第34話 遺言と継承
初夏の日差しが強くなり始めた頃。私は自室のベッドから起き上がれなくなっていた。病ではない。ただ、ゼンマイが切れたのだ。アルフォードという「動力」を失った私の身体は、急速に機能を停止しようとしていた。
「……シリル。入るぞ」
扉が開き、国王レオンハルトが入室した。その後ろには、王太后となったエレノアも控えている。二人とも、沈痛な面持ちだ。
「国王陛下、王太后陛下。……ご足労いただき、恐縮です」
「挨拶はいい。……今日が、その日なのだな?」
レオンハルトが私の枕元に立ち、鋭い碧眼で見下ろした。私は弱々しく頷き、サイドテーブルの引き出しを指差した。
「そこに、書類があります。……私の財産、魔鉱石鉱山の管理権、国内外の軍事拠点……すべてを記した『譲渡契約書』です」
レオンハルトが羊皮紙を取り出し、目を通す。そこに記された資産の規模は、国家予算の数年分に匹敵する。私が一生をかけて、汚い手を使ってかき集めた「力」の結晶だ。
「……馬鹿げた金額だ。これだけの富を持ちながら、お前自身は何一つ贅沢をしなかった」
「私の贅沢は、アルフォード様を守ることだけでしたから」
私は微笑んだ。金も権力も、それ自体には価値がない。それを使って「推し」を守れて初めて意味を持つのだ。
「エレノア様」
「はい、おじさま……」
エレノアが涙を堪えて近づく。私は彼女の手を取り、古びた鍵を渡した。
「これは、ヴィルトゥス家の地下金庫の鍵です。……そこには、アルフォード様が愛した庭園の権利書や、思い出の品々が保管されています。……どうか、守ってあげてください」
「はい……。必ず、守ります。……お父様の大切な場所も、おじさまの想いも……全部」
エレノアが私の手に頬を寄せ、泣き崩れる。私は震える手で、彼女の髪を撫でた。かつて政争の道具として利用した少女。だが今、彼女は私の娘のように愛おしい。
「そして、レオンハルト陛下」
「……なんだ」
「貴方に、最後の『呪い』を授けます」
私は残る力を振り絞り、若き王の目を射抜いた。
「この力を使って、この国を永遠に支配なさい。……慈悲など不要。敵対する者はすべて排除し、恐怖と利益で民を縛り付けるのです」
「……ああ」
「貴方の身体には、アルフォード様の高潔な血と……私という悪党の魂が流れている。……貴方ならできる。誰よりも強く、美しい王になれる」
それは教育係としての、最後の授業だった。レオンハルトは羊皮紙を強く握りしめ、不敵に笑った。
「承知した。……安心しろ、シリル。余はお前の最高傑作だ。お前が地獄で自慢できるように、派手にやってやるさ」
「ふふ……。楽しみにしていますよ」
視界が霞んでくる。身体の感覚が遠のいていく。だが、不思議と恐怖はない。ただ、「間に合った」という安堵だけがあった。私はすべてを渡し終えた。この世界に、私の痕跡、愛をすべて刻み込んだ。
「……そろそろ、行かなくては」
「シリル!」
「おじさま!」
二人の声が遠くなる。代わりに、懐かしい声が聞こえた気がした。『遅いぞ、シリル』と、呆れながらも手を差し伸べてくれる、あの人の声が。
「……ああ、今行きます。……私の、推し……」
私は虚空へ手を伸ばした。その手は誰かに掴まれたように、ふわりと軽くなり――そして、力なく落ちた。
稀代の悪徳宰相、鉄の子爵シリル・ヴァレット。その生涯の幕が下りた。享年七十五。その顔は、悪党とは程遠い、少年のように無垢で安らかな死に顔だったという。




