第29話 穏やかなる粛清
離宮の晩餐会場は、異様な熱気に包まれていた。セオドア王と側近たちは、極上のワインを片手に、まだ見ぬ勝利に酔いしれていた。
「……シリル・ヴァレットの時代は終わった!」
「明日になれば、彼奴はただの罪人だ。陛下の威光の前にひれ伏すことだろう!」
側近のリットン伯爵が高らかに笑い、セオドアにグラスを掲げた。セオドアもまた、紅潮した顔で頷いた。
「ああ。……長かった。ようやく僕は、自分の国を取り戻せるんだ!」
彼らがグラスを合わせようとした、その瞬間だった。
バンッ!!重厚な扉が乱暴に開かれた。武装した近衛兵たちが雪崩れ込み、瞬く間に会場を制圧する。呆気にとられる貴族たちの間を割って、私がゆっくりと歩み出た。
「……お楽しみのところ、失礼いたします」
私は微笑んでいた。だが、その目は氷点下よりも冷たい。セオドアの手からグラスが滑り落ち、赤い飛沫を上げて砕け散った。
「シ、シリル……!?なぜ、ここに……!」
「お迎えに上がりました、陛下。……そして、ネズミの皆様」
私が指を鳴らすと、背後に控えていた武装兵たちが側近たちを取り押さえた。悲鳴と怒号が飛び交う。
「な、何の真似だ!我々は陛下の側近だぞ!」
「国家反逆罪です」
私は懐から一枚の書類を取り出し、彼らの目の前に突きつけた。そこには、彼らが裏で進めていた横領や違法取引の証拠が網羅されていた。もちろん、半分は私が捏造したものだが、今の状況で真偽を問える者などいない。
「連行しろ。……二度と、王都の土を踏めると思うな」
側近たちが引きずり出されていく。リットン伯爵が「陛下!陛下、お助けを!」と叫ぶが、セオドアはガタガタと震え、椅子に座り込んだまま動けなかった。
会場には、私とセオドア、そしてアルフォードだけが残された。静寂が痛いほど耳に刺さる。セオドアは、まるで処刑台に座らされた囚人のように、私を見上げていた。
「……殺すのか?僕を」
震える声。本来なら、その通りだった。あのグラスに入っていたはずの毒が、今頃彼を永遠の眠りにつかせていたはずだ。
「いいえ」
私は首を横に振った。
「殺しませんよ。……貴方を殺せば、エレノア様が悲しむ」
「エレノア……?」
「感謝なさい。貴方の命を救ったのは、貴方が捨てようとした妻の涙と、貴方が軽んじた義父の慈悲です」
私は歩み寄り、セオドアの前に片膝をついた。そして、優しく、しかし絶対的な強制力を持って彼の手を握った。
「ただし、条件があります」
「……条件?」
「今この瞬間をもって、貴方は『政治』から引退していただきます。……公務はすべて摂政である私が代行し、貴方は離宮で静養に専念するのです」
それは、事実上の軟禁宣告だった。王冠は残るが、権力はゼロになる。だが、セオドアの顔に浮かんだのは、絶望ではなく安堵だった。死ななくて済む。シリルに見捨てられずに済む。その事実が、彼にとってはプライドよりも重要だったのだ。
「……わかった。約束する。もう二度と、君に逆らわない」
セオドアは私の手に縋りつき、子供のように涙を流した。完全に折れた。もう彼が、「自我」などという不相応な夢を見ることはないだろう。
事後処理を終え、私はアルフォードと共に離宮を出た。夜風が、火照った頬に心地よい。アルフォードは大きく息を吐き、夜空を見上げた。
「……今回は、手ぬるいな、シリル。お前らしくもない」
「そうですか?側近たちは鉱山送りにしましたし、王は一生飼い殺しです。十分に非道でしょう」
「だが、誰も死んでいない。何人を葬るのかと思っていたが」
アルフォードは立ち止まり、私を見た。その瞳には、深い信頼と、少しの安らぎがあった。
「ありがとう。……私の願いを聞いてくれて」
「いえ。……貴方の言葉は、私の羅針盤であり、原則ですから」
私は彼に向き直り、真摯に告げた。
「私は放っておけば、すぐに効率と利益だけを求めて暴走してしまう。……血も涙もない機械になってしまうのです」
「シリル……」
「ですが、貴方は私をいつも原則へ引き戻してくれる。……『人の心』がある場所へ、連れ戻してくれるのです」
これこそが、私が彼を愛し、彼に執着する理由。彼は私のブレーキであり、私が人間であり続けるための唯一のアンカーなのだ。
「……これからも、そばにいてください。私が道を間違えそうになったら、何度でもご指摘を」
「ああ。……約束しよう」
アルフォードは照れくさそうに笑い、私の肩を強く叩いた。二人の影が、月明かりの下で重なる。王の失脚という歴史的な夜に、私たちは奇妙なほどの穏やかさを共有していた。
しかし、運命の砂時計は止まらない。セオドアという重石がなくなったことで、歴史は加速する。次なる時代――レオンハルトの治世へと向かって。




