第30話 崩御と即位
季節は冬。離宮の窓からは、音もなく降り積もる雪景色が見えた。暖炉の火が弱々しく揺れる寝室で、セオドア・アウルムの命は尽きようとしていた。
「……シリル。そこにいるかい?」
ベッドに横たわるセオドアが、虚空に向かって手を伸ばす。軟禁されてから数年。彼の身体は衰弱し、精神も幼児退行と正気の間を揺れ動いていた。私はその手を、革手袋のまま握った。
「ええ、陛下。ここにいますよ」
「暗いな……。もう、夜会は終わったのかい?」
「はい。長い長い夜会でしたね。……もう、お休みになる時間ですよ」
私は優しく答えた。彼は安堵したように微笑んだ。
「そうか……。僕は、いい王様だったかな?君の役に立てたかな?」
「ええ、もちろんです。……貴方は私の、最高の王でした」
嘘だ。だが、死に行く者への手向けとして、これくらいの慈悲は許されるだろう。セオドアは満足げに息を吐き、そのまま静かに目を閉じた。握っていた手から力が抜け、ベッドの上に落ちる。
享年三十八。シリル・ヴァレットという演出家によって「王」を演じさせられた男の、あまりにあっけない幕切れだった。
翌朝、王の崩御が公表された。国中は喪に服したが、その悲しみは薄かった。国民にとって、近年のセオドア王は「病弱で表に出ない存在」であり、実質的な支配者がシリルであることは周知の事実だったからだ。
葬儀の最中、私は喪服に身を包んだエレノアに声をかけた。
「……お力落としなきよう、エレノア様」
「ありがとうございます、おじさま」
エレノアは気丈に振る舞っていたが、その目は赤く腫れていた。彼女は最後まで、夫を愛そうとしていた。それが「役割」だったとしても、彼女の涙は本物だった。
「……父上は、幸せだったのでしょうか」
隣に立つ青年が、冷ややかな声で呟いた。二十歳になったレオンハルトだ。漆黒の喪服が、彼の透き通るような肌とプラチナブロンドの髪を際立たせている。その美貌は、祖父アルフォードの全盛期を彷彿とさせた。
「幸せでしたよ。……何も知らず、何も背負わず、ただ守られて死んだのですから」
「そう。……なら、僕とは違うな」
レオンハルトは棺を一瞥もしなかった。彼の視線はすでに、その先にある「玉座」へと向けられていた。
一週間後。大聖堂にて戴冠式が執り行われた。ステンドグラスから差し込む光が、新王の姿を照らし出す。重厚なマントを羽織り、祭壇の前に立つレオンハルト。その背中は、かつてのセオドアのような「頼りなさ」も、ユリウスのような「悲壮感」も感じさせない。ただ圧倒的な、王としての「圧」を放っていた。
「――戴冠!」
大司教が、レオンハルトの頭に王冠を授ける。ファンファーレが鳴り響き、参列した貴族たちが一斉に跪く。
「国王レオンハルト陛下、万歳!」
「万歳!獅子王万歳!」
その歓声を聞きながら、私は祭壇の脇でアルフォードと並んでいた。
「……立派になったな、レオンは」
アルフォードが感極まったように呟く。
「ああして王冠を被ると……遺伝とは恐ろしいものだ。……私に似ている気がする」
「ええ。ですが中身は、私たちが半分ずつ混ざっていますよ」
私は微笑み、新王を見つめた。貴方の美貌とカリスマ。私の冷徹さと知略。それらを併せ持った彼こそが、この国を永遠に支配する完成形ー。
式典が終わり、レオンハルトが玉座に座った。彼は群衆を見下ろし、そしてゆっくりと視線を巡らせ、最後に私とアルフォードの場所で止めた。そのとき彼は、不敵に笑った。それは「守られる子供」の顔ではなく、「獲物を狩る獅子」の顔だった。
「――シリルよ。これより、余の治世を始める」
鈴のような、しかし絶対的な命令を含んだ声。
「余は父上のようにはならぬ。……飾り物の王など御免だ。この国の全てを、余の手で握り潰し、作り変える」
「御意。……そのための剣となり、盾となりましょう」
私は深々と頭を下げた。これまでの「操り人形」とは違う。これからは、「共犯者」と共に、より強固で、より攻撃的な覇道を歩むことになる。
セオドアという古い幕が下り、レオンハルトという新しい幕が上がった。安寧のための支配は、次なるステージへと進む。




