第33話 残された影
アルフォードの葬儀から、一ヶ月が過ぎた。シリル・ヴァレットの屋敷は静まり返っていた。かつては執務室でペンの走る音や、アルフォードの笑い声が響いていたこの場所も、今は埃が舞う音が聞こえるほどの静寂に包まれている。
私は、アルフォードの遺品整理をしていた。彼が愛用していた剣、古びたチェス盤、そして私たちがやり取りした無数の手紙。
「……これらは、燃やしてしまいましょう」
私は暖炉に、束ねた書類を放り込んだ。それは、私にとって、彼との結びつきを証明するものでもあったが、もうその役目を終えた。赤々と燃える炎を見つめながら、私は自分が急速に「色」を失っていくのを感じていた。
「……シリル」
背後から声をかけられた。振り返ると、国王レオンハルトが立っていた。喪服を脱ぎ、執務服に身を包んだ彼は、かつてのシリル以上に冷徹で、アルフォード以上に美しい王の顔をしていた。
「陛下。……このような隠居の屋敷に、何のご用でしょう」
「様子を見に来た。……王太后陛下が心配していたぞ。『おじさまが、消えてしまいそうだ』と」
レオンハルトは部屋に入り、私が整理していたアルフォードの剣を手に取った。ずしりと重い鋼の感触。
「……お祖父様がいなくなって、お前はまるで、糸の切れた人形だな」
「言い得て妙ですね」
私は淡々と答えた。否定する気も起きなかった。
「私は影ですから。……光が消えれば、影もまた消えるのが道理です」
「待て。……まだ、余にはお前が必要だ」
レオンハルトの声に、わずかに焦りの色が混じった。彼は聡明だ。私が何をしようとしているのか――自らの人生すらも「終い支度」のリストに入れていることを、敏感に察知しているようだ。
「いいえ、陛下。貴方にはもう、私は不要です」
「何だと?」
「貴方は私の最高傑作であり、アルフォードの血を引く獅子だ。……老いた教育係の小言など、これからの覇道には邪魔になるだけです」
私は暖炉のそばを離れ、窓辺に立った。庭の木々は芽吹き始めている。世界は残酷なほどに、何事もなかったかのように再生を続けている。だが、私の時計だけは、あの日から止まったままだ。
「私は疲れました、陛下」
初めて、本音を口にした気がした。
「世界を騙し、人を陥れ、愛する人を守るために嘘をつき続ける人生でした。……その目的が達せられた今、私に残されているのは、空っぽの虚無だけなのです」
「シリル……」
「どうか、最後のわがままをお許しください。……私はもう、ゆっくりと眠りたいのです」
レオンハルトは唇を噛み締め、剣を元の場所に戻した。彼は何かを言おうとして、やめた。王として、これ以上「機能しない部品」を引き留めることが無意味だと理解したからだろう。
「……わかった。だが、まだ死ぬことは許さぬ。余に引き継ぐべきことが、が残っているはずだ」
「ええ、承知しております。……すべてを、国王陛下と王太后陛下へ託してから、旅立ちます」
レオンハルトは足早に部屋を出て行った。その背中は寂しげだったが、決して振り返らなかった。それでいい。王は前だけを見て歩むべきだ。
再び静寂が戻った部屋で、私は椅子に深く座った。暖炉の薪が音を立てる。過去の罪も、栄光も、すべて灰になっていく。私の心臓はまだ動いているが、魂はもう、アルフォードと共に別世界へと渡り始めていた。
「……さて。最後の仕事を片付けましょうか」
私は机に向かい、一枚の羊皮紙を広げた。『遺言書』。私、シリル・ヴァレットという存在がこの世に残した、莫大な富と権力。そのすべてを次代へ譲り渡すための、最後の契約書の作成に取り掛かった。




