――貴方を守る檻を作るために使う。
この鉄の首輪は、私が王を支配するための武器になる。
謁見を終え、廊下に出た時だった。アルフォードが、青ざめた顔で私に詰め寄った。
「正気か!?あんな条件を飲んで……鉱山の利益がほとんど出ないぞ!それに、あの王は最初から貴様を飼い殺しにするつもりだ」
「ご心配には及びません、閣下」
私は彼の新しい服の襟を、親しげに直してやった。
「王は『全ての石』と言いましたが、私が採掘量を少なめに報告すればそれまでです。……商人の帳簿をごまかす技術を、甘く見ないでいただきたい」
「……ッ、貴様、王を騙すつもりか!?」
「人聞きが悪い。私はただ、貴方の安寧のためなら、王だろうと国だろうと踏み台にするだけです」
「……私、だと?」
アルフォードが怪訝そうに眉を寄せる。「どういう意味だ。私の安寧が、国を欺く理由になるとは?」
当然の疑問だ。彼にとって、自分はただの没落貴族であり、私にとってはビジネスパートナー、そして操り人形でしかないはずなのだから。私はふ、と意味深に微笑み、言葉を濁した。
「さあ。どういう意味でしょうね」
「おい、誤魔化すな」
「行きましょう、アルフォード。夜会が待っています」
私は呆然とする彼を促し、歩き出した。子爵の位という『通行手形』は手に入れた。次はユリウス王子だ。彼に近づき、この腐った国の本当の支配者が誰なのか、教えて差し上げよう。
鉄の子爵。その悪名は、ここから始まるのだ。




