第28話 安寧の原則
運命の夜が訪れた。王宮の奥にある離宮では、セオドア王と側近たちが「秘密の晩餐会」を開こうとしている。私の手配した毒入りワインは、すでにスパイの給仕の手によって準備されていた。
宰相執務室。私は懐中時計を眺めながら、その時を待っていた。あと数分で乾杯が行われる。そして、セオドア・アウルムはこの世から消え、明日の朝にはレオンハルトの時代が始まる。完璧だ。これ以上の解決策はない。
「……シリル」
静寂を破り、執務室の扉が開かれた。ノックもなしに入ってきたのは、アルフォード・ヴィルトゥス伯爵だった。その顔は蒼白だが、瞳には強い意志の光が宿っていた。
「……珍しいですね、アルフォード。貴方がアポイントなしで来るとは」
「とぼけるな。……今夜、離宮で何が起きる?」
アルフォードが私の机に詰め寄る。彼は気づいている。長年の付き合いだ。私が「邪魔者」をどう処理するか、その手口も、タイミングも、肌感覚で察知したのだろう。
「……掃除ですよ。貴方の娘と孫が、安心して暮らせる国を維持するためのね」
「毒か」
「安らかな病死です。苦しみは与えません」
私は淡々と答えた。アルフォードは拳を握りしめ、机を叩いた。
「やめろ!今すぐ中止させるんだ!」
「なぜです?セオドアは私を裏切った。あのような愚王を生かしておけば、必ず内乱の火種になる。……貴方の嫌いな『争い』が起きるのですよ?」
「それでもだ!夫を殺されたエレノアはどうなる!?父親を奪われたレオンハルトはどうなる!?」
アルフォードが叫んだ。その声には、怒りよりも深い悲痛が滲んでいた。
「エレノアは……あの子は、セオドア陛下を愛しているんだ。たとえ陛下が傀儡でも、頼りなくても、あの子にとっては長年も共に過ごした愛しい夫なんだぞ!」
「……愛、ですか」
「そうだ!お前が守りたいのは私の『安寧』だろう?……娘が夫の死に涙し、喪服を着て過ごす姿を見て、私が安らげるとでも思うのか!?」
私はハッとして顔を上げた。アルフォードは私を睨みつけている。その目は少し潤んでいた。
「シリル。……お前が私のために汚い仕事をしてくれているのは知っている。だが、家族の笑顔を奪ってまで得る平和など、私はいらない」
沈黙が部屋を支配した。私の脳内で、天秤が揺れる。
『合理的解決(王の排除)』と『アルフォードの感情(娘の悲しみ)』。
政治家としての私は前者を叫んでいる。だが、私という存在の根幹――「転生者シリル」としての最上位プログラムが、後者を選べと命令していた。
(……そうだ。私が守りたかったのは、単に生命や財産の安全ではなく、なによりこの人の『心』だった)
娘の不幸を嘆くアルフォード。そんな嘆きの表情を見るために、私はここまで来たわけではない。
「……承知いたしました」
私はため息をつき、懐から通信用の魔道具を取り出した。そして、短く告げた。
「――作戦中止。ワインを下げろ」
『……はっ。直ちに』
通信を切ると、私は椅子に深く背中を預けた。完璧な計画は消えた。残ったのは、反逆の意思を持つ王と、甘い汁を吸おうとする側近たちという「厄介な現状」だけだ。
「……感謝する、シリル」
アルフォードの力が抜け、その場に崩れ落ちそうになる。私は立ち上がり、彼を支えた。
「勘違いしないでください。私はセオドアを許したわけではありません。……ただ、貴方を悲しませないという『安寧の原則』が、王の処刑よりも優先されただけです」
「ああ……わかっている」
「ですが、毒を使わない以上、別の方法で黙らせる必要があります。……少々、荒療治になりますよ?」
私は不敵に微笑んだ。毒殺という楽な道は閉ざされた。ならば、政治的・精神的に徹底的に追い詰め、二度と逆らえないように「教育」し直すまでだ。
「構わん。命さえあれば……エレノアも耐えられる」
「いいでしょう。では……『穏やかなる粛清』に着手するとしましょう。申し訳ないが、これを止めることは致しかねます」
私はアルフォードの肩を抱き、窓の外を見た。離宮の明かりがついている。あそこで今頃、セオドアたちは毒のないワインで乾杯し、私の失脚を夢見て笑っていることだろう。
その笑顔が、明日の朝まで続くことはない。




